福島原発は、元特攻の飛行場跡地だった。福島原発のあるところには、昭和15年に水がなく条件が悪く散在していた農家を追い出し、建設された磐城特攻隊基地であった。
鹿児島の知覧より一年前に建設されたことになる。特攻基地に建設されたことは、その後の原発行政を見ると象徴的なことと言える。
反原発の研究者である京大の小出助教は、反原発の転換点になったのは、安全な原発を何故仙台に建設せずに、遠い辺ぴな女川に作るのだという、住民の素朴な疑問であったと述べている。
国家の思惑を従順に受け入れる田舎は、こうした国民に不都合な施設を建設するのにはまたとないところである。
原発は、もうすっかり少なくなった“村”が受け入れるケースが多い。更には、建設過程で補助金などが多く支払われるシステムになっている。そのため、一基造れば後は同じという感覚もあって、必ず数基建設されることになる。
その後の原発運営も、戦前の軍隊と同じである。不都合なことは知らせず、都合の良いところだけを周知させる。不都合なデーターは隠し、都合良いデータで粉飾する。大本営発表である。
起きてしまった事件や事故は、可能な限り小さな扱いにする。最も危険に曝される一般人には、最後に知らせる。
国家の繁栄のために必要だと説明することも、反対すると非国民扱いにするとことも、組織のトップはいつの間にか責任もとらず逃げしまうことまで、そっくりである。
福島原発の土地の下には、国家総動員の軍事思想が眠っているのかもしれない。