そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

地方は廃れ国は栄える

2013-01-16 | マスコミ報道

左の写真は、乳牛を繋いでおくスタンチョンと言われる道具を支える、留め金である。今にも切れそうであるが、45年も経っている。同じ地域の、町工場で作られたものであPhotoる。玄さんと呼ばれた腕の良い、いつもニコニコした爺様が作った留め金である。

玄さんは注文されると、金具にヤキを入れて叩きながら、一つ一つ丁寧に作っていた。この農家も、45年ほど前に牛舎を建てた時に作ってもらった。40個ほどあるが、最近3つほどが切れてしまった。しかし、写真ような状態からでも意外と持つのである。

今ではこの製品は、街の大きな工場で作られる。玄さんの物より安価である。ネクタイをした若いセールスマンが、いつでも大量に届けてくれる。呑気に作ってくれる、玄さんのようなことはない。しかし、柔らかい製品は、10年持つだろうか?

この農家には、玄さんの作った道具がたくさんある。錆びたりはしているが、壊れることはほとんどない。牛を牧草地に繋ぐ金具がある。昨年必要になって探したが見つからず、農協で買ってきた。3日目で曲がってしまった。使えなくはないが、厄介である。よく探すと、錆びてはいたが玄さんの作ったのが見つかった。何の不自由もなく使えた。40年前のものである。

沢山作って沢山使ってもらう。この方がGDPが格段に高くなる。経済行為として評価されることになるのである。日本の構図がここに凝縮されている。

地域の町工場は廃れてしまい、都会の工場は繁栄することになる。腕の良い職人がいなくなり、愛着がわく道具がだんだんなくなってくる。

経済発展とは、効率生産とお金が早く回ることである。玄さんの道具は壊れないために、お金が回らない。玄さんは沢山作ることもできないため、安価には作れない。産業を経済行為としてしか評価することがないため、地方は廃れて国は栄えることになるのである。

コメント (1)
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