アフガニスタンに侵攻し、イラクに攻め入ってアメリカのブッシュ大統領は、戦果が上がるたびに「テロの危険が減った」と、常套句のように言っていた。
テロとの戦いを宣言した以上、こう言わざるを得なかったのであろう。
ところが、ブッシュの戦争を非難し脱核兵器で、ノーベル平和賞を受賞したオバマも同じことを言った。
オサマ・ビンラディンの暗殺が成功した時にも、オバマは「テロの危険が減った」と述べた。はたして世界は、彼らが誇って言うようになったであろうか?
答えははっきりしている。「否」である。
アメリカで、9.11の同時多発テロが起きて以来、世界各国のテロ対策は格段に厳しくなった。テロリストへの対応も、より厳しくなった。然し、こうした対策の多くは、暴力に対して暴力的に抑え込むことであった。
テロ事件が起きるたびに、テロに対して新たな対策が示されるだけである。新たな予算が組まれて、より強固な管理体制ができるだけである。これはどこの国でも同じである。こうした対策にもかかわらず、9.11以降のテロ発生は、その前の100倍ほどにもなっている。
今回アルジェリアで、またしても悲惨なテロ事件が起きた。アルジェリアは、テロに対し極めて暴力的に対応した。砂漠の真ん中で、自国の奥に封じた格好で、やりたい放題だった。
テロの温床は何か? なぜ自らの危険を冒してまでテロに走るのか? 家庭や家族を捨ててまでテロに走るのか? 彼らの怒りは何に向けられているのか? そうしたことを考慮した対策はほとんどない。
テロの動機づけは、イスラム教のジハード(聖戦)によって多くは説明されている。急に彼らはジハードを思い立ったのであろうか? ジハードをする動機付けを検証するべきなのである。
そうした意味でも、地道でも民間の募金によって、地元の人たちを雇用し、中古の重機を持ち込んで運河などを作って、灌漑し農地を広げている、ペシャワール会のような活動こそ求められるのではないか。