日本農業政策は食料生産のことなど何一つとして考えていない。農家の周辺ばかり整備して、気が付いたら日本中の農村は限外集落からすでに消滅した地区さえある。ただそこに至る道は立派に整備されていて、周辺には強固なコンクリートの構造物が崩れそうに立っていたりする。
地域のボスたちに金ばら撒いていれば投票してくれていた時代に作られた、親方日の丸の農業政策である。
上の表はアメリカとEUと日本の農業政策の比較である。コメの市場価格がほぼ同額でも、日本は農水省の決めた枠の中での補助であり、市場にはその金額で消費者に示される。
ところが欧米では農家に自由に作付けさせ、農家のコスト補償金に利益分が加算された金額が農家に還元される。つまり市場には、日本では12,000円で出回るが、上の表では欧米では4,000円で消費者に示される。購買価格が断然に異なるのに、流通価格が変わらない。日本のコメは高く、海外のコメは安いので輸入には高額の関税をかけることになる。
欧米の農家は手厚く所得保障されているのである。一方日本農業は価格の保護などされいない。補助にしても、多くの場合、周辺整備と称する土建屋の飯の種になるばかりである。欧米型の補助事業は、生産費が高くても市場価格が保障されているために、結果的には生産者と消費者にお金が出されていることになる。日本では生産者に補助金として支払われることになるが、現実は周辺産業にお金が落ちるばかりである。
あれ程日本人にとってコメは重要な主食であると言って、一粒たりとも輸入しないと守ってきたのに今や一俵(60キロ)15,000円を切ってしまうさまである。多くの米農家は赤字になる。生産に係わる支援をしてこなかったためである。
欧米の農家は手厚く所得保障されているのである。一方日本農業は価格の保護などされいない。補助にしても、多くの場合、周辺整備と称する土建屋の飯の種になるばかりである。欧米型の補助事業は、生産費が高くても市場価格が保障されているために、結果的には生産者と消費者にお金が出されていることになる。日本では生産者に補助金として支払われることになるが、現実は周辺産業にお金が落ちるばかりである。
あれ程日本人にとってコメは重要な主食であると言って、一粒たりとも輸入しないと守ってきたのに今や一俵(60キロ)15,000円を切ってしまうさまである。多くの米農家は赤字になる。生産に係わる支援をしてこなかったためである。
農家は高齢化になっているからという論議は前後が逆である。高齢化が進むような農業政策を振興させておきながら、都会へ若者を引き付けておきながら、農業生産には未来がないとかいう論議など論外である。挙句の果てが、下駄をはかせた状態でも自給率37%である。
東大の鈴木宣弘教授に指摘するように、余剰米が出るなら貧困国家などに海外支援でもすればよかったのに、世界食糧危機が必ず起きることが予測されるのに、生産者を減らすことばかりしてきた結果といえる。
コロナ、ウクライナ、気候変動に円安のクワトロ危機の中にあって、食料生産は最も優先されなければならない。なのに、日本は軍事増強に走る愚かな政策の理由ばかり模索する。