カルロスゴーンが4度目の逮捕を受けた。しかもゴーンは仮釈放中の身である。通常なら在宅逮捕で十分の事案である。3度目同様検察による恣意的な逮捕劇である。
3度目は保釈を阻止するためのものであったものといえる。今回は11日に記者会見するとつぶやいたことを阻止するためおものといえる。オマーンの資金の流れは今頃分かったわけでもない。新事実が確認されたわけでもない。ただこれまでの不実記載とは異なり、所属会社の資金を私的に使ったのである。犯罪行為ではあるし、これだけの賃金を受け取りながら、姑息なこの男の行為は好きになれない。
しかし、何といってもこれほど恣意的で解り易い、まるでいじめかいびりのような逮捕ができるならば、森友学園や加計学園の無数の不正行為に適用するなら、何十人も逮捕できるはずである。このことは以前にも本ブログで書いたが、どう見てもゴーンの逮捕起訴は加計幸太郎や安倍昭恵の犯罪性よりも軽い。官僚たちの公文書の改ざんや隠ぺいは、国家の存続さえ危うくする問題である。巨大企業とはいえ日産もスズキも一私企業に過ぎない。町工場や零細企業の社長なら、この程度のことなら無数に行っている。儲けたら懐に入れ、赤字になると支持をつぎ込むことなど日常的である。規模が違うだけである。カルロスゴーンは無罪になる可能性さえある。検察が繰り返す本人の疲弊を期待するような逮捕劇は、それを否定するためのもののように見える。
マスコミは早速ゴーンの悪人性を何かにつけて垂れ流す。ゴーンの悪人性は今回の事件ではない。社長に就任早々高く売れそうなところの工場などの資産の販売を行って、地域の経済と労働者をどん底に落としたことである。松下幸之助が、社員は一人も首にしないと言ってのけたのと対照的である。
どれほど不祥事が起きても、だれも収監されない、責任取らない、罪に問われない。日本は司法の独立を安倍一強の前に差し出したかに見える。
犯罪は立証できなければ無罪。
被告人は何も立証する必要はない。
すなわち被告側には証拠など必要はない。
もう少し「まともな裁判」というものを勉強しては?
にもかかわらず、インターネットを通じてフランスのテレビ局のインタビューに応じている。(https://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20190404-00000113-jij-eurp)
別件逮捕もさることながら保釈取り消しも必要ではないかな?