そりゃおかしいぜ第三章

北海道根室台地、乳牛の獣医師として、この国の食料の在り方、自然保護、日本の政治、世界政治を問う

フィリッピンに父の慰霊団に参加して

2015-03-03 | 戦争
先月半月ほど、フィリッピンに行ってきました。日本政府、厚労省主催のフィリッピン慰霊巡拝団の一員として参加した。
私の父は、フィリッピンで戦死した。父は逓信省の官僚であり、軍人ではなかった。父は通信兵、軍属として1943年7月に出兵した。臨月の母は玄関までしか見送ることができなかった。母のお腹にいたのは私である。
父は銃に撃たれて死んだのではない。餓死したのでもなければ、病死でもない。父は三人の負傷兵とともに、敗走する隊から自爆用の手りゅう弾を渡され、自らの命を絶ったのである。
内地に20代の妻とまだ見ぬ私を含め、三人の息子を残してまで、父を自決に追いやったのは、東条英機が制作した『戦陣訓』である。「生きて虜囚の辱めを受けず」という一文が、父たちを死に追いやった。
父の亡くなった、フィリッピンのセブ島の地で、厚労省の次第に従う慰霊を行った。(上掲の写真をクックすると大きくなります)
父と母の遺影を掲げて現地に立つと、さすがに胸にこみ上げてくるものがあった。
父は、苦学して大学に入り、逓信省に合格した。真面目な父は日本のためと、志願して戦地に赴いた。父はわずか36歳であった。何のための人生だったのかと胸が重くなる。
私はもうすぐ父の倍生きたことになる。空しさが私にこみ上げてきた。
実はこの地に、36年前に私は自費で母を連れて訪れている。戦友たちの話を聞いて、ほぼ自害した地を特定し、線香をあげてきた。東京空襲で全財産をなくして、塗炭の苦しみの中で子どもたち3人育てた母は、この地で泣き崩れるものと思っていたが、母の反応はあっけらかんとしたものであった。
「死んだ者はいいさ。苦労しなくて済むから」と乾いた言葉が残っている。

戦争は人類の選択する、最も不条理で残忍な行為である。そして人類しか行わない行為である。どう繕おうとも、殺人であり最も愚かなことである。
戦争するものには言い分がある。自らの正義を掲げるが、他国も同じである。正義の戦争などと言うものは存在しない。戦争回避するためには、武力を自ら放棄することである。武力行為する理由を探す行為は、この100年”自衛”しかない。自衛のための武力行使は、国民を納得させやすいがそれは、他国も同じであり、武器は手にしてはならないのである。
今また、戦争への遺伝子が国会で息を吹き返す。怖ろしい時代へと突入しつつある。
コメント (4)
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