ダラダラ文章です。
便利な時代だから、調べものをしたいと思えば、ネット検索でワタシのレベル程度は十分満足できます。
で、昨日は旅行パンフレットにうたってあった建仁寺の襖絵を検索。そしたら京都の名だたる襖絵にもたどり着けました。
絵は好きだから、見ます。
若い時も狩野派などは見ているのですが、あの時は有名作品や画家の名前を覚えることに主眼があった(苦笑)。
今は、その時代にこの絵が評価を得ていたのだ、とか、時代との関連を思う。
江戸時代の京都の朝廷や公家は幕府からの規制が厳しく、潤沢な生活を送るどころじゃなかった、ハズ。
で、どうして京都にこんなにも素晴らしい建造物や襖絵など(観光資源)が、と。
それらの殆どは江戸期以前の神社、仏閣であり、二条城などは徳川幕府の建造物なのだ、と自己流に納得。
二条城の大広間の(老松などを描いた)襖絵も見事らしいが、幕府の権威を表しているのでしょう。
江戸期の朝廷や公家は幕府からの石高も少なく、洛外に出ることも経済活動も禁じられていて、古来からの行事やしきたりに日々を費やしていた、という知識(おもに司馬遼太郎本からです。苦笑)。
神社仏閣は幕府の庇護下にあったのでしょうか。まだ、不勉強。
例えば、東寺などは何度も焼け落ちていますが、徳川期にも再建されている(再チェックします)。
同時代に建立された西寺は空海ほどの信奉者がいなかったこともあり、焼失後の再建されていない。
再建には莫大な費用が掛かるけれど、神仏に帰依することで体制の安泰を願っての再建なのだろうか。民衆のよりどころとしての必要性ということは、ないでしょうね~。
話を飛ばします。
ヨーロッパの宮殿(そんなに数多く訪ねてはいないけれど)の絵画を思い浮かべる。たいていは宮殿の主たちの権威を高らかに謳った
肖像画です。または女性陣の豪華な衣装を身に着けた肖像画(写真がなかった時代の見合い写真替わりだったとか)。
どちらも権威を表出したい思いはあるのだろうけれど、ここまでその現れ方が違うのか、と思ってしまう。
カソリック寺院の宗教画は、文字を読めなかった信者にたいする説教の手立てとして始まっているような気がする。(自分勝手な解釈)
その後、教会が権力と経済力を持つようになると、どんどん一流絵描きに絵を描かせることができるようになった。
絵描きだって、スポンサーがないと食べていけないから。
話を戻して、日本の仏像のこと。
東寺には古い仏像がたくさんある。
古いものは国宝で江戸期以降のものは重要文化財、となっているのは判断基準がわかりやすい(ネットで見ただけ)。
その国宝であっても、嵯峨天皇から空海に下賜された建立時代のものではなく、時代はあとになる。
ヨーロッパの宗教画やキリスト像と同じように、あがめる対象を具現化したほうがわかりやすいから、なのだろうか。
で、私の友人に、仏像が好きな人がいる。
仏像の何に惹かれるのか、
①その形や醸し出す空気感だろうか。・・・これだと美術作品をみる感じです。
②宗教性だろうか。…だとすると、どの宗派の仏像にも興味あるは、「?」です。
いつかの日曜美術館で、仏像が取り上げられていた。
その時、本来仏像は拝むものであって、まじまじと見るものではないのです。
だから、このように展示されるときは、仏像の魂を抜いてから(すみません。表現が適正でないかも)展示しているのです、と。
で、NHKの女性アナウンサーさんは、では、この仏像をまじまじと見ても大丈夫なんですね、という対話がありました。
「仏像を訪ね歩くって、なんなんだ!」
ちょっと、そんなこと思ったりします。
①だと、私はわかります。
どの時代にも、すごい絵描きや彫刻家(仏師)がいたのだと、そのことへの感慨に出会えるのは、古都を訪ねる醍醐味です。
ああ、理屈っぽい。⇒ ワタシ 苦笑
今日の庭写真
雨粒をたたえた、マリリンモンロー。
ルージュピエールロンサール
スーブニールドアンネフランク
雨に濡れた白妙菊の新芽とのコントラストが面白い。
サフランの葉っぱが伸びてきました。
便利な時代だから、調べものをしたいと思えば、ネット検索でワタシのレベル程度は十分満足できます。
で、昨日は旅行パンフレットにうたってあった建仁寺の襖絵を検索。そしたら京都の名だたる襖絵にもたどり着けました。
絵は好きだから、見ます。
若い時も狩野派などは見ているのですが、あの時は有名作品や画家の名前を覚えることに主眼があった(苦笑)。
今は、その時代にこの絵が評価を得ていたのだ、とか、時代との関連を思う。
江戸時代の京都の朝廷や公家は幕府からの規制が厳しく、潤沢な生活を送るどころじゃなかった、ハズ。
で、どうして京都にこんなにも素晴らしい建造物や襖絵など(観光資源)が、と。
それらの殆どは江戸期以前の神社、仏閣であり、二条城などは徳川幕府の建造物なのだ、と自己流に納得。
二条城の大広間の(老松などを描いた)襖絵も見事らしいが、幕府の権威を表しているのでしょう。
江戸期の朝廷や公家は幕府からの石高も少なく、洛外に出ることも経済活動も禁じられていて、古来からの行事やしきたりに日々を費やしていた、という知識(おもに司馬遼太郎本からです。苦笑)。
神社仏閣は幕府の庇護下にあったのでしょうか。まだ、不勉強。
例えば、東寺などは何度も焼け落ちていますが、徳川期にも再建されている(再チェックします)。
同時代に建立された西寺は空海ほどの信奉者がいなかったこともあり、焼失後の再建されていない。
再建には莫大な費用が掛かるけれど、神仏に帰依することで体制の安泰を願っての再建なのだろうか。民衆のよりどころとしての必要性ということは、ないでしょうね~。
話を飛ばします。
ヨーロッパの宮殿(そんなに数多く訪ねてはいないけれど)の絵画を思い浮かべる。たいていは宮殿の主たちの権威を高らかに謳った
肖像画です。または女性陣の豪華な衣装を身に着けた肖像画(写真がなかった時代の見合い写真替わりだったとか)。
どちらも権威を表出したい思いはあるのだろうけれど、ここまでその現れ方が違うのか、と思ってしまう。
カソリック寺院の宗教画は、文字を読めなかった信者にたいする説教の手立てとして始まっているような気がする。(自分勝手な解釈)
その後、教会が権力と経済力を持つようになると、どんどん一流絵描きに絵を描かせることができるようになった。
絵描きだって、スポンサーがないと食べていけないから。
話を戻して、日本の仏像のこと。
東寺には古い仏像がたくさんある。
古いものは国宝で江戸期以降のものは重要文化財、となっているのは判断基準がわかりやすい(ネットで見ただけ)。
その国宝であっても、嵯峨天皇から空海に下賜された建立時代のものではなく、時代はあとになる。
ヨーロッパの宗教画やキリスト像と同じように、あがめる対象を具現化したほうがわかりやすいから、なのだろうか。
で、私の友人に、仏像が好きな人がいる。
仏像の何に惹かれるのか、
①その形や醸し出す空気感だろうか。・・・これだと美術作品をみる感じです。
②宗教性だろうか。…だとすると、どの宗派の仏像にも興味あるは、「?」です。
いつかの日曜美術館で、仏像が取り上げられていた。
その時、本来仏像は拝むものであって、まじまじと見るものではないのです。
だから、このように展示されるときは、仏像の魂を抜いてから(すみません。表現が適正でないかも)展示しているのです、と。
で、NHKの女性アナウンサーさんは、では、この仏像をまじまじと見ても大丈夫なんですね、という対話がありました。
「仏像を訪ね歩くって、なんなんだ!」
ちょっと、そんなこと思ったりします。
①だと、私はわかります。
どの時代にも、すごい絵描きや彫刻家(仏師)がいたのだと、そのことへの感慨に出会えるのは、古都を訪ねる醍醐味です。
ああ、理屈っぽい。⇒ ワタシ 苦笑
今日の庭写真
雨粒をたたえた、マリリンモンロー。
ルージュピエールロンサール
スーブニールドアンネフランク
雨に濡れた白妙菊の新芽とのコントラストが面白い。
サフランの葉っぱが伸びてきました。