今朝のニュースで知った舞鶴引揚記念館で、現在展示されている絵画作品展のこと。
中国人の画家が描く、1946年(敗戦の翌年)の日本人引上げの一団の群像画(タテ3m×横20mの大作)です。
みたいな。観に行きたいな、と咄嗟に思った。
今朝から始まった思案中の1件です。苦笑
舞鶴引揚記念館には2度行ったことがあります。
あれもこれも記憶に残っていますが、壁面の司馬遼太郎のメッセージ文章も印象に残っています(彼も従軍しています)。
私の父の引揚船ではなかったけれど、乗船名簿の名前を覗き込んで、陳列ガラスにゴチンと当たったり。苦笑
画家は引揚者の隊列を眺めていた立場の中国人の祖父母から聞いた話を絵にしたという。
食べ物があふれる社会で、ダイエット云々言っている身ですが、70年余り前の現実は、まぎれもない事実だし、戦後生まれは手探りで記憶に刷り込むしかない。
毎年の敬老会で会う人がいる。
その方は、北朝鮮からの引揚者。両親を亡くして子ども(兄妹)だけで、集団の中に入って引き揚げてきた、という。
会話したのは、最初にお会いした時だけだけれど、年に一度の集まりで会うたびに、懐かしそうにあいさつに来てくださいます。
本当は、もっと聞いておけばいいのですよね。
藤原ていさんの「流れる星は生きている」のような状況だった、と。その本にもあるのですが、日本についてからは、大きな駅に汽車が停まると、差し入れを持ってきてくれる人がいた、とか。
話は横道にそれました。
この作品に会いに行くかどうか、でした。
展覧会にもとんといかなくなりましたが、このシーンを描きたいと取り組んだ絵描きさんがいるのだと、
・・・。
中国人の画家が描く、1946年(敗戦の翌年)の日本人引上げの一団の群像画(タテ3m×横20mの大作)です。
みたいな。観に行きたいな、と咄嗟に思った。
今朝から始まった思案中の1件です。苦笑
舞鶴引揚記念館には2度行ったことがあります。
あれもこれも記憶に残っていますが、壁面の司馬遼太郎のメッセージ文章も印象に残っています(彼も従軍しています)。
私の父の引揚船ではなかったけれど、乗船名簿の名前を覗き込んで、陳列ガラスにゴチンと当たったり。苦笑
画家は引揚者の隊列を眺めていた立場の中国人の祖父母から聞いた話を絵にしたという。
食べ物があふれる社会で、ダイエット云々言っている身ですが、70年余り前の現実は、まぎれもない事実だし、戦後生まれは手探りで記憶に刷り込むしかない。
毎年の敬老会で会う人がいる。
その方は、北朝鮮からの引揚者。両親を亡くして子ども(兄妹)だけで、集団の中に入って引き揚げてきた、という。
会話したのは、最初にお会いした時だけだけれど、年に一度の集まりで会うたびに、懐かしそうにあいさつに来てくださいます。
本当は、もっと聞いておけばいいのですよね。
藤原ていさんの「流れる星は生きている」のような状況だった、と。その本にもあるのですが、日本についてからは、大きな駅に汽車が停まると、差し入れを持ってきてくれる人がいた、とか。
話は横道にそれました。
この作品に会いに行くかどうか、でした。
展覧会にもとんといかなくなりましたが、このシーンを描きたいと取り組んだ絵描きさんがいるのだと、
・・・。