日々の暮らしから

「街中の案山子」「庭にいます。」から更にタイトル変更します。

山本周五郎著「樅の木は残った」を読んでいます。

2018-10-30 06:44:58 | 
上・中・下の3巻の長編。

実は、垣谷美羽さんの著書に出会う前から読み始めていたのに、途中で垣谷さん本に夢中になり、中断して、垣谷本を10冊ほど読んでいた。
(もう読むのを)やめるかな⇒ ワタシ と思っても、今の私はやめる気にもなれず、で、再スタート。
登場人物が多い上に、その名前が長い武士名で、かつ、武士名だけでなく、官職名(○○の守とか)、屋敷がある地名とかでてて来たりします。さらに隠居後の名前もありました。ひとりの人物がいくつもの名前で登場してくるので、誰が誰やら混乱。古文書を調べて書いている人(作家)がいるのだから、こんな程度で文句言っていたらおかしいのだけれど。恐縮、汗。
読みつづけ、次の巻になって、スピードも上がって、ほら読了に向かう、と思っていたら、あらっ、3巻の読み物でした。アホですね。ipadだからの現象ですね。表紙を手にすることもないから。

3大雄藩(加賀藩、薩摩藩、仙台藩)と言われている、仙台藩60万石の世継ぎを絡めての権力闘争がらみ話。
幕府はことがあれば、藩に難癖をつけて取り潰したい気、満々。だから、幕府に藩の難点をさらすわけにはいかず、でも意のままを狙う魂胆のメンバーが策略を企て、それぞれが自分の立場ながらに巻き込まれていく、というストーリー。

江戸と国許を行き来する話題が頻繁に出てくる。上級武士の江戸での暮らし向きや、領地、仙台のお城に上るときの仕組みが、疎い私には興味深い。
生産活動をしていない侍というのは、その糧を代々にわたって殿様から拝領しているわけで、それが忠義につながっている。
殿様というのは、百姓から年貢という形で米や物品(お金に匹敵する)を治めさせ、その収められた米や物品を配下に配る。その配るものの多寡は身分、功績により差をつけている。侍側はその多寡に誇りをかけていたりする。

「威圧」が行き渡っているから、「どうして」が通らない社会だったのだと思う。

昨今よく言われる、自分探しの旅、とか、自分は何になりたいのか、
なんて、そんな概念が出てきようもない。
生まれた時から、もう職業は決まっているのだから。

今年は明治政府ができて150年。
150年以前は、私たちの国は、そういう国だったのだと、そんなことを思いながら、読む。

農民に生まれれば、物心つくころから、親たちの手伝いに使われたであろうし、
上級の侍階級であれば、お家存続のための縁組構想にはめ込まれる仕組み。

同じ国でありながら、200年ほどさかのぼれば、こんなにも違うものかと、ひとり感嘆の境地です。

今、超高層ビルが立っている界隈の地名も出てきますが、そこらが竹藪だったりする。

だから、きっと200年後に生きる人たちは、今私が感じているようなことを、私たちに感じるのだろうか、そんな風にも思ったりします。










コメント (2)
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