青柳俊哉「ひまわりのみずうみ」ほか(朝日カルチャーセンター福岡「現代詩講座」、2024年01月29日)
受講生の作品。
ひまわりのみずうみ 青柳俊哉
地下から吸い上げた水が
顔へ湛えられていく
風が水面をゆっくりと撫ぜて
それぞれの花びらの形を縁取る
溢れだす水は
ひまわりの花と種子
額も頬もゆるやかにひらかれて
太陽へ吸われていく
ひとつにむすばれる地下水と太陽
維管束から空へみちあふれていく
環状の洪水 虹の帯のように空をおおっていく
ひまわりのみずうみ
この作品は、二バージョンあった。第四連が、少し違う。もうひとつの作品は「ひとつにむすばれる地下水と太陽/ひまわりのみずうみ/維管束から空へみちあふれていく/環状の洪水」。
「環状の洪水」で終わる方が切れがいい、という意見があった。作者の意図も、水の運動を象徴するものとしての虹(地下水がひまわりの茎をとおり、花をとおり、空に開いていく)を虹ということばをつかわずに表現するということにあったようだ。(最初に、引用詩ではない作品を読んだ。)
しかし私は、「ひまわりのみずうみ」で終わる方が世界が広がると思う。
虹そのものが、地上の「ひまわりのみずうみ」にも見える。つまり、空に地上のひまわりが映っているように感じられるし、その空の光景と地上の光景が鏡のように互いを反映しているようにも感じられる。
地下の水を吸い上げるだけではなく、その恵みの雨がひまわりの花を開かせるという「往復運動」が「ひとつにむすばれる」を強調すると思う。
また、そういう論理的な、一種の硬質な意味が「維管束」「環状の洪水」ということばのなかで結晶するよりも、「ひまわりのみずうみ」のような、具体的な広がりを感じさせることば、視覚的(感覚的)なことばのなかで解放される方がのびやかな気持ちで読むことができると思う。
水の動き(描写)が「湛えられていく」「溢れだす」「みちあふれていく」と変化するに連れて、「顔」が「額/頬」とより具体的に変化し、「花」になって「ひらかれて」いく。その動きの呼応がとても自然だ。
*
埋み火 杉惠美子
そんな時があったよねと
そんな話しをしたよねと
そんな事を考えてたよねと
そのたびに小さな栞をはさんだ
ページをめくりながら
めくりながら
確かな 今日の自分を
感じた時
最後の栞を
自分の手で そっと置いて
そのページを開いておきたいと思う
「栞」は付箋だろうか。「そのたびに」ということばが、読んでいる途中、一回の動きというよりも、繰り返しを感じさせる。何度も何度もが、一連目にも現われている。
最終連、「最後の栞」は付箋ではなく、「自分の手」、そして「ページを開いてお」く。
このことばの運動に、「今のいちばん大事な時間を過去にしたくないという思いがあふれている」「閉じてしまうと思い出になってしまう。思い出にしたくない、忘れたくないとい気持ちを感じた」という感想が受講生から聞かれた。
「確かな今日の自分」ということばは、「過去」との比較のなかでつくられるものだろうか。一連目の三行が「過去」。しかし、「過去」は思い出すとき、いつでも「いま」のすぐそばにある。密着しているというよりも、いりまじり、「いま」を支えている。「確かな今日の自分」のなかには「確かな過去の自分」が存在する。本は(そのことばは)、その過去に存在し、現在も(きょうも)存在し、あす(未来)にも存在するだろう。その「道」を開くのは、ことばであると同時に、肉体だ。「自分の手」という具体的な肉体が詩人の意思を語っているように思える。ここは「付箋」ではだめなのである。
タイトルの「埋み火」(灰の奥にあって消えない火)が「肉体」の奥に隠れている情念のように赤く燃える。そういうことを感じさせるためにも「手」ということばは、この詩では欠かせないものだろう。
*
双子座流星群 緒加たよこ
こんな星空は久しぶり
どんなに目を凝らしても
流れ星は見えないけれど
今夜は新月だから沈んでいます
だから星が沢山 見えるはず
星に願いはないことを
終わることさえ
流れることさえ
瞬けば
そういえばあまりよいことを願って来ませんでした
今夜はもう見えない
今夜はもう終わりたい
星は貼りつく
冴え返る 沈みの新月
講座後に作者が手を加えた作品。連の構成、一字下げ部分が大きな変化。「瞬けば」ということばも追加されたもの。
一字下げに関しては、講座で読んだ作品は「今夜は新月だから沈んでいます」と「そういえばあまりよいことを願って来ませんでした」が一字下げだった。このことについて、受講生のあいだで「どう解釈するか」「一字下げの行は描写ではなく、心情の吐露になっている」というようなやりとりがあった。
改作では、一字下げではない行は「他者」に向かって語りかけているが、一字下げの部分は作者自身の「独白」になっているように思える。こころの奥底の、もうひとりの私の声ということもできるかもしれない。
この対話が最後の一行を鮮明にする。明るくする。
「冴え返る」のは論理的には「星」なのだが、なぜか見えない「沈みの新月」そのものが「冴え返っている」ような感じがする。見えないのに、その黒い月が見える感じがする。
感想を語り合ったとき、受講生が「夜空の澄み渡った感じ、空気の冷たさを感じる」と言ったが、それは夜の風景だけではなく、もうひとりの自分との対話が強調されることでさらに強まったと思う。
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