ベルグソンのことばは刺戟的である。
目は見るだけではない。目で見たものが有効だと判断すれば、そのときひとは存在に近づくのだが、このとき目は実質的に肉体を動かしている。
ここに「脳が判断し、手足を動かしている(手足に動けと命令している)」ということばを挿入したとすれば、それは「付け足し」だろうと私は思う。
あらゆる運動、それが激しい肉体の運動ではなくても、ある瞬間目だけが動くのではない。手だけが動くのでもないし、足だけが動くのでもない。ことによると性器も動くのである。それも同時に、いくつもの場所(肉体の部署)で動いている。
心臓とか内臓とか、そういう「不随意」の器官(組織)だけではなく、あらゆる肉体が動いている。なかには動くのを怠けている部分もあるかもしれないが。