詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

「台湾有事」への疑問

2022-08-12 21:52:32 | 考える日記

 私は台湾のことも中国のこともよく知らないのだが、「台湾有事」について、とても疑問に思うことがある。
 台湾は、チベットや新疆ウイグルとは完全に違う。台湾に住んでいるひとは、基本的に中国人である。つまり、国語、文化が同じ。(もちろん、別の体制になってから、違う制度を生きているから違いも出てきているが。)
 中国人は、どうやって生きているか。
 単なる印象で書くのだが、いま中国人は世界中に散らばっている。そして、散らばりながら組織化もされている。チャイナタウンと俗にいうけれど、血族意識が強い。だれかがある国へ行く。そこで成功する(中国人にとっての成功とはなによりも、金を蓄える。金持ちになること)と親族を呼び寄せる。そして、「社会」が拡大する。
 頭がいいなあと感心するのは、このときの中国人の「かせぎ方」である。日本でいうコンビニみたいな店を開く。大儲けはできないが、少しなら、確実に売れる。最初から大儲けを狙うわけではない。それをこつこつと繰り返す。もうけが大きくなれば少しずつ店を広げていく。そして親族も呼びよせるというわけだ。
 こういうことを「生きる知恵」として身につけている中国人は、「中国・台湾」問題をどう生きるか。想像にすぎないのだが、台湾が誕生したときと、逆のことが起きると思う。つまり、台湾から、だれかが中国へ行く。そこで一生懸命働く。金がもうかったら、家族(親族)を中国へ呼び寄せる。中国人(台湾を含む)のひとが、アメリカやその他の国で展開していることを、中国本土で展開する。実際に、台湾で金をもうけ、それで中国にも家を持っているというひとがいる。そのひとは、状況次第では、自分の拠点を中国に移すだろう。そういうひとは、大勢いるだろう。
 「台湾有事」というのは、市民レベルでは起きようがないのだ。中国人の生き方は、それがどこであれ、金もうけをしたら、そこで家族(親族)と暮らし、「社会」を広げていくというやり方である。
 中国人は、文化(国語)が違う外国でさえ、そういうことを巧みにやってのけている。金持ちがいちばんえらいを、確実に実行している。

 これを逆に見れば、「台湾有事」がアメリカの「夢」であることがわかる。
 アメリカは、台湾が中国になりたい、という欲望を恐れている。中国に圧力をかけるためには、台湾という「基地」が必要なのだ。台湾から「共産主義」の中国の活動を制限したいだけなのだ。
 どういう活動? もちろん金もうけ(資本主義)の活動である。
 でも、なぜ、そんなことをするか。なぜ、中国人が金もうけをすることに対抗しようとするのか。
 理由は簡単である。
 アメリカ人は中国人になれないからである。中国人のように生きられないからである。簡単に言い直すと、中国人のように、世界のどこへでも出かけ、そこで金もうけができたら、家族(親族)を呼び寄せて幸せになる(さらに金もうけをする)ということがアメリカ人にはできないからである。
 アメリカ人は、アメリカ人ではない。彼らは、ヨーロッパからアメリカにやってきて、アメリカで金もうけをし、アメリカ人になった。アメリカ人は、アメリカから出ていったらアメリカ人ではなくなるのだ。だから、中国人の生き方が我慢できないのだ。中国から脱出し、よその国へ行って、なおかつそこで中国人として金を稼いで、生きている。
 何が中国人とアメリカ人では違うのか。持っている「文化」が違うのだ。アメリカ人は固有の文化を持たない。中国人は持っている。「文化」を手がかりに、いつでも中国人は「団結」できる。アメリカ人は、できない。アメリカに文化があるとしたら、それは最初から「マルチ文化」なのである。「固有の文化」ではないのだ。「マルチ文化」はどこへでも進出できるが(実際、「アメリカ文化」は世界をおおっているが)、進出した途端に「アメリカ文化」の固有性をなくす。
 「アメリカナイズ」ということばがあるが、実際は、アメリカナイズされているようにみせかけながら、それぞれの国の人がアメリカを消費しているだけである。アメリカ人がやってきて、アメリカを主張しようとしても、その主張をその国のものにしてしまう。マクドナルドにしてもジャズにしても、それぞれの国のスタイルがある。決して、アメリカの「方法」がそのまま根を張っているわけではない。

 アメリカが世界を理解できない理由はここにある。アメリカにはアメリカの文化がないからだ。(ネイティブアメリカンのことは、ここでは触れない。あくまでも、いま、大手を振るっているアメリカ人のこと、を対象として私は書いている。)
 それぞれの国には、それぞれの国語があり、同時にそれぞれの文化がある。
 アメリカは、これを根こそぎにしようとしているが、これは絶対に不可能だろう。すでに失敗したし、最近ではアフガンでも失敗した。
 NATOの東方拡大は、一見「成功例」に見えるかもしれないが、かつてソ連に支配されていた国が、ソ連支配下を逃れた瞬間から次々に「民族」を主体とした国にわかれた。一方で、ドイツは「民族」が団結し、ひとつの国になった。「文化」が共通だから、ひとつになるのは簡単なのだ。
 ここからまた「台湾」にもどれば、台湾が中国と統一するのは、とても簡単なのだ。中国(本土)の経済が世界一になれば、その瞬間に、台湾は中国と統一してしまうだろう。政府がそうするのではなく、市民がそうするのだ。「文化」が同じ。同じやり方で、中国本土でさらに金がかせげるなら、台湾にこだわる必要はない。もし中国本土へ行くのがいやなら、台湾のひとは世界のどこへでも行くだろう。ヨーロッパでも、南米でも、アフリカでもかまわない。そこで金を稼いで「チャイナタウン」をつくるだけである。
 「アメリカタウン」をつくることができないアメリカは、中国人には絶対に勝てない。アメリカの(つまり、新大陸の)成功は、中国が世界へ広がっていくための「過程」にしかすぎない。アメリカは「アメリカ合衆国」として北米大陸にそこにとどまりつづけ、そこで変質しつづけるしかない。

 中国のチベット、新疆ウィグル政策は間違っているが、それは「文化」の多様性を中国が拒んでいるからである。世界はマルチ文化の時代に入っている。マルチ文化をどう生きるか。マルチ文化(人種の坩堝)であるはずのアメリカが、それこそアメリカをマルチ文化が共存する社会につくりかえることができれば、そういう世界に成長できれば世界の事情は違ってくるが、アメリカはどうも逆行している。いまだに差別問題を抱え、女性の権利も抑圧し始めている。「台湾有事」も、古くさいアメリカ帝国主義というシステムに逆戻りしたいという欲望が生み出した「幻想」だ。
 恐ろしいのは中国ではなく、時代後れの「幻想」にしがみついているアメリカと、その政策を盲信している日本の古くさい政治家だ。

 

 


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