石毛拓郎「藁のひかり」(「飛脚」19、2018年02月25日発行)
石毛拓郎「藁のひかり」は水郷の灌漑溝に落ちた子どもを助けることが書いてある。石下が祖母から聞いた話だという。祖母は子守のマサさんから聞いたのだという。
仮死状態である。多くの人はもうあきらめている。けれど、あきらめない人がいる。
「方言」が書かれている。これが、なかなか、いい。「方言」というのは、その土地でしかつかわれていないことばである。「方言」に触れると、その「土地」に引きずり込まれていくのである。
その「土地」には、その「土地」にしかわからないことがある。
そういう「細部」を取っ払う人もいるが、取っ払わない人もいる。
そこから「細部」を取っ払って合理的に生きる人にはわからないことが起きる。
さて、どこまでがマサさんのことばで、どこまでが祖母のことばか。「はやぐぅ、もっともっと、いっぺぇ、焚げぇ~!」はマサさんが直接聞いたことばだろう。それはそのまま祖母にもつたわり、石毛にもつたわっているだろう。
そのあとの描写は、なかなかむずかしい。
「標準語」だからね。
マサさんが、石毛の書いているとおりに「発音」したとは思われない。祖母も同じ。祖母から聞いたことを石毛が再現しているのだろう。再構成が含まれているかもしれない。でも、その「再構成」に引き込まれていくのはなぜだろう。
藁の、
この「細部」の描写の力だ。
マサさんは「細部」を見ていた。その「細部」はことばにしないとわからない「細部」である。
この「細部」が引き継がれている。
これが、美しい。
この「救命術」が最終連に、こう書かれている。
子どものときは藁を集め、火を焚く役目だったマサさんが、あるときこどもを助けた人のことを思い出し、こんどは同じ方法で助けた。そういうことがあったのかもしれない。よくわからないが、そこに
ということばがあって、ここで私はまた立ち止まるのだった。
ここから「誤読」になるのだが、石毛はマサさんのことを「ひとつ」覚えている。それは、子どもが溺れて仮死状態になったとき、藁の火を焚いてこどもの体を温める。それは、でも「行為」のことではない。そういう「行為」のなかにある「気持ち」を覚えているということだ。「気持ち」は「ひとつ」。行為(救命術/救命方法)時代とともにかわるが、「気持ち」は「ひとつ」のままかわらない。
で、どんな気持ち?
書き出しに、戻るのだ。
これが、「この、ぐずがぁ~!」という声になって動き、「はやぐぅ、もっともっと、いっぺぇ、焚げぇ~!」にもなっていたのだ。「ひとつ」がどんな「細部」になっていったか。石毛は、それを書いている。
いや、こんなことよりも。
こういう真剣なとき、「この、ぐずがぁ~!」という侮蔑が侮蔑にならないのは、なぜなんだろう。ののしられていても、ののしられている気持ちにならない。思い出すのは「ののしられた」ということではなく、むしろ、「勢い」に引き込まれて「助けてやりたい」という気持ちと「ひとつ」になった感じが強いからだろう。
「ひとつ覚え」の「ひとつ」は「術」ではなく、むしろ、そのときの「気持ち」だ。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
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目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
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谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
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嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
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問い合わせ先 yachisyuso@gmail.com
石毛拓郎「藁のひかり」は水郷の灌漑溝に落ちた子どもを助けることが書いてある。石下が祖母から聞いた話だという。祖母は子守のマサさんから聞いたのだという。
仮死状態である。多くの人はもうあきらめている。けれど、あきらめない人がいる。
ああ どんなであろうとも
助けてやりたい
--この、ぐずがぁ~!
近親者は みな集まってミトリをしている
もう 脈はねえ
もう 死んでる
--この、ぐずがぁ~!
--マサァーはやぐ、藁ば、もってこうや!
「方言」が書かれている。これが、なかなか、いい。「方言」というのは、その土地でしかつかわれていないことばである。「方言」に触れると、その「土地」に引きずり込まれていくのである。
その「土地」には、その「土地」にしかわからないことがある。
そういう「細部」を取っ払う人もいるが、取っ払わない人もいる。
そこから「細部」を取っ払って合理的に生きる人にはわからないことが起きる。
火の上に ぐったりと息がない手足をかざし
揺すりはじめる
すでに もう意識もない
--はやぐぅ、もっともっと、いっぺぇ、焚げぇ~!
水郷の子守は 急かされながらも
落ちつきはらって
藁のひかりを 浴びせつづけている
夢の処方で
藁のひかりを当てた 死に体の
腹と頭に
ひかりが 滲みこんでいくのがみえる
さて、どこまでがマサさんのことばで、どこまでが祖母のことばか。「はやぐぅ、もっともっと、いっぺぇ、焚げぇ~!」はマサさんが直接聞いたことばだろう。それはそのまま祖母にもつたわり、石毛にもつたわっているだろう。
そのあとの描写は、なかなかむずかしい。
「標準語」だからね。
マサさんが、石毛の書いているとおりに「発音」したとは思われない。祖母も同じ。祖母から聞いたことを石毛が再現しているのだろう。再構成が含まれているかもしれない。でも、その「再構成」に引き込まれていくのはなぜだろう。
藁の、
ひかりが 滲みこんでいくのがみえる
この「細部」の描写の力だ。
マサさんは「細部」を見ていた。その「細部」はことばにしないとわからない「細部」である。
この「細部」が引き継がれている。
これが、美しい。
この「救命術」が最終連に、こう書かれている。
水郷田園の子守マサは 小さい時分に知った
ひとつ覚えの救命術を
使ってみただけだった--。
子どものときは藁を集め、火を焚く役目だったマサさんが、あるときこどもを助けた人のことを思い出し、こんどは同じ方法で助けた。そういうことがあったのかもしれない。よくわからないが、そこに
ひとつ覚え
ということばがあって、ここで私はまた立ち止まるのだった。
ここから「誤読」になるのだが、石毛はマサさんのことを「ひとつ」覚えている。それは、子どもが溺れて仮死状態になったとき、藁の火を焚いてこどもの体を温める。それは、でも「行為」のことではない。そういう「行為」のなかにある「気持ち」を覚えているということだ。「気持ち」は「ひとつ」。行為(救命術/救命方法)時代とともにかわるが、「気持ち」は「ひとつ」のままかわらない。
で、どんな気持ち?
書き出しに、戻るのだ。
ああ どんなであろうとも
助けてやりたい
これが、「この、ぐずがぁ~!」という声になって動き、「はやぐぅ、もっともっと、いっぺぇ、焚げぇ~!」にもなっていたのだ。「ひとつ」がどんな「細部」になっていったか。石毛は、それを書いている。
いや、こんなことよりも。
こういう真剣なとき、「この、ぐずがぁ~!」という侮蔑が侮蔑にならないのは、なぜなんだろう。ののしられていても、ののしられている気持ちにならない。思い出すのは「ののしられた」ということではなく、むしろ、「勢い」に引き込まれて「助けてやりたい」という気持ちと「ひとつ」になった感じが強いからだろう。
「ひとつ覚え」の「ひとつ」は「術」ではなく、むしろ、そのときの「気持ち」だ。
*
「詩はどこにあるか」2月の詩の批評を一冊にまとめました。
詩はどこにあるか1月号注文
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ここをクリックして1750円の表示の下の「製本のご注文はこちら」のボタンをクリックしてください。
目次
小川三郎「沼に水草」2 岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13 タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21 最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28 鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37 若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47 佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64 及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
*
谷川俊太郎『聴くと聞こえる』(上)83
オンデマンド形式です。
注文してから1週間程度でお手許にとどきます。
*
以下の本もオンデマンドで発売中です。
(1)詩集『誤読』100ページ。1500円(送料250円)
嵯峨信之の詩集『時刻表』を批評するという形式で詩を書いています。
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(2)評論『中井久夫訳「カヴァフィス全詩集」を読む』396ページ。2500円(送料450円)
読売文学賞(翻訳)受賞の中井の訳の魅力を、全編にわたって紹介。
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(3)評論『天皇の悲鳴』72ページ。1000円(送料250円)
2016年の「象徴としての務め」メッセージにこめられた天皇の真意と、安倍政権の攻防を描く。
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石毛拓郎詩集レプリカ―屑の叙事詩 (1985年) (詩・生成〈6〉) | |
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