詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

石毛拓郎「藁のひかり」

2018-03-08 10:00:50 | 詩集
石毛拓郎「藁のひかり」(「飛脚」19、2018年02月25日発行)

 石毛拓郎「藁のひかり」は水郷の灌漑溝に落ちた子どもを助けることが書いてある。石下が祖母から聞いた話だという。祖母は子守のマサさんから聞いたのだという。
 仮死状態である。多くの人はもうあきらめている。けれど、あきらめない人がいる。

ああ どんなであろうとも
助けてやりたい
--この、ぐずがぁ~!
近親者は みな集まってミトリをしている
もう 脈はねえ
もう 死んでる
--この、ぐずがぁ~!
--マサァーはやぐ、藁ば、もってこうや!

 「方言」が書かれている。これが、なかなか、いい。「方言」というのは、その土地でしかつかわれていないことばである。「方言」に触れると、その「土地」に引きずり込まれていくのである。
 その「土地」には、その「土地」にしかわからないことがある。
 そういう「細部」を取っ払う人もいるが、取っ払わない人もいる。
 そこから「細部」を取っ払って合理的に生きる人にはわからないことが起きる。

火の上に ぐったりと息がない手足をかざし
揺すりはじめる
すでに もう意識もない
--はやぐぅ、もっともっと、いっぺぇ、焚げぇ~!
水郷の子守は 急かされながらも
落ちつきはらって
藁のひかりを 浴びせつづけている
夢の処方で
藁のひかりを当てた 死に体の
腹と頭に
ひかりが 滲みこんでいくのがみえる

 さて、どこまでがマサさんのことばで、どこまでが祖母のことばか。「はやぐぅ、もっともっと、いっぺぇ、焚げぇ~!」はマサさんが直接聞いたことばだろう。それはそのまま祖母にもつたわり、石毛にもつたわっているだろう。
 そのあとの描写は、なかなかむずかしい。
 「標準語」だからね。
 マサさんが、石毛の書いているとおりに「発音」したとは思われない。祖母も同じ。祖母から聞いたことを石毛が再現しているのだろう。再構成が含まれているかもしれない。でも、その「再構成」に引き込まれていくのはなぜだろう。
 藁の、

ひかりが 滲みこんでいくのがみえる

 この「細部」の描写の力だ。
 マサさんは「細部」を見ていた。その「細部」はことばにしないとわからない「細部」である。
 この「細部」が引き継がれている。
 これが、美しい。
 この「救命術」が最終連に、こう書かれている。

水郷田園の子守マサは 小さい時分に知った
ひとつ覚えの救命術を
使ってみただけだった--。

 子どものときは藁を集め、火を焚く役目だったマサさんが、あるときこどもを助けた人のことを思い出し、こんどは同じ方法で助けた。そういうことがあったのかもしれない。よくわからないが、そこに

ひとつ覚え

 ということばがあって、ここで私はまた立ち止まるのだった。
 ここから「誤読」になるのだが、石毛はマサさんのことを「ひとつ」覚えている。それは、子どもが溺れて仮死状態になったとき、藁の火を焚いてこどもの体を温める。それは、でも「行為」のことではない。そういう「行為」のなかにある「気持ち」を覚えているということだ。「気持ち」は「ひとつ」。行為(救命術/救命方法)時代とともにかわるが、「気持ち」は「ひとつ」のままかわらない。
 で、どんな気持ち?
 書き出しに、戻るのだ。

ああ どんなであろうとも
助けてやりたい

 これが、「この、ぐずがぁ~!」という声になって動き、「はやぐぅ、もっともっと、いっぺぇ、焚げぇ~!」にもなっていたのだ。「ひとつ」がどんな「細部」になっていったか。石毛は、それを書いている。
 いや、こんなことよりも。
 こういう真剣なとき、「この、ぐずがぁ~!」という侮蔑が侮蔑にならないのは、なぜなんだろう。ののしられていても、ののしられている気持ちにならない。思い出すのは「ののしられた」ということではなく、むしろ、「勢い」に引き込まれて「助けてやりたい」という気持ちと「ひとつ」になった感じが強いからだろう。
 「ひとつ覚え」の「ひとつ」は「術」ではなく、むしろ、そのときの「気持ち」だ。
 

*


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目次

小川三郎「沼に水草」2  岩木誠一郎『余白の夜』8
河邉由紀恵「島」13  タケイ・リエ「飯田橋から誘われる」18
マーティン・マクドナー監督「スリー・ビルボード」再考21  最果タヒ「東京タワー」25
樽井将太「亜体操卍」28  鈴木美紀子『風のアンダースタディ』32
長津功三良『日日平安』37  若竹千佐子「おらおらでひとりいぐも」40
草森紳一/嵩文彦共著『「明日の王」詩と評論』47  佐伯裕子の短歌54
石井遊佳「百年泥」64  及川俊哉『えみしのくにがたり』67
吉貝甚蔵「翻訳試論――漱石のモチーフによる嬉遊曲」72
西岡寿美子「ごあんない」76
     *
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石毛拓郎詩集レプリカ―屑の叙事詩 (1985年) (詩・生成〈6〉)
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