詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳カヴァフィスを読む(162)(未刊9)

2014-08-31 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(162)(未刊9)   

 「ポセイドニア人」は、前書きにアテーナイオス『ディプノソピスタイ』を引用している。その散文を詩に書き直したものである。

ポセイドニア人はギリシャ語をなくした。
何百年も外人に混じって暮らしたからだ。
エトルリア人、ローマ人その他その他だ。

 ギリシャから離れて暮らし、その暮らしのなかで外国語を覚える。外国語で暮らすようになる。そのことを「ギリシャ語をなくした」ということばからはじめるのは、カヴァフィスが詩人だからだろう。ギリシャ語を話して、はじめてギリシャ人である。

祖先から受けついだものはただ一つ。
さるギリシャの祭り。その美しい儀式。
竪琴ひびかせ、笛吹かせ、競技を行い、花づなを飾る。
祭りの終わり頃に祖先の習慣を教えあい
ギリシャ式の名を名乗る、
わかるやわからずやの名を--。

 ことばが変わると名前も変わる。名前が変わるようになると、もうその人間はギリシャではなくなる。この改名のことは『ディプノソピスタイ』の引用にはないので、名前にカヴァフィスが強い思い入れをもっていることが窺い知れる。母国語と母国を感じさせる名前。--名前は、常に口に出して呼ばれるものであることを思うと、カヴァフィスにとってはことばとは「声」だったということがよくわかる。口に出してつかうことば。「声」となって届けられることば。音の響き。
 カヴァフィスの詩には口語が多いが(中井久夫は口語を巧みにつかって、ひとの「声」の特徴を引き出しているが)、その「声」への嗜好は、こういうところにも窺い知ることができる。
 さらに、

竪琴ひびかせ、笛吹かせ、

 このことばの動きの「音楽」。
 「竪琴をひびかせ、笛を吹かせ、」が正確な「文章語」なのだろうけれど、中井は「を」を省略することで、祭りの高揚したリズム、音楽をとらえている。カヴァフィスの「口語」好みを、こんなふうに日本語にするのはとても刺戟的だ。


リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
ヤニス・リッツォス
作品社

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