詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

中井久夫訳カヴァフィスを読む(186)(未刊・補遺11)

2014-09-23 06:00:00 | カヴァフィスを読む
中井久夫訳カヴァフィスを読む(186)(未刊・補遺11)

 カヴァフィスは「ローエングリン」がよほど好きだったらしい。「疑惑」というタイトルで、もっ一篇詩を書いている。それが「疑惑」である。(中井久夫の訳は書き出しが二字下げになっている部分があるのだが、行頭をそろえた形で引用する。)

して最悪のことを語らむ者は誰ぞ。
(言わざれらば良きものを)。
告げ来るは誰ぞ(耳貸さぬぞ。
聴かぬ。奴はだまされたるに相違ない)
不当な告発。して、次に
呼ばう声、呼び出し係の繰り返し呼ばう声。
ローエンリングの栄光の到来--
白鳥、魔剣、聖杯--
してついにその決闘、
テルラムント ローエンリングを倒しぬ。

 最後の一行は、ワーグナーの歌劇とは趣が違う。歌劇ではローエンリングがテルムラントを倒し、エルザの弟にかけられていた魔法も解くのだが、……これはカヴァフィスの別の見方かもしれない。
 テルムラントは決闘でローエンリングに負けるが、最後、「身元」を明かしたローエンリングはエルザのもとを去っていく。結局、テルラムントが勝ったのだ、とカヴァフィスは見るのかもしれない。

 ローエンリングが「身元」を隠していたように、カヴァフィスも「身元」を隠して恋をしたのだろうか。いくつもの恋をしながら、結局、カヴァフィスはその恋を「世間」に認められなかった。受け入れなれなかった。(か、どうかは、私は知らないのだが、たぶん「男色」は、世間に受け入れられる情況ではなかったと思う。)
 「身元」を追求する(その人が誰であるかを知りたい)というのは人間の欲望だろうけれど、本音(主観)が必ず幸福を連れてくるとはかぎらない。

 詩人としての名声を得たカヴァフィス。けれど、彼は「名声」よりも恋の成就をもめていたかもしれない。「身元」を詮索せずに生きる恋。
 「身元」を隠すという行為、ローエンリングに自分自身を重ね合わせているのかもしれない。

リッツォス詩選集――附:谷内修三「中井久夫の訳詩を読む」
クリエーター情報なし
作品社

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