2020年01月24日(金曜日)
私は「誤読」する。もちろんそれは意図的に誤読するのである。しかし、その「意図」を私は理解しているわけではない。何を目指しているのか、わからない。わかるのは「誤読」しないかぎりたどりつけないものがあるということだ。それは、どこかにすでに存在しているのではない。どこにも存在していない。あえていえば、すでに存在しているものを破壊したときに生まれるものなのだ。つまり、「誤読する」その瞬間だけに生まれ、ことばにしてしまった瞬間には消えてしまうものなのだ。
私は「誤読」する。もちろんそれは意図的に誤読するのである。しかし、その「意図」を私は理解しているわけではない。何を目指しているのか、わからない。わかるのは「誤読」しないかぎりたどりつけないものがあるということだ。それは、どこかにすでに存在しているのではない。どこにも存在していない。あえていえば、すでに存在しているものを破壊したときに生まれるものなのだ。つまり、「誤読する」その瞬間だけに生まれ、ことばにしてしまった瞬間には消えてしまうものなのだ。