詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

2020年01月24日(金曜日)

2020-01-24 23:16:47 | 考える日記
2020年01月24日(金曜日)

 私は「誤読」する。もちろんそれは意図的に誤読するのである。しかし、その「意図」を私は理解しているわけではない。何を目指しているのか、わからない。わかるのは「誤読」しないかぎりたどりつけないものがあるということだ。それは、どこかにすでに存在しているのではない。どこにも存在していない。あえていえば、すでに存在しているものを破壊したときに生まれるものなのだ。つまり、「誤読する」その瞬間だけに生まれ、ことばにしてしまった瞬間には消えてしまうものなのだ。


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