詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

北川清仁「水のなまえ」

2010-09-12 00:00:00 | 詩(雑誌・同人誌)
北川清仁「水のなまえ」(「アリゼ」137 、2010年06月30日発行)

北川清仁「水のなまえ」を読みながら、ことばが指し示すものの不思議さを思った。

知人のFさんがガンジス河の水を持ってきてくれた
彼女は この五月にリシケンという河のほとりの聖地で
果敢に沐浴をして ついでに水を汲んだという
仏様もさぞなつかしかろうと
グラスに入れて仏前にお供えした

 仏、釈迦はインドの生まれである。その故郷の水、ガンジス河の水は、たしかに「仏様」(釈迦)にはなつかしいかもしれない。
 そう書いた後で、私は不思議な気持ちになったのだ。

 でも、その水を供えた「仏前」の「仏」って、釈迦?
 違うねえ。
 名前は知らないが(聞いても私にはわからないが)、釈迦ではない誰かである。仏教の祖ではなく、つい最近亡くなった誰かである。その人は、まさかインドの生まれ、ガンジス河のそばで生まれ、暮らしたひとではなく、日本人だろう。そのひとが、ガンジス河の水をなつかしいというのは変じゃない?
 --というのは、まあ、屁理屈だねえ。
 そんな屁理屈とは無関係なところで、そういう屁理屈を超越しているところで、北川は(あるいはFさんは)、自然に「仏様(釈迦)」と、亡くなった知り合いである誰かをいっしょにしている。私がいつもつかうことばで言えば「誤読」している。
 そして、私自身、その「誤読」にすーっと誘い込まれて、あ、そうか仏様にはガンジス河の水はなつかしいよなあ、と思ったのだ。Fさんが、あるいは北川が水をお供えした相手が誰であるか知らないけれど(あるいは知らないからこそ、かもしれない)、私はそこに「仏様(釈迦)」そのものを感じた。
 たぶん、ガンジスの水を供えるという行為の中に、行為の向こう側に、釈迦を感じたのだ。
 そして思ったのだ。そうなのだ。死んでしまえば、誰でもが「釈迦」なのだ。その人が誰であったかは関係ない。みんな「釈迦」と一体になる。--あ、これは、なんといえばいいのだろう。私は仏教を読んだことはないのだが(わが家は仏教であるけれど)、これはすごい宗教の境地だとびっくりしたのだ。
 いままで読んできた「仏教」関係のことばをはるかに通り越して、真実を感じた。
 死んでしまえば釈迦、だから、その釈迦に水を供えることは、最初の釈迦に水を供えるのと同じなのだ。ガンジスの水はなつかしいでしょう、と捧げるこころ。そのとき、北川は(Fさんは)、釈迦そのもの、釈迦の教えそのものとしっかり向き合っている。あ、私は釈迦の教えそのものもよく理解していないのだけれど、その固い結びつき、美しい行為に、「いま」を忘れて引きこまれてしまった。
 いったん、これはいったい何? と屁理屈を書いてみたけれど、それはほんとうに屁理屈。美しい教えの前では、まったくの無意味なことばだね。

 うーん。

 このあと、詩は、美しいことばの世界へはいっていく。ことばとともに美しい世界があらわれてくる。釈迦の教えを私は知らないが(知らないから)、次のことばは釈迦そのものが語っていることばのように思える。
 釈迦といったいになった誰か(亡くなったひと)に水を供えることで、北川自身も釈迦と一体になったのだ。

考えてみれば
人体も六、七割が水であるらしいので
何々さんとお互い呼びあっているが
すこし白濁した水を湛えるこのグラスと
さほどかけ離れたものではない
それに この体の水の幾分かは
何年か前には荼毘の灰を飲み込んで滔々と流れていた
ガンジスの水の か細いひとつの末路にちがいない
水の来し方と行く末がどこかでつながっており
巡り巡って いろんなかたちとなりまた器を満たす
葉先の水滴 雲となり 海に注ぎ ケモノとなり 霧 樹と

そして ヒトビト
この 図々しく少し危なげな水の器たち
そこではたえず物語が生まれては流れ去っていく

いつも ま近くにいる
あなた
遠い昔 世の事物にまだ名前がなかった頃
ひっそりと水を湛えていたどこかの深い湖
その水のひとしずくを
わたしたちは分かち持っていると
あなたは信じるか

 「あなた」は「読者」のことかもしれない。亡くなった知人のことかもしれない。そして、私は、それはもしかすると釈迦かもしれないとも思うのだ。仏教の祖に対して、仏教の根源を問う。その北川がここにいるようにも思う。そして、その「問う」とは、答えを分かち持つ、そこからはじまる「ことば」を分かち持つことだとも思う。
 「輪廻」というものがあるとしたら、いま、ここに書かれている釈迦-北川の、問いと答えのなかにこそあるように思える。

 

インド思想―その経験と思索
北川 清仁
自照社出版

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