旭日旗と大漁旗は同じものか
自民党憲法改正草案を読む/番外300(情報の読み方)
2019年10月28日の読売新聞(西部版・14版)は、韓国が、東京五輪に旭日旗を持ち込むことを禁止するようもとめる国会決議をしたことを取り上げて、二面、三面で「日本政府の主張」を補足しながら「代弁」している。
その「論拠」が、つい最近、私がフェイスブックのサイトで体験したやりとりとそっくりなので、私は驚いてしまった。
読売新聞によれば、政府は「旭日旗は古くから国内に定着しており、政治的主張や軍国主義の象徴には当たらない」と言っている。(「象徴」ということばが、ここにつかわれていることに注目したい。)
これを読売新聞は、「旭日旗が大日本帝国陸軍の軍旗(略)、大日本帝国海軍の軍艦旗としてそれぞれ採用された」と明記した上で、こう「補足」している。(番号は私がつけた。)この「補足」が、私がネット上で対話したひとの主張とほぼ重なる。
①一般社会では、大漁旗や社旗などて古くから用いられている
②旭日は北マケドニア共和国の国旗、米アリゾナ州の州旗、ベラルーシ空軍の軍旗などにも見られる。
①は「不正確(不明瞭)」文章である。ことばを補えば
①旭日は一般社会では、大漁旗や社旗などて古くから用いられている
になる、そうするとわかりやすくなるが、①②の「主語」は「旭日」であって、「旭日旗」ではない。
「旭日」というのは「太陽」の「象徴」、あるいはそれをデザインしたものであって、「旗」そのものではなく「旗」を構成する一要素である。
韓国が決議したのは「旭日旗」の持ち込み禁止であって、「旭日」デザインの排除ではない。もし「旭日」デザインを排除すれば、北マケドニア共和国は東京五輪に国旗を持ち込めなくなる。そんなことを韓国がもとめるわけがない。
もし旗に「旭日」が描かれているだけで、それだけで「大日本帝国陸軍」「大日本帝国海軍軍艦」を指し示すのだとすれば、なぜ「大日本帝国陸軍」「大日本帝国海軍軍艦」は「大漁旗」を掲げなかったのか。あるいはいまの自衛艦隊は「北マケドニア共和国の国旗、米アリゾナ州の州旗、ベラルーシ空軍の軍旗」を掲げないのか。理由は簡単だ。「大漁旗」「北マケドニア共和国の国旗、米アリゾナ州の州旗、ベラルーシ空軍の軍旗」は「旭日旗」ではあり得ないからだ。
「旭日」という「同じ象徴」をつかっていても、その「象徴」をつかったものが同じものを指し示すとは限らない。「象徴」と、それのつかい方(具体的なもの、行動)の関係を見極めなければならない。
読売新聞は、ナチス党旗の「ガギ十字」との対比で、こういうことも書いている。
③旭日旗が日本文化に根ざす一方で、カギ十字は、ユダヤ人虐殺につながるナチスの人種差別思想が込められており、(略)ヒトラーは、カギ十字を「アーリア人」優越思想の象徴として用いた
ここに「象徴」というこばが、ふたたび登場する。
③は「旭日旗」と書き始められているが、これは本来は「旭日旗」ではなく、「旭日」であり、「旭日が日本文化に根ざす」でないと、「カギ十字」とは対応しない。
そしてもし「旭日が日本文化に根ざす」ということをほんとうに主張するのならば、「北マケドニア共和国の国旗、米アリゾナ州の州旗、ベラルーシ空軍の軍旗」の「旭日」も「日本文化に根ざす」と言わなければならなくなる。とても変である。だから、ここでは②でつかった「旭日」ということばはつかわずに「旭日旗」と言っているのである。
「旭日」と「旭日旗」をつかいわけて論理をごまかしている。
こういう論理は、「日本の伝統」などを口にしながら、結局、日本の伝統をバカにしている。大漁と安全を願って海に出る漁師の気持ちを踏みにじるものだ。漁師たちは日本陸軍や海軍、自衛隊とと同じ気持ちで漁に出るわけではないだろう。
さらにこうも書いている。
④ユダヤ人虐殺への反省などから、戦後のドイツではカギ十字の掲揚が禁じられた。違反には金庫3年以下か罰金の刑が科せられる。
「旭日旗」に関しては、そういう「法律」はない。だから五輪への持ち込みを「禁止」する必要はない、といいたいのだろう。
さて。
と私は思うのだ。
「日の丸」という国旗があるのに、なぜ一部のひとたちは「旭日旗」を持ち込まないと日本を応援できないのか。「日の丸」の旗は「日本の象徴」ではないのか。「日の丸」の旗では、日本の「何」が「象徴」できないのか。何をあらわすことができないのか。
さらに、「旭日」が日本文化に根ざす「象徴」なら、その「旭日」が描かれている「大漁旗」で応援してもよさそうなのに、なぜわざわざ「大日本帝国陸軍旗」「大日本帝国海軍軍艦旗」そのものである「旭日旗」にこだわるのか。
どう考えても、この「旭日旗」でなければならないという「こだわり」はおかしいだろう。
きのう御厨貴の文章に触れて「象徴」ということばのつかい方のいいかげんさに触れたが、「象徴」ということばは「象徴天皇」に代表されるように、「あいまいな」定義のまま流通している。「あいまい」であることを利用して「政治利用」されている。
御厨は、天皇を「権威の象徴」と呼んだが、これは「即位の礼」のあとなので、なんとなく「権威」をそのまま受け入れてしまいそうになるが、たとえば平成の天皇の行動をみてみれば「権威の象徴」であったときがあるのだろうか。たとえば東日本大震災の被災地を訪問し、膝をついて被災者に語りかける。そのとき天皇は「悲しみの象徴」「絶望の象徴」「不安の象徴」「生きなければという決意の象徴」「寄り添いたいという多くの国民の象徴」ではなかったか。「権威」というものを捨てて、よりそう。膝をつくという姿勢が、そういうことを語っている。ノーベル賞受賞者に声をかけるときは「よろこびの象徴」でもあるだろう。戦没者追悼式、広島、長崎の原爆の日の追悼、沖縄慰霊の日の追悼では、「平和な日本がつづきますように」という「祈り、願いの象徴」ではないだろうか。「平和への祈り、願い」は力のない国民の、弱い人間の「象徴」でもある。
勝手に「権威の象徴」などと決めてはいけない。御厨が天皇を「権威の象徴」と呼んだのは、安倍を「権力の象徴」と呼ぶためであり、それは「天皇への不可侵」を多くのひとが前提としていることを利用して、「権力への不可侵(権力を批判してはいけない)」のための「方便」(レトリック)なのだということを見抜く必要がある。御厨は、先の文章で、「私はこんなに安倍に仕えています」ということを安倍に語っているだけなのだ。そして、「みんなも安倍に仕えれば、安倍の引き立てにあい、幸せになれるんだよ、批判なんかしていたら貧乏人のままだよ」と笑っているのだ。
あ、最後の方は怒りが収まらなくなって、ことばが暴走したなあ。でも、思ったことなのだから、そのまま書いておく。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
*
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自民党憲法改正草案を読む/番外300(情報の読み方)
2019年10月28日の読売新聞(西部版・14版)は、韓国が、東京五輪に旭日旗を持ち込むことを禁止するようもとめる国会決議をしたことを取り上げて、二面、三面で「日本政府の主張」を補足しながら「代弁」している。
その「論拠」が、つい最近、私がフェイスブックのサイトで体験したやりとりとそっくりなので、私は驚いてしまった。
読売新聞によれば、政府は「旭日旗は古くから国内に定着しており、政治的主張や軍国主義の象徴には当たらない」と言っている。(「象徴」ということばが、ここにつかわれていることに注目したい。)
これを読売新聞は、「旭日旗が大日本帝国陸軍の軍旗(略)、大日本帝国海軍の軍艦旗としてそれぞれ採用された」と明記した上で、こう「補足」している。(番号は私がつけた。)この「補足」が、私がネット上で対話したひとの主張とほぼ重なる。
①一般社会では、大漁旗や社旗などて古くから用いられている
②旭日は北マケドニア共和国の国旗、米アリゾナ州の州旗、ベラルーシ空軍の軍旗などにも見られる。
①は「不正確(不明瞭)」文章である。ことばを補えば
①旭日は一般社会では、大漁旗や社旗などて古くから用いられている
になる、そうするとわかりやすくなるが、①②の「主語」は「旭日」であって、「旭日旗」ではない。
「旭日」というのは「太陽」の「象徴」、あるいはそれをデザインしたものであって、「旗」そのものではなく「旗」を構成する一要素である。
韓国が決議したのは「旭日旗」の持ち込み禁止であって、「旭日」デザインの排除ではない。もし「旭日」デザインを排除すれば、北マケドニア共和国は東京五輪に国旗を持ち込めなくなる。そんなことを韓国がもとめるわけがない。
もし旗に「旭日」が描かれているだけで、それだけで「大日本帝国陸軍」「大日本帝国海軍軍艦」を指し示すのだとすれば、なぜ「大日本帝国陸軍」「大日本帝国海軍軍艦」は「大漁旗」を掲げなかったのか。あるいはいまの自衛艦隊は「北マケドニア共和国の国旗、米アリゾナ州の州旗、ベラルーシ空軍の軍旗」を掲げないのか。理由は簡単だ。「大漁旗」「北マケドニア共和国の国旗、米アリゾナ州の州旗、ベラルーシ空軍の軍旗」は「旭日旗」ではあり得ないからだ。
「旭日」という「同じ象徴」をつかっていても、その「象徴」をつかったものが同じものを指し示すとは限らない。「象徴」と、それのつかい方(具体的なもの、行動)の関係を見極めなければならない。
読売新聞は、ナチス党旗の「ガギ十字」との対比で、こういうことも書いている。
③旭日旗が日本文化に根ざす一方で、カギ十字は、ユダヤ人虐殺につながるナチスの人種差別思想が込められており、(略)ヒトラーは、カギ十字を「アーリア人」優越思想の象徴として用いた
ここに「象徴」というこばが、ふたたび登場する。
③は「旭日旗」と書き始められているが、これは本来は「旭日旗」ではなく、「旭日」であり、「旭日が日本文化に根ざす」でないと、「カギ十字」とは対応しない。
そしてもし「旭日が日本文化に根ざす」ということをほんとうに主張するのならば、「北マケドニア共和国の国旗、米アリゾナ州の州旗、ベラルーシ空軍の軍旗」の「旭日」も「日本文化に根ざす」と言わなければならなくなる。とても変である。だから、ここでは②でつかった「旭日」ということばはつかわずに「旭日旗」と言っているのである。
「旭日」と「旭日旗」をつかいわけて論理をごまかしている。
こういう論理は、「日本の伝統」などを口にしながら、結局、日本の伝統をバカにしている。大漁と安全を願って海に出る漁師の気持ちを踏みにじるものだ。漁師たちは日本陸軍や海軍、自衛隊とと同じ気持ちで漁に出るわけではないだろう。
さらにこうも書いている。
④ユダヤ人虐殺への反省などから、戦後のドイツではカギ十字の掲揚が禁じられた。違反には金庫3年以下か罰金の刑が科せられる。
「旭日旗」に関しては、そういう「法律」はない。だから五輪への持ち込みを「禁止」する必要はない、といいたいのだろう。
さて。
と私は思うのだ。
「日の丸」という国旗があるのに、なぜ一部のひとたちは「旭日旗」を持ち込まないと日本を応援できないのか。「日の丸」の旗は「日本の象徴」ではないのか。「日の丸」の旗では、日本の「何」が「象徴」できないのか。何をあらわすことができないのか。
さらに、「旭日」が日本文化に根ざす「象徴」なら、その「旭日」が描かれている「大漁旗」で応援してもよさそうなのに、なぜわざわざ「大日本帝国陸軍旗」「大日本帝国海軍軍艦旗」そのものである「旭日旗」にこだわるのか。
どう考えても、この「旭日旗」でなければならないという「こだわり」はおかしいだろう。
きのう御厨貴の文章に触れて「象徴」ということばのつかい方のいいかげんさに触れたが、「象徴」ということばは「象徴天皇」に代表されるように、「あいまいな」定義のまま流通している。「あいまい」であることを利用して「政治利用」されている。
御厨は、天皇を「権威の象徴」と呼んだが、これは「即位の礼」のあとなので、なんとなく「権威」をそのまま受け入れてしまいそうになるが、たとえば平成の天皇の行動をみてみれば「権威の象徴」であったときがあるのだろうか。たとえば東日本大震災の被災地を訪問し、膝をついて被災者に語りかける。そのとき天皇は「悲しみの象徴」「絶望の象徴」「不安の象徴」「生きなければという決意の象徴」「寄り添いたいという多くの国民の象徴」ではなかったか。「権威」というものを捨てて、よりそう。膝をつくという姿勢が、そういうことを語っている。ノーベル賞受賞者に声をかけるときは「よろこびの象徴」でもあるだろう。戦没者追悼式、広島、長崎の原爆の日の追悼、沖縄慰霊の日の追悼では、「平和な日本がつづきますように」という「祈り、願いの象徴」ではないだろうか。「平和への祈り、願い」は力のない国民の、弱い人間の「象徴」でもある。
勝手に「権威の象徴」などと決めてはいけない。御厨が天皇を「権威の象徴」と呼んだのは、安倍を「権力の象徴」と呼ぶためであり、それは「天皇への不可侵」を多くのひとが前提としていることを利用して、「権力への不可侵(権力を批判してはいけない)」のための「方便」(レトリック)なのだということを見抜く必要がある。御厨は、先の文章で、「私はこんなに安倍に仕えています」ということを安倍に語っているだけなのだ。そして、「みんなも安倍に仕えれば、安倍の引き立てにあい、幸せになれるんだよ、批判なんかしていたら貧乏人のままだよ」と笑っているのだ。
あ、最後の方は怒りが収まらなくなって、ことばが暴走したなあ。でも、思ったことなのだから、そのまま書いておく。
#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位
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「天皇の悲鳴」(1000円、送料別)はオンデマンド出版です。
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オリンピックメダルと旭日旗はおなじものか?
かに道楽のオブジェと旭日旗は同じものか?