詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

池田順子「水域」

2010-07-23 00:00:00 | 詩(雑誌・同人誌)
池田順子「水域」(「ガーネット」61、2010年07月01日発行)

 池田順子「水域」は突然はじまる詩である。状況が書かれていない。書かれていないから、勝手に想像するのだけれど、これはとてもいい詩である。
 その全行。

おおきなからだが
ぐらりとかたむいて
ふいにからだのなかの水域が
高くなった
父の
目がしら

背後のやまが
いっせいに後退していく
のがわかる

つられて
よろめいた
わたしの
からだのなかの水域が
危険水位を越え
高くなっていた

父のからだから
わたしのからだへ
うごくみず

ことばがはまる
くいにひっかかったり
浮いたり
沈んだり
ことばがいっしょに
おしながされて
雲になる

夏の雲が
空をおしあげていく

 池田は父といっしょにいる。そこでどんなことばが交わされたか。あるは交わされなかったか。たぶん、ことばは交わしていない。ことばは交わさなくても、父と子であるから、通じるものがある。
 父のからだが揺れ(ぐらりと傾く)、「わたし」のからだもゆれる。傾く。
 それを「水」の揺れとして池田は書いている。人間のからだのなかにはいろいろな「水」があるが、ここに書かれている「水」は涙である。涙が、からだの奥からこみあげ、のどもとを押し上げ、いま「目がしら」まできている。あふれる寸前である。
 それにあわせて池田の「水」もかさを増し、父の「水」が池田のからだのなかに次々にそそぎこまれ、池田の涙も限界水域を越える。
 ことばがうまく動いてくれない。
 そのかわり、「水」はどんどん積み重なるようにして高くなる。
 ふたりのからだを突き破って、夏の雲、入道雲のように、高く高くのぼっていく。空さえ押し上げる。
 この「共感」がいい。

 2連目、

背後のやまが
いっせいに後退していく
のがわかる

 この「わかる」は、「やまが/いっさいに後退していく」と感じる父の感じ方、気持ちが「わかる」である。
 「気持ち」の「共有」。それが「わかる」。
 「わかる」から、ことばはいらない。「わかる」とは、和解でもある。

人気ブログランキングへ




コメント    この記事についてブログを書く
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする
« 志賀直哉(11) | トップ | ローラン・ティラール監督「... »
最新の画像もっと見る

コメントを投稿

ブログ作成者から承認されるまでコメントは反映されません。

詩(雑誌・同人誌)」カテゴリの最新記事