「冬の日」。後半が好きだ。
メグロ駅の方へ冬の祭りを見に走つた。
駅の近くのスキピオとかいう家
でおばあさんが笛を吹いて
酒もりをしている。
紫紺に染め草色のうらをつけた
我がマントをうしろからひつぱる少年がいた。
『さんまも栗も終つたが是非
おたちよりを願いたいとだんなが
いつていやはります
ソクラテスはんも来てやはる』
これはプラトンの「共和国」
の初めだ。
なぜ、メグロ(目黒、だろう)にスキピオが出てきたり、プラトンが出てきたりするのか、その飛躍は、まあ、単なる飛躍だ。そういうことは考えても仕方がない、と私は考える。そういう飛躍に、私は、詩を感じない。
しかし、キスピオの行に関して言えば、その行の独立のさせ方に詩を感じる。
駅の近くのスキピオとかいう家
でおばあさんが笛を吹いて
という行の展開は、教科書国語ではありえない展開である。「で」という助詞は単独では存在し得ない。「家+で」という形でつかわれるのが一般的である。ところが、西脇は、この「で」を切り離し、次の行の冒頭におく。あるべき「で」を欠くことで、「スキピオとかいう家」が独立する。その独立のさせ方に、詩がある。
詩とは、ことばの独立である。
西脇は、もしかするとどこかでそんなことを書いているかもしれない。書いていないかもしれない。不勉強な私にはよくわからないが、西脇が、詩をことばの独立と考えていたことは、その行からだけでもわかる。
そして、詩とは、ことばの独立であるからこそ、
いつていやはります
という行が、また1行として書かれもするのだ。少年のことばは、教科書国語では「さんまも栗も終つたが/是非おたちよりを願いたいと/だんながいつていやはります」になるが、そういう「文法」破壊し、西脇はことばを独立させる。
「文法」を破壊することで「意味」の「通り」を寸断し、「意味」を宙ぶらりんにする。「意味」を「脱臼」させるといってもいいかもしれない。そたでは「意味」は動かず、ただことばが、音として、その形をみせる。
いつていやはります
京都弁か、あるいはその近辺の関西弁か。よくわからないが、標準語ではない。「メグロ」の近くで話されていることばではない。
その「音」の独立。
西脇が「意味」を書きたいのなら、わざわざ、「いつていやはります」とは書かないだろう。
音が独立し、そして、その独立して存在することが、また「スキピオ」や「プラトン」ともつながるのである。「目黒」が「メグロ」という音になってしまったとき、それは「目黒」という東京の「場」を超越して、祝祭の「場」になる。それは「スキピオ」の時代につながり、京都に重なり、プラトンとも交流する。
こんなでたらめ(?)は詩の特権である。
独立したことばは、「いま」「ここ」にしばられない。自由に時間、空間を超越して、音として互いに響きあう。
こんな例えが適切であるかどうかわからないが、それはピアノとバイオリンとフルートが、「ド・レ・ミ」の和音をつくるように、響きあう。
西脇の「和音」を聞きとるためには、たぶん、いろいろな文学素養が必要なのだろう。(そういう解説書はたぶんたくさん書かれているだろう。)けれど、たとえ文学的素養がなくても、耳をすませば、その音楽は聞こえる。
音にはいろんな層がある。哲学的言語。文学的言語。そういうものばかりではなく、東京弁。京都弁。商人のことば。やくざのことば。少年のことば。女の声。男のなげき。そういうものを、西脇はさまざまに響かせる。
どんなことばも、音として響きあうのだ。
ソクラテスはんも来てやはる
「ソクラテス」と京都弁も響きあうのだ。「は」という音は、日本語本来の音としては文頭以外では「わ」というふうに発音される。例外は「はは」くらいで、外は助詞の「は」が「わ」であるのと同じように、「わ」。「やはた」は「やわた」。けれども、「いつていやはります」「ソクラテスはん」「来てやはる」の「は」は「は」のまま。日本語としては標準語より京都弁(関西弁)の方が古いはず(と私は勝手に思っている)だが、その古いはずのことばが「は」を「わ」と発音しない。まるで、外国語である。--と、西脇が感じたかどうかはしらないが、この行が、標準語ではなく京都弁として書かれているのは、そこに書かれているのが「意味」だけではないことの証拠になるだろう。西脇はいつでも音のことを考えていた証拠になるだろうと思う。
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