『旅人かへらず』のつづき。
九六
(略)
路ばたで鶯が鳴いてゐた
『あの鶯の鳴き方はうちの八百屋の
小僧が自転車にのりながらまねする
鶯の声より下手だ』
不動も詣らずに帰つた
鶉の鳴く日の如く淋しかつた
前半も好きだが、私は、この部分がとても好きだ。音、声に対する西脇の関心があらわれている。
この発言者は「石川先生」なのだが、他人の話した音に対することを、そのまま書き留めているところがおもしろい。
あるいは、これは西脇の思いを、「石川先生」に託してことばにしたものかもしれない。
九七
風は庭をめぐり
黄色いまがつた梨を
ゆすり
小さい窓からはいつて
燈火を消すことがあつた
風の描写だが、2行目に、西脇の「まがつた」が、また出てくる。「まがつた梨(の枝、あるいは木)を」という意味かもしれないが、熟れた西洋梨であってもおもしろいかもしれない。丸ではなく、ひょうたんのようにねじくれた実を、「まがつた」ということばがひきだす。そして、その西洋梨のゆがんだ形は、風にゆすられて変形する炎のようにも見える。
西脇は、絵画的でもある。
「九六」にもどる。
春はまだ浅い
山々はうす黄色く
松林が黒くぼけてゐる頃
石川先生と多摩の丘陵を歩く
谷に水車がまはつてゐた
「うす黄色」と「黒くぼけた」色。この美しさ。ギリシャの映画監督、テオ・アンゲロプロスが読んだら、この黄色と灰色の組み合わせを撮るために、多摩の丘陵を必死になって歩き回るに違いない。テオ・アンゲロプロスの大好きな水(水車)もあることだし……。
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