詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

誰も書かなかった西脇順三郎(50)

2009-08-07 07:58:55 | 誰も書かなかった西脇順三郎

 『旅人かへらず』のつづき。

九六
(略)
路ばたで鶯が鳴いてゐた
『あの鶯の鳴き方はうちの八百屋の
小僧が自転車にのりながらまねする
鶯の声より下手だ』
不動も詣らずに帰つた
鶉の鳴く日の如く淋しかつた

 前半も好きだが、私は、この部分がとても好きだ。音、声に対する西脇の関心があらわれている。
 この発言者は「石川先生」なのだが、他人の話した音に対することを、そのまま書き留めているところがおもしろい。
 あるいは、これは西脇の思いを、「石川先生」に託してことばにしたものかもしれない。

九七
風は庭をめぐり
黄色いまがつた梨を
ゆすり
小さい窓からはいつて
燈火を消すことがあつた

 風の描写だが、2行目に、西脇の「まがつた」が、また出てくる。「まがつた梨(の枝、あるいは木)を」という意味かもしれないが、熟れた西洋梨であってもおもしろいかもしれない。丸ではなく、ひょうたんのようにねじくれた実を、「まがつた」ということばがひきだす。そして、その西洋梨のゆがんだ形は、風にゆすられて変形する炎のようにも見える。

 西脇は、絵画的でもある。
 「九六」にもどる。

春はまだ浅い
山々はうす黄色く
松林が黒くぼけてゐる頃
石川先生と多摩の丘陵を歩く
谷に水車がまはつてゐた

 「うす黄色」と「黒くぼけた」色。この美しさ。ギリシャの映画監督、テオ・アンゲロプロスが読んだら、この黄色と灰色の組み合わせを撮るために、多摩の丘陵を必死になって歩き回るに違いない。テオ・アンゲロプロスの大好きな水(水車)もあることだし……。






西脇順三郎コレクション〈第6巻〉随筆集
西脇 順三郎
慶應義塾大学出版会

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