詩はどこにあるか(谷内修三の読書日記)

日々、読んだ本の感想。ときには映画の感想も。

天皇は何の象徴か

2019-10-27 19:28:10 | 自民党憲法改正草案を読む
天皇は何の象徴か
             自民党憲法改正草案を読む/番外299(情報の読み方)

 2019年10月27日の読売新聞(西部版・14版)に御厨貴が寄稿している。一面、二面にまたがる「地球を読む」というコラムだ。「即位礼に思う/令和の政治 始まる予兆」というタイトルで、即位礼で天皇に向かって安倍がことばを述べ、万歳をしたことについて、こういうことを書いている。

 天皇と総理大臣が距離感と緊張関係に改めて思いをいたしながら、一つの政治が終わり、新たなる政治が始まる予兆を感じた。わが国の「権威の象徴」である天皇と、「権力の象徴」たる総理とが、今後の進路へと思いを馳せつつ対面していたからだ。

 私はびっくりした。
 天皇はいつから「権威の象徴」になったのだろうか。日本国憲法は、

日本国の象徴であり日本国民統合の象徴であって、

 と書いている。どこにも「(わが国の)権威の象徴」とは書いていない。天皇は「権威」ではない。
 さらに内閣総理大臣(総理)については、憲法は「行政権は、内閣に属する」(第65条)と定めたうえで、第66条で、

内閣は、法律の定めるところにより、その首長たる内閣総理大臣及びその他の国務大臣でこれを組織する。

 と書いている。ここにも「権威の象徴」ということばはない。
 だいたい「法律の定めるところにより」という文言からわかるように、「総理」は「法律」に従わないといけない。そして、その法律をつくるのは「内閣」ではなく「国会」である。憲法は、大事なことから先に書く。国民、国会、内閣という順に書き起こされている。内閣総理大臣は、たかだか行政の長にすぎない。「権力」でもないし「権力の象徴」でもない。「権力」はあくまで「国民」が握っている。「国民主権」が日本の憲法の理念である。
 御厨は、これを勝手に、書き換えている。
 そして、その書き換えをおこなうとき「象徴」ということばを利用して、「天皇」と「総理」を向き合わせている。一体にさせようとしている。
 その「中心」に「距離感と緊張関係」という奇妙であいなまいなことばと「象徴」が動いている。
 「天皇の権威」というものを私は認めないが、国民の中には「全体的権威」ととらえるひともいる。そういう「意識」を抱き込みながら、御厨は、「権威」を後ろ楯に、総理を「権力の象徴」に仕立てようとしている。
 「距離感と緊張関係」いいながら、やろうとしているのは逆のことである。「距離感と緊張関係」を保つのではなく、「あいまいさ」を利用して、そこに存在するはずのものを入れ替えてしまう。のっとってしまう。
 読み直してみよう。

「権威の象徴」である天皇と、「権力の象徴」たる総理

 と御厨は書くが、このとき問題なのは「権威の象徴」と呼ばれた天皇は、憲法で国政に関する権能を封じられているのに対し「権力の象徴」と定義された安倍は国政に関する権能を持っているということだ。天皇が「象徴」であるがゆえに、権能を持たないと定義されていることをいいことに、安倍は、その封じられている「国政に関する権能」を「権威の象徴である天皇」にかわって執行するということなる。「権威の象徴」である天皇は「象徴」というあいまいなものであるだけに何もできないのに対して、「権力の象徴」である総理は「象徴」なのに「実働力」を持つ。
 これは、どう考えても変だろう。
 「象徴」である天皇に「権能」がないのなら、「象徴」である総理にのみ「権能」があるというのは、「象徴」のダブルスタンダードというものだ。「象徴」が「権能」というものを持たないのなら、「権力の象徴」としての総理も「権能」をもってはならない。そうしないと、「象徴」の「意味」が違ってしまう。
 もちろん同じことばでも「文脈」で「意味」が違うというときはある。しかし、ここで展開している御厨の「論」は「同じ文脈」とういか、「一つの文脈」である。
 こういう「ごまかし」が安倍の側近には非常に多い。ことばの「定義」をあいまいにずらしていく。国民がことばの「定義」をつきつめて考えないことを利用して、ごまかしを重ねる。
 これは「戦争法」を成立させたときに、非常にたくみにおこなわれた。「集団的自衛権」ということばの「集団」も「的」も「自衛」も、中学生以上ならだれでも「意味」は知っている。その知っているままの「意味」を重ねると、「集団で日本を守る」という具合に簡略化される。ほんとうは、同盟国であるアメリカが攻撃されたら、その攻撃を受けた場所がどこであろうと(アメリカ本土ではなく、中東であろうと)、それを日本への攻撃とみなして、アメリカといっしょになって、たとえば中東で戦う(中東へ自衛隊を派遣する)というものなのだが、多くの国民は「日本が中国や北朝鮮から攻撃を受けたら、アメリカはもちろん近隣の諸国と集団で日本を守る」と思い込んだのである。そして、日本を近隣諸国といっしょになって守って何が悪いのか、日本だけでは守れないから近隣諸国といっしょになって戦うための法律と思い込んだのである。(いまでもそう思っているひとが大勢いる。)
 いま、御厨がやろうとしていることは「象徴」ということばで「天皇」と「総理」を合体させ、「権力の象徴」と呼んだものを、そのまま「権威の象徴」にまで高めるということである。安倍を、権力者として定義するだけではなく、権威者としても定義し、「独裁」を絶対的なもの(不可侵のもの)にするということである。
 さすがに安倍に引き立てられて、平成の天皇を強制生前退位させるための根回しをした人間である。どこまでも安倍を持ち上げ、安倍を頂点とするヒエラルキーの「上部」に自分を位置づけようとしているのだろう。

 まったくムカムカする。こういう感情的なことは、論理を見えにくくするから書きたくないのだが、私はきょうは朝からムカムカしている。日中は感情をおさえて、冷静に対処しないといけないことをしていたのだが、その間中も思い出してはムカムカし、いま書き終わって、やっと少し落ち着いた。
 だが、ここで落ち着いてはいけない、とまた自分を叱っている。みんなで怒ろう。御厨のことばの「罠」を批判しよう。




#安倍を許さない #憲法改正 #天皇退位 
 


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