BLACK SWAN

白鳥のブログ - 日々の世界を徒然と

五等分の花嫁 第122話 感想8: 夢オチって曲解されている?

2020-02-21 17:08:30 | 五等分の花嫁
ちょっと気になったので。

あの終わり方は夢オチじゃない、っていうのは、確かに初見ではそうかもしれない。

「あの時も同じことを思ったんだ」

っていう風太郎の独白の「あの時」が、結婚式後の時間から振り返って「あの時」という意味に聞こえるから。

でも、全く同じことは、目覚めた後に、さっき見ていた夢を思い出して「あの時」と言うこともできる。

だから、正確に言えば、あのセリフだけをとれば、どちらでも解釈は可能。

じゃあ、夢オチ、というのはどうしてか、ということだけど。

でも、その前にちょっと足しておくと、夢オチ、って作劇上のテクニックだから、言葉尻だけから自明な夢オチなんて、そもそもないんだ、ということ。

だから、セリフの上では、夢オチには見えない、ように書くのが第一。

で、あの最後のシーンは、まず、その要件を満たしている。

ただ、その上で、どちらとも取れる、ということ、

そして、わざわざ最後に夢見の場面を付け加える、ということは、

作劇上は、夢オチを狙いたい、という意図があったといえる。

だって、夢オチじゃないと断言している人たちの多くは、一度は、あれ、これもしかして夢?と思ったところで、先ほどの、

「あの時も同じことを思ったんだ」

を見て、ホッとしているはずだから。

でも、それで、本当に夢オチじゃないなら、わざわざ、ここで夢を見ていた、なんて場面を入れる必要はない。

そういう意味では、あの結婚式は「予知夢」だったのか?という言葉の使い方は間違い。

なぜなら、「予知夢」といった時点で、5年後の結婚式を作中ですでに起こった事実とみなしていることが前提にされているから。

予知かどうか、は関係なく、結婚式は、ただの夢かどうか、が適切な言葉遣い。

で、ここからさきは、作劇上の判断になるけど、それは、

これまで、この物語では、風太郎が夢を見ている場面が多々生じていること、

なにより、そもそも物語の冒頭で「夢」に触れられていること、

だから、そこから夢オチが試みようという仕込みがされていることは自明。

その上で、ミサンガや指輪をはじめとした、今まで言及されてきた結婚式場での登場アイテムの描写が見当たらないこと、

といった周辺状況がある。

そこから、これは、夢オチと、後で言ってもどうとでもなる、という仕込みがされていると考えてもいい、ということで。


ついでに言っておけば、最後の高校生の場面は、すでに四葉にプロポーズした後だから、四葉エンドは揺るがない、という見方もあるようだけど、

よく見ると、あの場面で、五つ子は、一花以外、夏服を着ているので、少なくとも時期としては、日の出祭前とみなしていい。

なので、時系列的には、まだ四葉を選ぶ前のいつか、ということになると思う。

日の出祭中は、ガーディガンを羽織っているので。

ちなみに、風太郎が夢から覚めた場所は、五つ子のマンションのソファーだから、屋内ということで、外では羽織っていたものを脱いでいる、という解釈も一応、可能。

ただ、それも含めて、時間は、四葉の選択後とは断定できない。

要するに、曖昧だ、ということ。

で、これは何回か書いたことだけど、このように頻繁に寝てしまう風太郎は、夢見がちという点で「信用のおけない語り手」であることは間違いない。

むしろ、作者は、そのことを、(特に最終話に限らず)これまで何度も作中で意図的に示してきている。

そういうことまで考えて、「夢オチ」と見ることができるということ。

というか、これは、絶対夢オチじゃない、と言い切れる最終話ではない時点で、あの終わり方に信用がおけない、ということ。


なので、これが夢オチじゃないという人がいるのは、理解できる。

だって、そのために両義的な終幕にしているのだから。

ただ、夢オチかどうかは、最後の一文の「日本語の読解力」とかで決定できるものではない、ということ。

だから、シンプルに、単行本化の際に、作者が、最後をちゃんと結婚式場の場面にもどして回想していた、というふうにはっきり書き直さない限りは、夢オチと解釈しておくほうが、この物語の全体を通じて読んだときは妥当だろう、ということ。

当然、最後の場面まで読み終えたところで、あ、これは夢オチだったんだ、というのは、そういう読み方をしてきたからで、だから、大事なのは、一文の解釈がどうこうではなく、これまでの文脈がどうだったかにある、ということになる。

そういう意味で、終幕直前で、夢のシーンを入れてきたことがすでに、確信犯であるということ。

ということで、ここでは、これは夢オチだった、と思った次第。

それが絶対的な正解だとまでは言わないけど、解釈が分かれる曖昧な描き方が始終されて来た時点で、これは夢オチでしょ、ということ。

ただ、夢オチと言っているやつは読解力がない、とか言われるのは違うだろう、と。むしろ、逆だろう、ということ。

まぁ、どうでもいいことといえば、いいことなんだけどねw


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五等分の花嫁 第122話 感想7: まさか『東京大学物語』が繰り返されるとは…

2020-02-21 12:13:39 | 五等分の花嫁
さて、そろそろ最終話から2日くらいたって、いい感じに反響も安定してきたところだろうから、ちょっと本音っぽいことも書いておこうかな。

今のところは、夢オチに至った背景とか事情とか、その(今後への)影響とか効果のほうに焦点を当てていたから。

でも、単純な一つの作品の終わりとしてみたとき、どうか?

いや、案の定、ツイッターとか見ると、素晴らしい作品をありがとう!、とか、四葉の花嫁、よかったです、とか、あの終わり方を肯定するものがどんどん流れてくるし、

「堂々完結!」とか「大団円」とか、えー、さすがにあれでそれはないでしょ?という礼賛の表現が、臆面もなく使われたりしていて。


でもさー、ぶっちゃけ、あんなヌルい、ぼんやりした終わり方、一つの作品としては、全然ダメでしょ?

はっきりいって、失敗作だし、よく行っても、あまたある凡作にまで落ちたよね。


そもそも四葉エンドって、それまであった伏線やら展開からしたら、無理がありまくりだし、これはちょくちょく触れてきたことだけれど、四葉って、あの五つ子の五人の中では、別格なくらい魅力に欠けるよね?

いや、それだけじゃなく、そもそも邪悪じゃない?

さんざんっぱら、キスとかそういうものから遠い存在と思っていたら、無意識のうちにあれこれ風太郎に手を出すし、

三玖には、なりすましで付き合おうとするのは倫理的にダメだと思う、とか素でいいながら、少なくとも、作品の公式見解としては、四葉が五月の姿のままで鐘キスの相手だった、ということでしょ?

まぁ、あの鐘キスは、風太郎の夢の中での描写となったから、現実世界ではノーカンだけどさ。

とにかく、鐘キスについては、まったくもって納得ができず、この点では、他の姉妹を推している人たちの憤懣やるかたない気分の方にまったくもって同意。


加えて、京都の子も、写真のことも、零奈のことも、全部、無視だし。

ありえないよね、それは、マジで。

それに、「全部、ウソ」(一花)も、「この恋がかなわないのも知っている」(三玖)も、「あなたに、つたえなければならないことがあります」(五月)、も全部、ぶん投げたまま。

ミサンガは? 指輪は? ついでにいえば、ウェディング・ケーキは?

もう、全部、どこに行っちゃったんだよ?


で、それを、語りの上では、全部、風太郎の妄想でした!、というオチで済ますのだから。

これじゃあ、江川達也の悪名高き『東京大学物語』とさして変わらないじゃん。

いや、あちらのほうが、いろいろな意味で悪質で悪趣味だったけどさ。

でも、今まで読んできたものは何だったんだよー!、という、読んで直後の憤りだけは、全く同じでしょ。

もちろん、『五等分の花嫁』は、事実上、2周目がほぼ約束されたようなものだけどさ。

それに『東京大学物語』のときとは違って、いまはマルチエンディングと、別ルートへの分岐は、読者の側にむしろ、ストックされた常識となっているから。

でもなぁ、やっぱり、あの夢オチは、予測してはいたけど、いただけない。

仮に、一休み的終幕にしても、別のやり方があったと思うけどね。

結局、「誰も選ばない」というエンドなのだから。


うん、悪態をつき始めると止まらなくなるから、今はこれくらいで。

おいおい続き的なものを書くかもしれないけどw

その一方で、ちょっと「総評」めいたものも考えていいかな、とは思っている。

あー、しかし、ホント、騙されたー、悔しいなぁ。

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