100倍楽しむ海外旅行  時々国内旅行

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歳(終末期後期高齢者)のジジイの53

回の旅行103ヶ国を100倍楽しんだ話 付録で時々エンディングノート

番外編 お墓 カンボジア 1

2005年12月21日 09時04分51秒 | 

  この写真は何だと思いますか。クリックして拡大してみてください。ポル・ポト政権下で虐殺された人たちの頭蓋骨で形作られたカンボジアの地図です。 

 カンボジアのプノンペンではポル・ポト政権が作ったトゥールスレン刑務所(元高校校舎)を訪れました。そこでの写真です。ここに約2万人が収容され6人だけが生還しました。

 1975年に成立したポル・ポト政権は1979年までの4年間に200万~300万人(国民の約三分の一)の自国民を虐殺しました。特にインテリ層が対象になりました。メガネをかけているだけでインテリとみなされ処刑されました。いままでナチスのユダヤ人虐殺、トルコによるアルメニア人虐殺を紹介してきましたが、カンボジアでは自国民虐殺です。アフリカのルアンダ、ダンフールの虐殺も他民族です。その点カンボジアの例はきわめて特異であると思います。

なぜ、人間は人間を殺すのですかね?

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番外編 お墓 アルメニア2

2005年12月19日 09時28分53秒 | 

  写真はエレバンから見たアララト山(大、小)です。アララト山は旧約聖書のノアの洪水で方舟がたどり着いたされるところです。したがってキリスト教徒であるアルメニア人には聖地です。アルメニア人の民族意識の中心となる聖地です。ところが現在はトルコ軍の管理下にあり、アルメニア人の立ち入りは禁止されています。

 アルメニア共和国の現外相はインタビューに答えて次のように言っています。「このビルからあの山までわずか40キロ。手を伸ばせば届きそうなほどです。それなのに私たちは決してあの山には行けません。アララト山はアルメニア人の誇りであると同時に、挫折の象徴なのです」(NATIONAL GEOGRAPHIC 日本版2004年4月号p130)

 また余談ですが、アルメニアのキリスト教を東方正教会の一つと誤解している人がいます。確かに典礼は良く似たところがありますが違います。アルメニアキリスト教会は451年のカルケドンの宗教会議で単性論を理由に異端とされています。その流れにはエジプト、エチオピアのコプト教があります。アルメニアを旅行される方はこのことを踏まえて教会観光をされることを勧めます。

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番外編 お墓 アルメニア 1

2005年12月17日 09時25分46秒 | 

  アルメニアの首都エレバンではジェノサイド(虐殺)博物館へ行きました。アルメニア人大虐殺ついてあまり知られていないのでご存知ない方もおありと思いますので簡単に紹介しておきます。

 ヒトラーが以下のようなことを言っています。「アルメニア人殺しがすでに忘れ去られようとしていると同じように私のユダヤ人殺しもまもなく忘れ去られるであろう」 ヒトラーのユダヤ人大虐殺の先生がトルコのアルメニア人殺しだったのです。

 アルメニアは古くからの伝統を持つ国で、世界で最初にキリスト教を国教にしたことを誇りにしています。(301年)ヨーロッパを旅行していると各地でアルメニア教会に出会います。エルサレムにもあります。アルメニア人は当時オスマン帝国に支配されていました。19世紀の終わり頃より独立運動が盛んになり弾圧も激しくなり虐殺もされました。それがピークに達したのが1915年のことでした。100万人~200万が虐殺されと言われています。1922年ごろまで続いたといわれています。したがって現在のトルコ共和国を作った人たちも関係していたと言う説もあります。

 なお独立運動のみが虐殺の原因ではないと思われます。商売では三人のユダヤ人が一人のアルメニア人にあたるといわれることがあります。オスマン帝国末期に商売上手なアルメニア人が経済的地位を高めてきました。それに対して政治支配階級の領主と貧困な一般民衆の両者からの妬みがこの悲劇の根本的理由かもしれません。

 このときクルド人の悲劇がありました。アルメニア人を殺せばクルドの独立を認めるというトルコ政府の扇動に乗ってこの大虐殺にクルド人も一役買ったのでした。(この部分は私の質問に現地ガイドが答えたこと)

 そのため多くのアルメニア人は世界各地に離散しました。現在、アルメニア人の総人口は700万人でそのうち400万は海外に居住しているといわれています。トルコに復讐するための秘密結社があるといわれています。フォーサイスの小説にもチラッと出ています。

 しかしいまだに現在のトルコ政府はこれらの事実を認めようとせず、したがって謝罪もしていません。最近の朝日新聞は次のように伝えています。

 ノーベル文学賞に最も近いトルコ人作家といわれるオルハン・パムク氏が「100万人のアルメニア人が殺された。だが私以外にだれもそのことを語ろうとしない」と発言したことを理由に国家侮辱罪で起訴されている。

  皮肉なことにイスラエルはトルコ政府のアルメニア人虐殺否定に同調しています。

 トルコのEU加盟をめぐってこの問題が国際的にクローズアップされることが十分に考えられます。

 現地ガイドは虐殺博物館では事実を淡々と述べただけでしたが、夕食時での私との話の時(英語なので殆ど分かりませんでしたが)apologize(謝罪)という言葉が私に強く迫ってきました。写真は虐殺博物館の入口の掲示板です。

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寄道編 ユダヤ人 リトアニア ユダヤ人を救った日本人5

2005年12月15日 09時41分43秒 | ユダヤ人

 リトアニアの首都ヴィリニュースにも記念モニュメントがありました。

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寄道編 ユダヤ人 リトアニア ユダヤ人を救った日本人4

2005年12月15日 09時36分43秒 | ユダヤ人

杉原氏が決断をした部屋。リトアニア杉原記念ホームページからの転載

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寄道編 ユダヤ人 リトアニア ユダヤ人を救った日本人3

2005年12月15日 09時26分53秒 | ユダヤ人

 旧日本領事館の入口  

 写真を最大に拡大してみてください。「希望の門 命のヴィザ」と書かれています。

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寄道編 ユダヤ人 リトアニア ユダヤ人を救った日本人2

2005年12月13日 09時23分55秒 | ユダヤ人

写真はカウナス旧日本大使館

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寄道編 ユダヤ人 リトアニア ユダヤ人を救った日本人1

2005年12月13日 09時19分17秒 | ユダヤ人

 リトアニアのヴィリニュスからカウナスへのバスは感動の涙でいっぱいでした。添乗員田中啓介さん(知識、気配り、統率力、三拍子そろったすばらしい添乗員でした)の「6千人の命のビザ」(杉原幸子著)の朗読でした。

 杉原幸子さんの夫千畝さん(1900~1987)についてはテレビでも放映されたこともありご承知の方も多いいと思いますが簡単に紹介しておきます。 1940年7月18日、第二次世界大戦のさなか、リトアニアのカウナスに置かれていた日本領事館前に突然の人垣ができました。彼らはナチスに追われポーランドから逃れてきたユダヤ人でした。ユダヤ人の望みは日本通過ヴィザでした。彼らの生きる道はシベリア→日本→アメリカ大陸でした。

 当時の領事代理の杉原千畝氏はヴィザ発給の許可を求める電報を幾度も日本政府に打ちますがその答えは「否」でした。当時の日本はナチスドイツの同盟国でした。 「私の一存で彼たちを救おう。そのために処罰を受けてもそれは仕方がない。人間として信念を貫かねば」と決意しました。 その後、約半月(一説には1か月)の間、二人は(幸子夫人)腕が動かなくなるまでヴィザを書き続けました。その数約3000、日本経由で助かったユダヤ人は約6000人といわれています。

 帰国した彼はその罪を問われ戦後外務省を離れます。(外務省を退官したのはそのことが理由ではないという説もあります) その後これらの経緯については殆ど忘れ去られていました。1960年代にイスラエルから感謝の気持ちが伝えられ次第に彼の業績が明らかになってきました。

 日本での名誉回復に貢献した人に「ムネオハウス」で有名な鈴木宗男氏がいます。その経緯については彼とともに有罪判決を受けている外務官僚佐藤優氏の著書「国家の罠」〔p284~286〕に触れられています。

 外務省を離れて後貿易会社に勤められました。そのとき一緒に仕事をした人が偶然旅の同行者にいました。彼女(某著名哲学者の娘さん)は私にだけそのことを明らかにして「彼は大変重要な仕事をした人とは聞いていたが具体的な事は本人も何もおっしゃらないので最近まで詳しいことは何も知りませんでした。物静かな温厚な方でした」と教えてくれました。 写真は杉原千畝氏です。「リトアニア杉原記念館ホームページ」(http://www.geocites.jp/lithuaniasugiharahouse)からの転載です。

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寄道編 ユダヤ人 ウズベキスタン ブハラ 6

2005年12月11日 08時57分59秒 | ユダヤ人

 イランから来た老女

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寄道編 ユダヤ人 ウズベキスタン ブハラ 5

2005年12月11日 08時54分48秒 | ユダヤ人

二つ目のシナゴーグにはイスラエル国旗がありました。

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寄道編 ユダヤ人 ウズベキスタン ブハラ 4

2005年12月11日 08時50分42秒 | ユダヤ人

 二つ目のシナゴーグの祭壇

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寄道編 ユダヤ人 ウズベキスタン ブハラ3

2005年12月09日 10時20分52秒 | ユダヤ人

 最初のシナゴーグの内部の一場面です。

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寄道編 ユダヤ人 ウズベキスタン ブハラ2

2005年12月09日 10時17分12秒 | ユダヤ人

 写真は最初のシナゴーグで勉強している生徒さんたちです。ユダヤ帽子(キッパ)をかぶって勉強の邪魔をしているジジイは私です。

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寄道編 ユダヤ人 ウズベキスタン ブハラ1

2005年12月09日 10時09分34秒 | ユダヤ人

 ウズベキスタンのブハラにユダヤ教の教会シナゴーグあるというガイドブック・ロンリープラネットの指摘で自由時間を利用して出かけて見ました。ユダヤ人は12,3世紀からブハラに住むようになりヘブライ語を話さないディアスポラ(離散民)ということです。根深い制度的な差別を受けながらブハラでは商業面で重要な役割を果たしてきました。ソビエト連邦崩壊後、イスラエル、アメリカ合州国に移住する人たちが急速に増えブハラの人口の7%を占めていたものが現在2%以下になっています。そして100年前までは七つあったシナゴーグは1920年以降一つになりました。(以上ロンリープラネットCentral Asia p60,314による)

 人口数の実際は2%(5000人)よりももっと減少して600人になっているとはこのシナゴーグでの話です。

 訪れてまず最初にびっくりしたことは受付の女性がイスラーム教徒だったことです。長年の差別ということにもかかわらず、このことは我々が考える差別とは意味合いが違うのかもしれません。ここは学校でもありました。現在ラビの資格を持つ人がいなくなり代理の人が旧約聖書を教えていました。生徒数は10数人でした。現在生徒の総数は160人だそうです。ここを出たところでもう一つシナゴーグがあるので案内するという人(イスラーム教徒)が現れました。そこで時間を気にしながらいくことにしました。

 そこにもう一人「この地域のユダヤ人に関する文献に興味がないか」という人物が現れました。時間もなかったので一応断りましたが、あとで考えると少し残念。こちらのシナゴーグのほうが立派でした。イスラエル国旗が飾られていました。したがってロンリープラネットの現在一つというのは間違いのようです。イランからやってきた(迫害?)という高齢の女性がいました。帰り道同じシナゴーグを訪ねるというイスラエル人に出会いました。 写真は最初のシナゴーグの祭壇です。ここは撮影が認められました。

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寄道編 ユダヤ人 チェコ プラハ3

2005年12月07日 10時19分34秒 | ユダヤ人

 近くにユダヤ教レストランがありました。(写真)ユダヤ教の食事には色々のタブーがあります。豚、鱗の無い魚は食べないなど。なぜかこのレストランに入りませんでした。今考えると残念なことをしました。

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