プラハでは自由時間に旧ユダヤ人居住地(ゲットー)を歩いてみました。この地の著名なユダヤ人は作家のカフカです。ここに住んでいたユダヤ人の多くはドイツ占領後アウシュヴィッツなどの強制収容所に送られ虐殺されました。
シナゴーグ(ユダヤ教の教会)に入ってみました。入場料とユダヤ帽子(キッパ)の購入が必要でした。この帽子をかぶらなければ中に入れません。中は撮影禁止でした。写真はそのシナゴーグの入り口です。ヘブライ文字が見えます。
写真はポーランド、ワルシャワの旧ゲットー地区の掲示です。ゲットーは「広辞苑」では「ヨーロッパの諸都市で、ユダヤ人を隔離し居住させた地域」と説明されています。
第二次世界大戦勃発時にワルシャワには38万人のユダヤ人が生活していました。1940年には他の地域からつれられて来た人を含め45万人のユダヤ人が3メートルのレンガ塀に囲まれたこの地に閉じ込められました。飢え、病気などにより多くの人が死亡するなか1943年絶望的な反乱がおきました。ヒトラー、ナチス、ドイツは飛行機まで出して鎮圧に当たりました。多くの人が殺され、火あぶりの刑に処せられました。
なおゲットーghettoは1516年のイタリア、ヴェネチアでのユダヤ人隔離に始まるとされています。Ghetto の単語そのものはイタリア語とヘブライが語の両方の語源説があり定説は無いようです。
写真はビルケナウの落日です。名状しがたいものを感じました。
さて次回からはちょっと横道に入りこのアウシュヴィッツに関連して三箇所のユダヤ人居住地区を訪ねます。 その前に旅先で出会った一人のイスラエル人(ユダヤ人)との短い会話?を紹介しておきます。
イギリス・ロンドン・ウインザー城観光の時でした。背の低い浅黒い肌をした中年男性に私の知る数少ない英会話表現“Where are you from?”(どちらのお国のお方ですか?)と尋ねました。
”Israel ! Israel is small but great “ (イスラエル イスラエルは小さいが偉大な国家だ)と誇らしく、傲然とした答えが返ってきました。私は”Where are you from ?”を旅行中馬鹿の一つ覚えで乱発します。このように誇らしく、傲然とした返事が返ってきたのはこの時以外は“Scotland!” (スコットランド!)だけでした。(ただしこの場合は傲然とは感じませんでした)
ヒトラー・ナチス・ドイツの蛮行について少し追加をしておきます。ホロコーストの犠牲者は600万人(前述のようにアウシュヴィッツで150万人)でそのうちロマ人50万人以上です。その他ソ連人捕虜335万人のうち60%が飢えや病気で死亡。最初に紹介したように「健全なる精神は健全ある肉体に宿る」の名の下に障害を持つドイツ人も7万人が殺されています。
写真は決められた時間での集団トイレです。