諭吉のエピソード
123年前の4月22日 政府が銘じて明治期に編まれた本格的な国語辞典「言海」が完成した。
その出版を祝う会でのこと。
祝辞の順が伊藤博文の次であった。
すでに伊藤は比肩するもののない政界の大物であった。
しかし諭吉は言った。
「学問について政治家と相伍するわけにはいかない。ましてその後になるとは。
自分一人の名誉だ恥だという話ではない、日本の学問のためだ」
結局、次第から諭吉の名が消えた。
偏屈か気骨か。語らずして発した強烈なメッセージではある。
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123年前の4月22日 政府が銘じて明治期に編まれた本格的な国語辞典「言海」が完成した。
その出版を祝う会でのこと。
祝辞の順が伊藤博文の次であった。
すでに伊藤は比肩するもののない政界の大物であった。
しかし諭吉は言った。
「学問について政治家と相伍するわけにはいかない。ましてその後になるとは。
自分一人の名誉だ恥だという話ではない、日本の学問のためだ」
結局、次第から諭吉の名が消えた。
偏屈か気骨か。語らずして発した強烈なメッセージではある。
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