風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

吟詩部同窓会

2014年06月08日 | 詩吟
学生時代の吟詩部OG会が行われました。
全体会の予定だったのが、紆余曲折の末、八代目までのメンバーが集まることになる。
計10名で、駅改札の集合時間だけが事前に知らされただけで、その時間に向けて、私は朝、家を出ました。

往復8時間の新幹線の暇つぶしは、作詩の道具と、アイャbトと水。

漢詩の作り方の秋のページを開いて、パズルの駒をチョイスしていく。
5個の平仄のグループ分けで熟語をえらぶ。夏の詩を作ったときのみずみずしい驚きは、なぜか今日はない。
一度で慣れてしまったのか、こんなに美しい言葉があるのに、夏のページから選んでいた時の夢のようなうれしい弾んだ気持ちがやってこないのは、ちょっと残念。

まだ、吟詩日本に掲載もされず、添削も帰ってきてないのに、このざまは何なんだ。

きっと、4時間後に來る再会が、頭から離れず,詩作にぼっとうできてないからだろう。

とりあえず、28文字の平仄だけは合わせた。それでも、何んとかイメージはできて来ているのが、おもしろい。


それはさておき、卒業して40年も経つと、みんなどんな様子なのだろうと、興味深々。
私たち三代は二名出席だが、二人とも見事に太っていた。そのほかの人たちは、あまり太っていないのが、興味深く、まるで現役時代そのままの人たちがそこにいた。

さすがに健康管理が行き届いているのか。

恐れていた話題も出たし、恐れながらも聞きたかった話題もそのときの思いも噴出した。
厳しい部活は、いきなり人の上に立つ職種で大いに役に立ったと、異口同音に言うのである。

震災の年に、短大が四大に昇格した。残念なことに吟詩部は継続できなくて、卒部式だったか閉部式だったかが執り行われることで、計画は進んでいたのです。
震災の10日ほど後の日付なので、交通網の断裂で、関東から関西へは徒歩でしか行けない状態のため、やむなく欠席。

そのために、私の中では、吟詩部は今でもあり続けていたわけです。

たった10人でも、集まることで、とりとめのない話だけれど、思わず確信をついた話の内容をを束ねると、本音が見えてくる。
これで、やっと私の吟詩部員としての歴史をみなと同じに閉じた気がした。

この集まりがこじんまりとしていたおかげで、それぞれの表情も読み取れ、全員がそれぞれの思いを語り、ゆっくり耳を傾けることができた。

また、先生の出席がなかったために、また、思いもよらない話題も出て、一層私の中で、卒業したという思いが穏やかに広がって行って、帰りの新幹線の中では、気がかりの荷物をおろし、すっきりとして帰ることができました。

メンバーの中に、漢詩を作る教室に通っている人がいて、先生が本にしてくれたという「清明」という題の本を頂いた。

それを読んでいると、その思いがてにとるようにわかり、同じ年代の同じ女性者同志の感覚が、
漢詩であらわされても直接胸に響いてきた。
わかりにくいと思い続けていた漢詩がこれほど饒舌だったとは。

詩を読んでいると、その詩の吟詠が頭を駆け巡り、明日、だれにも邪魔されないで、詩吟をしたい。その時が来るのをこれほど待ち遠しく思ったことはなかった。

その翌日

彼女に送るテープを作製。





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