風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

はじめの一歩

2014年06月19日 | 好きなこと
論語と漢詩の解釈がおわり、休憩ののち、はじめの一歩。

もう一度、一言付け加えての互礼
そして、今日は、演壇からおりて、みなさんと同じ机で、座っての講義にしました。
同じ目線になると、感じ方も違ってくるものです。
やはり、このほうがやりやすい。


「偶成」  朱熹作(といわれているが・・・)
体操も三回目となるとおなじみになり、それでも、飽くことなくコツをしゃべり続けるわたしです。
そして、体側をたたき、体を目覚めさせる。

発声練習は、まだ、無理な喉使いに発展しやすいので、行わず、時間をかけて息を吐く。
そして、鼻から息を吸ったとたんに、はぁーと声を素直に出す。

さて、しょうねんおいやすくぅ~  と、聞いては吟じ、聞いては吟じをくりかえす。
起句と承句を何度も繰り返し、やっと転句にさしかかる。
いまださめずのあとの譜は、ちょっとややこしい。
ややこしいのは、繰り返すに限る。

これを、繰り返し行うことで、何んとかついてくることができる。ここを、怠ると、次が苦しくなる。
かといって、一か月に一回のおけいこでは、その時覚えたつもりでも、次の時には忘れている。
それを承知で、繰り返す。この繰り返しの時の私の気の入れ様が、かすかな定着につながる。

次回、忘れていても、体は覚えているから、意識に浮上させるのは、一回目より二回目、二回目より三回目と速度と定着が早まる。

だから、みなさんに口に出して言うのです。「来月になったらきっと忘れているから、大丈夫」と。
ここで、笑いが取れたら、大丈夫。私の気持ちは、かなり落ち着いて、今日のみなさんに取り付いていける。

そして、さらに付け加えて、「来月も何回も繰り返しますから」と。

この相互の安心感は、体を柔らかくし、心もやわらかくし、浮上速度を速めると、信じている。

だから、忘れても大丈夫。忘れるのが普通と、言い続ける。

そして、浮上を助けるのは、テキストに自分で書いた書き込み。
そのために、お渡ししているテキストのコピーは、行間や余白をたくさん作ってある。
自分で書き込みをして自分だけのテキストを作ってくださいと。

たとえば、平引き止めの譜は、テキストだと一本の棒であるから、止めを明らかにするため、棒の最後にを付け加えて、音が一つ上がって次に一つ降りるのを視覚的に表現するのはどうですか?と提案する。

そして、最後の締めは合吟ですが、前二回は、最後まで習ってないので、できませんでした。
今日は、転句を習いましたから、次に来る大山などの譜は、起句承句で習ったものばかりですからできないことはないのです。
構わず、最後まで合吟を強行しました。

うれしくなるくらい揃って、形になっている吟を合吟してくださいました。思わず拍手です。

帰り道、どうでしたかとお聞きしたら、やはり、「最後の行を習ってなかったから大丈夫かなと思ったけど、前に教わっているのと同じと聞いたので、何とかやれました。」

との、お答えでした。

一緒に吟じる、みんなで吟じると心強いのだよねぇ。


三回目となり、そして互礼について一言付け加えたこともあって、最後の互礼は、みなさん気持ちよくさっと立ち上がり、気持ちの良い互礼にて終了いたしました。

            気持ち良い~!




コメント

足立基礎論語

2014年06月19日 | 論語と
須藤明実先生の基礎論語の6月講座の庇をお借りしてのはじめの一歩がきょうで、三回目。

須藤先生の「論語の教科書」

                          明徳出版社



18日目  →言葉で、そして言葉に責任をもって教える
       教→ 鞭をもって教える
               (為政第二より 通の三三)


さて、私は、鞭をもって教えてないか?
確かに知っていることを口にしているか、知らないということを確かに認識しているか。





論語の時間の中での漢詩の解説は、「鹿柴」王維作

       空山 人を見ず
       ただ 人語の響きを聞く
       返景 深林に入り
       復た照らす 青苔の上

「絵心のある王維だからこその世界。そして、かすかな音の存在がすべてを調和させている。」と須藤先生は、言いました。
ご自身も画家である先生の感覚と詩の選択と、感動。

その後の模範吟も、みなさんの興趣を惹いたことでしょう。


コメント