先日の中央会のワンャCントレッスンは、関吟の松野春秀先生の講義録から抜粋して、ご教授頂きました。
その中で、「五(ラ)は、悲しい音」というくだりがありました。
五の音程と聞くと、一番に「舟中子規を聞く」を思い浮かべます。
「舟中子規を聞く」を吟じる時、注意することは、さまざまありますが、必ず言葉にすることは、「五」の音程についてです。
起句の「暮れんと」は、五の音程で入る大山です。
五六でも、三六でも、アクセント的には、間違いはありませんが、情緒が全く違います。
詠ってみたり、コンダクターで弾いてみたり、その違いを何度も聞きます。
音程を確かに詠うだけで、悲しい静かな情緒が出るのですから、簡単です。
その上に自身の解釈が加わって音色に味付けできれば、聞く人の心をつかむことはたやすい。
関吟の多彩な「譜」と確かな音程をまず手にすれば、あとは繰り返し練習のみ。
この漢詩は、吟じる機会が多いので、そのたびに言っています。
先生の声を聞いて覚えた世代の私は、「耳と体で覚えるのよ」でやってきました。
これからは表現する言葉を工夫して少しでも理解をし易くしようと思います。
そうすると、ほかの漢詩の中にも、三六よりは、五六の音程の譜付けの方が良さそうなものも中には、有りそうです。
それは解釈の違いとして、練習はテキスト通りに致しましょう。
思いが深まるとあるいは、五の音程を選びたい時もあるかもしれません。
それは、公式の場ではなく、プライベートな時に詠ってください。
音程による音の彩りは、詠っていてとても興味のある事柄です。
漢詩の読み込み具合によっても、選びたい音の高さがテキストと違ってくることがあるかもしれません。
それには、詩の中で自由に羽ばたいて、表現の工夫を楽しむと良いですね。
その中で、「五(ラ)は、悲しい音」というくだりがありました。
五の音程と聞くと、一番に「舟中子規を聞く」を思い浮かべます。
「舟中子規を聞く」を吟じる時、注意することは、さまざまありますが、必ず言葉にすることは、「五」の音程についてです。
起句の「暮れんと」は、五の音程で入る大山です。
五六でも、三六でも、アクセント的には、間違いはありませんが、情緒が全く違います。
詠ってみたり、コンダクターで弾いてみたり、その違いを何度も聞きます。
音程を確かに詠うだけで、悲しい静かな情緒が出るのですから、簡単です。
その上に自身の解釈が加わって音色に味付けできれば、聞く人の心をつかむことはたやすい。
関吟の多彩な「譜」と確かな音程をまず手にすれば、あとは繰り返し練習のみ。
この漢詩は、吟じる機会が多いので、そのたびに言っています。
先生の声を聞いて覚えた世代の私は、「耳と体で覚えるのよ」でやってきました。
これからは表現する言葉を工夫して少しでも理解をし易くしようと思います。
そうすると、ほかの漢詩の中にも、三六よりは、五六の音程の譜付けの方が良さそうなものも中には、有りそうです。
それは解釈の違いとして、練習はテキスト通りに致しましょう。
思いが深まるとあるいは、五の音程を選びたい時もあるかもしれません。
それは、公式の場ではなく、プライベートな時に詠ってください。
音程による音の彩りは、詠っていてとても興味のある事柄です。
漢詩の読み込み具合によっても、選びたい音の高さがテキストと違ってくることがあるかもしれません。
それには、詩の中で自由に羽ばたいて、表現の工夫を楽しむと良いですね。