風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

昇段試験

2022年03月27日 | 詩吟
初段から、四段までの受験者が集まりました。
昨年は、コロナの影響か、受験者が少なかったのですが、今日は、いつもより多い人数で、盛況でした。
夢松風と吟友草加からも三人受験いたしました。

今日の試験で、初めて顔を見る方、ご本人が、他教室へ学びに行き、しかも、その思いを十分に知ってもらっている人、受験者の在り様は、様々です。

責任指導者は、その人のことをゼロから知っていて、その思いや、実際の成長までつぶさに見ているわけだから、受験相当として送り出しているわけです。

一応、採点表には、良い点、気になった点を記入はしますが、私は、その人を良く知る指導者の決定にしたがいます。

最終的には、多数決で、その合否が決まるのですが、今回も、全員合格でした。

今後の課題として、審査に当たった先生方のご意見を教場に持ち帰り、反省したり良いところは、十分に褒めて、次への良き材料と致します。そして、今後の目標を立てようと思います。

今までは、私は、関吟流の型にはめようとしてきましたが、型にはまらない人が出てきました。これからは、今までのように、練習が進まないことも出てきそうです。

審査会議で、指摘されるご意見に、いろいろと学ぶことがあり、指導者にとって宿題は、年を追うごとに増えるものだと、思いました。

これからは、慣れるのかと思いきや、迷うことが増えると覚悟をきめました。
今までは、迷いがなさすぎたかもしれません。まっすぐすぎたかもしれません。

ただ一つ気になったことは、発声の最初は、勢いがいいのだけれど、何かの、形を作ることに気持ちが奪われるせいだと思うのですが、その声の勢いが急激に衰えて、音質が変わってしまう方が数人見受けられました。
このところ、大きな声で合吟ができないこと、ロングトーンの練習ができにくいことが、その原因なのかと思いました。

日頃何気なく、習慣でやってきたことが、かなり大きな意味を持っていたことが、改めてわかってくるものなのですね。



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何か手助けを

2022年03月27日 | 詩吟
中央会の帰りの道すがら、Tさんから、寄付をしたいという申し出がありました。
それは、会計さんにお話をして下さいと申し上げました。
こんな風に芦孝会のことを自分のことの様に気に鰍ッて、自分のできることはないかと、思いを巡らせてくださる人だったのかと認識を新たにしました。詩吟はもとより芦孝会愛に溢れる方だったのですね!心強い事です。

先日ある、提案をしたことが、その話へとつながったのだと思いますが、私の意図したところは、その場では届かず、逆の印象を抱かせてしまったようでした。
小さなことですが、言い募ると、何でもそうでしょうが会のあり方にかかわる大きな問題へと発展しそうでした。冷たい奴だと誤解されたままでも仕方がないと思いました。
提案の仕方が悪かったのだと、反省しきり。

それはさておき、何かの形で届いた情報が気持ちを動かし、更に行動に移そうとした人があったと言うことは、うれしい限りです。そして、私には本意でなかった始まりでも、伝わっていく間に本意に近づいて行ったように見えるたった一つのできごとで、良しとしようと区切りを付けました。

執行部に所属していない人は、会について何かができると思う機会がないのです。
特に今の芦孝会は、しっかりとした運営で、不安を感じることが無いからです。
言われるままに行動していれば、何も困ることがありませんから。

実力者ばかりの幹事団は、高所大所を見据えて、偏りのない運営が、ゆるぎなく続いています。

ですから、仕事の肩代わりはできなくても、ほんのちょっとしたことからはじまって、お互いに理解を深めることが出来れば、ゆとりある活動ができて、もっとよいとおもいます。

子供に手伝いをさせるのは、実は、却って時間がかかったり面唐ェ起きたりするものです。
成熟した芦孝会には、それをさせられる時が来ているのではと思います。

子供だからと、自分のことだけしていればよいわけではなく、その持てるものの範囲で、誰かの役に立つことを喜びとするものです。やがていつかは、役に立つ人になる日が来なくてはなりません。
その、入口に立ったTさん、期待して居ます。


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胸の詰まり

2022年03月27日 | 詩吟
中央会の詩吟体操は、いつもの体操と、体に対するコメントを一言付け加えさせて頂いています。

ちょっとした体操ですから、時間も取りませんし、季節の変化で起こり得る体の変化は、知っているときっと良いことがあると考えて、邪魔くさがられながら、続けています。
健康な方、体の変化を感じにくい人には、要らないと思えることでしょう。
それでも、ほんのちょっとの動きとコメントであっても続ける意味があると信じています。

最近の私の目に移る一列に並ぶ会員さんたちの肩の位置が、ほんの少し変わってきました。
見ている私に数年かけてやっとわかるほどですから、ご本人は、感知されていないことでしょう。
うるさがられても、止めさせたいと思われても、最後通牒を渡されない限り、続けたい。
時々、気持ちが折れそうになるけれど、やはり、続ける意味は、声を出すための体の維持にとても大事だと思うからです。

今日、伝えたかったことは、冬の乾燥で起こる胸の詰まりのお話。
「鎖骨の内側、胸鎖関節の流れが悪くなって、イライラしたりするとか胸騒ぎがするとかの症状が出てくる。そんな時は、その場所に蒸しタオルをしましょう。

風邪になる前に行えば肺までも乾燥することが防げます。何よりも喉にも良いのです。」と。

今までは、季節に先駆ける話をしていたのですが、それでは、何のことかイメージがわかないだろうということがわかりました。症状が出てしまってから、伝えたほうが、理解しやすいかと思ったからです。
大体、私は、転ばぬ先の杖で、理解を妨げることがほとんどでした。
痛い目にあってから、あれ?と思ってからの方が、良い効果が上がることを数多く経験しました。それで、遅れた情報をわかってねと準備して居たんだけどなぁ。。。

今日は、昇段試験で、時間に限りがあるため体操だけで端折りました。
来月では、このテーマは遅すぎるねぇ。
胸鎖関節のことは、知って置いて欲しいなぁ。



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