風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

昔語り

2022年12月26日 | 詩吟
昨日の飲み会では、席の関係で、二つのグループに別れでしまいました。
常々気になっていた、10年のブランクについて話し始めたのをきっかけに
昔語りとなり、東京に詩吟の会が生まれた時の、様子なども語られました。
私以外にも、創設時期にいらっしゃったS先生の話も興味深かったなぁ。

昭和が終わりを告げるころ亀戸青年館で、練習がはじまった時のこと。
二人の娘を連れて練習に参加したことは私の思い出話。
そしてその青年館祭りで初めての書道吟を披露なさったこと。
その時は、現在では、昇格なさって哲皚会松戸支部のトップのS先生の吟詠で、「富士山」の書であったことを
初めて知りました。
この書道吟は、私の記憶にはなく、今日初めて聞き知りました。
せっかくの機会に私はなぜいなかったのかと、思い返してみると、その頃から
舞台にあがることにはあまり興味がなく、練習にさえも参加しなかったのです。
そしてそのためS先生の記憶がなかったのだね。
その練習に参加していれば、別のかかわりも出来ていたのだねぇ。。。

私は、S先生は中央会が発足してから、初めて練習を共するようになったと、
記憶していたので、その前からそんな大役を勤めていたとは、露も知らず
大変失礼いたしました。
たまには、こうして、昔語りもして、思い違い勘違いを修正しなければ。
知らないことがいっぱいありそうです。
その青年館祭は、1987年野田会長のご自宅に東京連絡事務所を設立した翌年
関吟東京中央会発足と同じ年です。

奇しくも野田会長をのぞいて四人の内二人が当事者であったという偶然に
出くわしたおかげで、昔語りに花が咲きました。
それは、昭和の最後の年のことでした。
(正確を期するため、公認東京芦孝会会創立二十周年記念大会記念誌を参照)

なかなか、こんな話をすることがありませんから、貴重な時間でした。
S先生、又お話をする機会があるでしょうか。
意識高い系のS先生と会員であっただけの風来坊の私とでは、
話がかみ合わないかもしれませんね。是非、お聞かせ願います。
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空白の10年

2022年12月26日 | 詩吟
  東京芦孝会歴史                  履歴                     
'87年(S62年2月1日)  東京連絡事務所設置  ’87年?練習開始
                           ’91年(H3/9/20)再入会
                      ’97年 本格介護生活
’99年(H11年4月24日) 東京支部設立     '04年 モンゴル   ↓
      ↓ 10年              ’07年 帰国  10年休止
’09年(H21年11月22日) 東京支部創立10周年大会 
’12年(H24年4月22日)   東京芦孝会へ
’15年(H27年6月6日)  公認会となる

1998年~2007年の10年間は、私にとって、詩吟の空白の時代です。
’97年に私の開腹手術のため、母を施設に預かってもらったら、転倒により、
車いす生活となってしまう不幸に見舞われました。
それとともに、認知機能がさらに落ちたため、介護生活を余儀なくされる。
生来、一つのことしかできない気質のため、詩吟の活動は、休止とする。

お預かりしていた瑞江教室ともお別れをして、それ以来の瑞江教室の指導者の
変遷は知らないまま。

東京連絡事務所が東京支部に昇格して、更に会を盛り上げていく大事な時期に、
私はまるっきり関わりを持たずにいました。
情報は、毎月送られる’KANGIN TOKYO NEWS’から得られました。

そして、母を見送った翌年、ウランバートル生活が始まり、更に縁が
遠くなりました。

その間、野田会長の計らいで、会員登録だけは継続していたわけです。

帰国の挨拶と年会費払い込みのお手数を願ったことについて、お礼を
申し上げに、中央会へ行きました。
ちょうど、10周年大会の委員会が発足して、いろんな動きが始まっていました。
それで、つい、舞台について、その立場でもないのに意見を言ったのが、
きっかけで、復帰する覚悟もないままに幹事の末席に居ることとなりました。
作業を通じていつの間にか、前からいたかのように、誘いこまれていました。
実に包容力のある芦孝先生はじめ芦孝会幹事さんたちのおかげです。


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満足感あった?

2022年12月26日 | 詩吟
半年間和歌の練習が続き、苦しい毎日でした。
今日の中央会の練習は、漢詩に戻りました。
今日は、いつもより声を出す機会がありました。
男性と女性それぞれの高さの合吟を設けてくださいました。
一節ずつつぶやくように吟じて、そのあともう皆さんの前で発表という
流れは、辛いものがありました。

律詩は、2行ずつの連吟で、4人で発表をするのは、いつものことです。
二巡目が回ってくると、4行分の吟詠ができるわけです。

今日は、なんだかいつもより張り合いがない。
和歌を逃れて漢詩になってうれしかったのに。

あれこれとあがき格闘した半年間は、かなりの満足感があったのだねぇ。

果たして、私って漢詩が得意なのだろうか。

とっても不満足で、期待した喜びがなかったなぁ。

やれどもやれども、望みの位置に立てないねぇ。

向上心があるということにしておこうか。
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今年最後の中央会

2022年12月26日 | 詩吟
第4日曜日関吟東京芦孝会中央会の日。
金曜日に印刷したKANGIN TOKYO NEWSをリュックにしょって、いそいそと出かける。
珍しく体調異変により、途中下車をして、時間ギリギリに到着。
一緒に、ニュースの仕分けをしているTさんは、アクシデントメールを見ていて
くれたようで、落ち着いて待っていてくれました。
今日は、幹事会では問題がないようで、仕訳が終わるまで、会議開始を待って
いてくださいました。

今日の、トピックスは
1.残り3か月を前にして、増強予定会員数を超えました。
2.芦孝会の教室に、テレビ取材が入りました。
   私の幸福時間」 1月4日午後9時48分から テレビ朝日 放映
                            (注 定例の放映時間とは違っています。)
3.新幹事参加。1月よりオブザーバーとして参加、総会にて承認を待つ。

1年の終わりに、目出度いニュースで締めくくることが出来ました。
コロナ禍に、強い意志を持って留まることをせず、継続してきたことが
いろんなことを証明してくれました。
関西吟詩文化協会東京芦孝会は、思いをかけた分がそっくり返ってくる組織
であると思いました。
 
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