昨日の飲み会では、席の関係で、二つのグループに別れでしまいました。
常々気になっていた、10年のブランクについて話し始めたのをきっかけに
昔語りとなり、東京に詩吟の会が生まれた時の、様子なども語られました。
私以外にも、創設時期にいらっしゃったS先生の話も興味深かったなぁ。
昭和が終わりを告げるころ亀戸青年館で、練習がはじまった時のこと。
二人の娘を連れて練習に参加したことは私の思い出話。
そしてその青年館祭りで初めての書道吟を披露なさったこと。
その時は、現在では、昇格なさって哲皚会松戸支部のトップのS先生の吟詠で、「富士山」の書であったことを
初めて知りました。
この書道吟は、私の記憶にはなく、今日初めて聞き知りました。
せっかくの機会に私はなぜいなかったのかと、思い返してみると、その頃から
舞台にあがることにはあまり興味がなく、練習にさえも参加しなかったのです。
そしてそのためS先生の記憶がなかったのだね。
その練習に参加していれば、別のかかわりも出来ていたのだねぇ。。。
私は、S先生は中央会が発足してから、初めて練習を共するようになったと、
記憶していたので、その前からそんな大役を勤めていたとは、露も知らず
大変失礼いたしました。
たまには、こうして、昔語りもして、思い違い勘違いを修正しなければ。
知らないことがいっぱいありそうです。
その青年館祭は、1987年野田会長のご自宅に東京連絡事務所を設立した翌年
関吟東京中央会発足と同じ年です。
奇しくも野田会長をのぞいて四人の内二人が当事者であったという偶然に
出くわしたおかげで、昔語りに花が咲きました。
それは、昭和の最後の年のことでした。
(正確を期するため、公認東京芦孝会会創立二十周年記念大会記念誌を参照)
なかなか、こんな話をすることがありませんから、貴重な時間でした。
S先生、又お話をする機会があるでしょうか。
意識高い系のS先生と会員であっただけの風来坊の私とでは、
話がかみ合わないかもしれませんね。是非、お聞かせ願います。