昨年の中央会和歌の講習が続いた時より自主練習していた和歌を一人カラオケ
から外に出る時が来ました。
センター祭の連合吟ともう一つの出番が、実はあったのです。
人様にお聞きいただくほどの仕上がりではないので、ほんとうはお断りした
かったのです。
二度ほど、お聞きいただいて、先生は大失敗とおもっていらっしゃるのでは
ないか、私は私で引っ込みがつかなくなっていると、練習の度に思います。
もうこうなったら練習しかない、一題200吟を目標にできる限り練習だ。
さすがに80回を超えるころになると、慣れてくるものですねぇ。
曲がりなりにも和歌のようになってきました。
これは、あくまでも、願望と自己満足に他なりませんけどね。
それで、今日はとうとう、江戸川詩吟道場へ和歌を持って向かいました。
さぞ厳しい批評があることだろうと覚悟を決めました。
前詠は、声が小さ過ぎるので、マイクを上手に使うこと。
後詠は、それに比して声が大きくなるので、少し離れてとの助言。
一か所譜通りではない所は、すかさず他の方からの鋭い指摘。
譜を変えて詠いたくなる人の気持ちがわかった気がしました。
実力がどうしても届かないのを理由にして、逃げの一手を打とうなどと
考えないことですね。
ここで厳しい一声が欲しいところだけれど、それを言わないと決めたらしい。
K先生はさすがに、大きな心で受け止めてくださって、よく頑張りました。
あまり細かいことに気を使わないでゆったりと詠って下さいとおっしゃり、
褒めて育てる方式で、みなまでおっしゃらず励まして下さいました。
Y先生は、和歌に挑戦するのはすごいと、吟詠でない所を褒めて下さいました。
ありがとうございます。吟詠以外のことに目を向けてくださって、背筋が
伸びました。
江戸川詩吟道場のマイクの前では、だめだめと卑下しましたが、実は、挑戦
することに喜びを感じています。
そして、自分もまだがんばれると、漢詩とは別の分野の吟詠に前向きに挑戦
して居る私を冷静に見つめながら、諸先輩たちのスキルアップしてきた道を
鮮明に思い出しながら、自分なりに分析もしています。
頼まれるとうれしくなってしまう私の良さ?は、頑張れるということか。
楽しんで詠うところまで、今一歩二歩。。
漢詩では無我夢中で来て困難を困難と感じる暇もなく楽しいばかりでした。
習う困難は、初めての体験。
これは、病みつきになりそう。
揺りかごで関吟の洗礼を受け、良き師に愛されて、欲するがままのまっすぐ
な時が過ぎて、いつの間にか、自在に詠っていた気がする漢詩です。
関東に来て、「何も足さず 何も引き去らず」と言う環境を得て、ここまで
来てしまったけれど、技を獲得するには、だれもが困難な思いをしてきたはず。
困難を感じず緩やかな坂道を年月かけてここまで来られたのは稀有な事です。
なだらかな坂道を歩んできた私には、到底急坂の上のてっぺんを極めようと
息をきらして進む人の本当の思いはわからないのだろうねぇ。