風のこたろう

'05年4月6日~'07年4月7日 ウランバートル生活日記
'09年8月~  詩吟三昧の徒然日記

ボランティア帰り

2007年05月15日 | 風のこたろう裏日記
ボランティアをして帰ってくるのが、1時。
車があるので、足を伸ばして、買物に出かけたりするけれど、ほとんどはサクラベーカリーカフェに直行をしています。

この寒いときに、鍋焼きうどんがあるのがほんとにうれしい。
お腹がすききっているので、席に着いたときは頭が真っ白になっています。
そこに、ほかほかの湯気とうどんのにおいは、ピンと張った緊張をゆるゆると解いてくれます。

お腹いっぱいになって、お茶を飲んで、やっと周りを見回して、「あら、こんにちわ」と言うこともしばしば。

お腹にゆとりのあるときや、知り合いにあって、長話になってきたら、ケーキをお茶を追加して、また、うれしい甘い楽しいときが経過します。

そのころになってきて、やっと私の頭のデータベースが働き始めて、出会った人のデータが頭によみがえってきて、それらしい会話が始まるのです。
遅いったら遅いと言ってもしょうがない、やっと、いわねばならないお礼を言ったり、尋ねたかったことを尋ねたり、、、
あった瞬間に、その人固有の会話を始められる人を尊敬します。

お昼のお客さんが一段落すると、マスターが、座って話の相手をしてくれます。
彼は、なかなかの苦労人で、決して人の悪口をいわないので安心して会話が出来る。
今日は、「晩御飯何作ってはるんですか?」と聞かれて、先日のヒット作のつみれの話をしました。

近くのMKマートに、新しい冷凍の魚(さんまもどき)とイカが入っていたのを見つけました。
大量に仕入れてきたばかりのときに出くわしたら、何個かまとめ買いをします。

煮たり焼いたり、そして、次は何にしようかと考えて、たたいてみることに。
出刃がないので、骨をはずして、身をたたきました。
たっぷりのしょうがとねぎをいれつなぎに片栗、お酒がないので我慢して,塩とごま油を入れて、お団子に。
1回目は、たたきがすくなかったので出し汁の中で平べったくなりました。
2回目は、よーくたたいたので、粘りが出てきれいに丸くまとまりました。
最近肉を食べたくなくなった夫は、目を細めて「うまい!」と言って食べてくれました。
半分は、油で揚げて、食べました。おいしかった。(^^♪と。

マスターと奥さん、感心した顔で聞いてくれはるんが、また、うれしんですわ。
いつも、ありがとう
元気もらってます。
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安全チェック

2007年05月15日 | チンゲル亭裏日記
安全担当の専門家が、事務所の職員3人を伴って、アパートにこられました。
外壁からの侵入に対する安全状態、ベランダの侵入状況、雨どい、門番、建物の入り口の施錠状態、部屋のドア、ドアの鍵、窓、寝室の鍵について、写真を撮りながら、ユーモアを交えて、たまに誘導尋問めいた質問を入れながら、大家さんの様子、それから、私の心理状態などを尋ねられました。

私たちは、その人の手の内であれこれと情報を探られたわけですが、こんな人に犯人だと思われたら、あっという間にすべての情報を持っていかれてしまうと思いました。
その分、100%安全と言うのはどこにもありません、ここは90%ですと言われたことで、逆に大変に安心したものです。
これで、ハード面は、合格。

ソフト面ではモンゴル大先輩の中村氏のモンゴルの安全に関してのレメ[トにもあるように、君子危うきに近寄らず、そして、隙を見せないと言うことでしょう。

午後からの安全会議ではモンゴルの法律は、犯人に関する情報は、裁判が結審されてからではないと公開してはならないと言うことになっています。
それは、大体1年くらいかかるそうです。

犯罪が起こったことの事実のみも知らされないわけで、私たちの、いらいらは募るばかりです。
報道に対するモンゴルの考え方も違っているため、真実は1年のあとに知らされるはずですが、それでは、あまりに遠すぎて、うわさが先歩きしてしまいます。
大使館も、モンゴルの法律が相手では、いたし方の無い状況のようでした。

モンゴルで、草の根活動をする若者たち、そのほかの外国人の安全と安心を確保してくださるように、モンゴル警察、モンゴル政府に心からお願いしたい。
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新しい生活

2007年05月14日 | 風のこたろう裏日記
UBをいつまでも、身にまとっているわけには行かなくて、少しずつはがしてきて、もう重く感じないところまで、日本生活のリハビリが進んできました。

まず、オルティンドーの練習に参加して、個人レッスンにはない楽しさを味わい、日本語で説明されることのうれしさを感じました。
次の練習が楽しみである。

仕事をしたいけど、この年でないだろうなぁと思っていたら、前の職場から声がかかりました。
3年のブランクですっかり忘れているでしょうが、前と同じ仕事をするわけではなく補助的な仕事なので、多分大丈夫でしょう。
あさって、ご挨拶がてら様子を見に行くことになりました。

これで、収入を得ることができれば、乗馬に行くことも夢じゃない。
さて、クレインか守谷か?

詩吟もはじめることになると、さて、三本の柱のボランティアは、仕事でかき消されるかもしれない。

夫の仕事がどういう方向へ行くかによっても影響があるだろうし。
さて、コンサルかルセロか?
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母の日

2007年05月13日 | 
 母の日のブリザードフラワーのリース






 うちの近くのバラ公園



 おまけに鼓太郎鏡を見るの図


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浅草

2007年05月08日 | 日本から
若いお友達のYさんと、浅草で会いました。
仲見世から浅草寺を見る

浅草とリクエストしたのは私、お店を選んでくれたのは彼女


季節感たっぷりで絵のように美しい和食を頂き、そのあとは津軽三味線の生演奏。
久しぶりの帰国に日本を楽しんでもらおうとの彼女の心づくし。

そのお店は、浅草寺に程近い「和えん亭吉幸」

平日の連休後のランチとあって、お客は私たち二人。
その二人のために、ふたりの演者が、手の届くほどのそばで、マイクを通さない本当の生の音を聞かせてもらいました。
津軽三味線の力強さを感じ、馬頭琴とは違った弦のはじき方抑え方を興味深く見つめさせてもらいました。

演奏の後、店の名前の「えん」を敢えてひらがなにしたのは、楽しい宴と、三味線の演奏を楽しみ、新しく出来たご縁を大事にしたいというオーナーであり、津軽三味線の師匠の思いがこめられているとお聞きしました。
また、追分という別の店でも演奏しているのでそちらにも聞きに来てと誘われました。
フレッシュな浩平君と姉御肌の幸輝さんとのコンビは、演奏もおしゃべりもいい感じでした。




食事の後は、浅草神社におまいりをして、仲見世をひやかして、「いもきん」をお土産に帰りました。(^^♪


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図書館

2007年05月07日 | 日本から
近くの図書館に行ってみました。
一度なくなってしまったと思っていたのに、復活したのはうれしい。
立派な中央図書館が出来ても、ふらりと下駄履きでいける(こんな表現はもう古いなぁ)図書館がうれしい。

そうなればいいなぁと思っていたことが、実現していました。
それは、家のパソコンから図書館の蔵書を検索し、予約できるようになりました。
そして、どこの図書館の蔵書であっても最寄の図書館に取りにいけることです。
早速リクエストを出したら、3日後に準備完了とメールでお知らせがきました。

明日、早速とりに行ってきます。

うれしくなって、読みたかった本をあれこれ検索してみました。
ある、ある。
書棚の前に立って、本を探すのもどきどきうれしいことだけれど、どうしても早く読みたいものは、こうして、能率よく手に入るのが良い。

急いで、忙しい生活をしているわけではないのだから、自転車に乗って、川の向こうの中央図書館にどんな本があるかなぁと手に取り、中を読みながら、好みの本を見つけるのも良い。

ほんの楽しみは、思わぬところから見つけ出すこともそのひとつ。

UBでは、本は表紙を見せて陳列してあった。
手に取ろうとすると店員さんがすかさず、取って手渡ししてくれました。
手にとっても、モンゴル語は理解できず、買ったのは辞書と絵本だった。

何ヶ月もそんな生活をした後、はじめて、たくさんの本が背表紙を見せて本棚にぎっしりと並んでいるのを見たとき、うれしくて感激したものだった。

昨年あたりから、UBの国立デパートでも本屋さんは、書棚に背表紙を見せてぎっしりと詰まっている展示の仕方が始まりました。
それでも、本の売り場面積は、わずか、そして、高い。

日本の篤志家の絵本文庫は、建物の移転中で去年の夏から絵本を借りることは出来なくなった。いつになったら、オープンするのだろう。

思いのままに本を手にし、読むことの出来る環境をとてもうれしく思います。
モンゴルの学生さんたちにとって、せめて辞書が身近な手に入れやすいものになると良いのにねぇ。


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えっ、モンゴルから?

2007年05月02日 | 日本から
電話からモンゴル語が!
慌てふためいたが、どうやら私のモンゴル名前のシュレーさんといっている。
間違い電話ではなさそう。
しかも、「ビー ヘンベー」と言っている。

「ター ヘンベー」は、良く聞いたし、私もよくかかってくる間違い電話で「あなたはどなた?」とたずねたものだけれど。

ビーは「私」であるから、と言うことは「私は、だれ?」と言っているのか。
などと、あせってしまったのだけれど、日本に留学生としてきているHちゃんでした!
はぁー、驚いた。

ゴールデンウイークに友達のところに行って、私のうわさを聞いたからなのかなぁ、それとも急に思い出してくれたのかしら?
それにしても、うれしかったなぁ。
特別に用事もないのに、モンゴル人から電話をもらったのは初めてのこと。

私だって、特別用事がないのに、電話をしたりしなかったから、驚き。

海を越えた出会いが、また、私の帰国で海を越えて、また復活しそうです。

Hちゃんは、オルティンドーの練習もそうなのだけれど、UBの町を歩くについて、手取り足取り教えてもらった私にとっては重要人物です。

日本国内に居るとはいっても、簡単に会える距離ではないので、声が聴けるだけでもうれしい。
何とか、会いに行きたいものです。


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もうすぐ帰国一ヶ月

2007年05月02日 | 風のこたろう裏日記
少しずつ、モンゴルが私の中で遠くなっているのではあるが。。。
毎日、戦っていたようなUB生活は、今思うと充実感たっぷりでした。

24時間営業の、暗くなっても一人でぜんぜん大丈夫なスーパーで買い物をしていると、こんなに楽でよいのかしらと思うのです。

UBでは、歩いて1分のさくらベーカリーへ遊びに行くときでさえ、ある種の緊張を伴い、5時を過ぎない時間に帰宅することを心がけ、時間を過ぎるとそそくさと帰り、夫へ電話を入れる。
暗くなる時間の外出は必ず夫を伴い、都合のつかないときは、エスコートの誰かを一生懸命探す。

スーパーで品選びも、キリル文字が読めないので、絵を頼りにしつつ確実なものしか手にしない。

今、日本のスーパーで何も心配なく欲しいものを買っているけれど、本当に安心なものって、ここにある物なのかなぁ?

テレビを見ていると、あっそれから?と思うときにCMが入り、どうあっても宣伝を見させられる、ある意味暴力的なメディアのやり方が気になる。

あるチャンネルは、通販だけを放送しているし、上手に買う気にする宣伝があまりにたくさんあふれている。

町は、携帯メールを打ちながら歩いても足元は安全だし、信号では車が辛抱強く歩行者が渡るのを待ってくれているし、どこ?と思うところには、痒い所に手が届くように方向指示や案内板があるし。

当たり前と思っていたことが、なんだか、やりすぎ親切すぎる気がする。
何も考えなくても、ある場所には到着することが出来るけれど、それって、ほんとに行きたい(生きたい)ところなんだろうか?

広ーいモンゴルから、そしてUBのアパートから、狭いマンションに帰ってきて、人口密度が一挙に100倍以上になったかな。
そうなるとUBでは気にならなかったことが、細かいところまで気になってくる。
たとえば、「領分」というUBではなかった言葉が意識にあがってきて、私一人がせめぎあいをしている。
これは、まだ心理的影響はなくて、物理的なものであるけれど、これが結構曲者。

これは、UBに居るときから予想されたことなので、物を極力減らして持ち帰りを制限しました。これは、二人で気持ちをあわせたので、大成功。
更に、2年を経ることにより、魅力を失ったものへ感謝をして整理、整理、整理。
狭いながらも楽しい我が家へと、変身中。

あ、「もったいない」の歌がNHKから流れてきた。。。ごめん!
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オルティンドー

2007年05月02日 | 日本から
4月29日 30日の二日間にわたって開催されたモンゴル留学生会主催のハワリンバヤル2007(春祭り2007)の二日目、モンゴル民族音楽のステージに、オルティンドー歌手の三枝綾子さんが出演するということで、楽しみに出かけました。

一緒にモンゴルから帰ってきたHさんとも待ち合わせをして、一緒にコンサートを聞きました。

UB生活をまだひきずって居るので、Hさんとは4月7日に成田でお別れしてから、初めての再会という気がしなくて、そばに居るだけでうれしかったのでした。
後で、思うと尋ねたいことがいっぱいあったのになぁ。。。

そして、UBにたつ前にコンサートで三枝さんのオルティンドーを聴き、2年ぶりにその声を聴けるということ、そして、お届け物をしてお知り合いになるという期待にわくわくしながらの春祭り参加でした。

三枝さんと会って、テープを手渡しし、自己紹介をし、練習に参加させて頂きたいことをお伝えしました。
今日ブログで確認しましたら、二人目のお子さんの産休も明けて、5月12日に練習が再開されるとのことで、早速カレンダーに書き込みをしました。

帰国後初の公式スケジュールが決まったのは、モンゴル絡みのものでした。
三枝さんの親友のホンゴルゾルは、オルティンドー歌手で世界的に活躍をなさっている女性です。

トメンエヘで、ビャンバジャルガル先生と練習をしているときに、ホゴルゾルが、偶然彼女に会いに来ました。
三枝さんに届けるからと、メッセージをふきこませてもらいました。
 その後、まもなく三枝さんがUBにこられると知っていたら、そして、ホンゴルゾルに会うということがわかっていたら、そんなことも必要がなかったのですが、まさか、産後半年で、しかも単身お二人のお子さん連れで空の旅をしておばあちゃんに会いに来るとは思ってもみなかったのでした。

そのテープ、大事にしすぎて、却ってどこにしまったか忘れてしまったのでした!
3日間、狭い我が家を探しに探したのでした。
出てきたのは、アクセサリーを入れた巾着からでした。
なぜ、そこに入れたか、いつ入れたか、すっかり記憶から欠落している私でした。
ですから、そこを探そうと思いついたのもなぜかわからないのですが、めでたく見つかって、ほっとしたことでした。(笑)


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