月蝕
スマホで、撮れました。
「江南春望」二回目。
譜№32に苦戦。
三七の七へのジャンプが、上がり切れない物だから、六へ下がるのが、
とても難しくなる。
六が中途半端な音程だと、当然五の音にも、不協和音。
それで、32番ではない形となる。
七の高さ上がるためには、ちょうど七では壁にぶつかって落下するのです。
そういう表現で、わかってもらえたかなぁ。
猫の無駄のないジャンプを見たことのある人は、よくわかると思う。
しっかり七に着地するには、数ミリ上に飛び上がるから、安定して七に届くのである。
そして、次への六、五が正確な声を刻むことが出来る。
そして、次への六、七、六、五がピタリと決まるのです。
トラブルの原因は、一つ前にある。七を極めれば32番を詠うことが出来る。
いくらでも時間をかけられるこの教室は、初心者の練習には、もってこい。
4月に、「詩吟」を聞いたこともなかった。
「詩吟を詠う」ことを知らなかったお二人が、「詩吟って好きかも」
「32番だけでも極める」という言葉が出てくるようになった。
一人は、娘と同い年である。あまり、情をかけないようにと思いつつ、
「できた!」と手をたたくときは、特別にうれしくなる。
そして、飛び立つ時のことを想像して、いまから、ウルウルするのである。
年を取った証拠だなぁ。始まったばかりなのに。どうする!
そんなんじゃぁ、まずいぞ。
自分なりに、こんなウエットな状況は、詩吟とは別なところにも、
理由があるのですが、、、」
そのうち、ちゃんと先生と生徒になるから。
そして、長続きのする関係を築くのだから。と、自分に言い聞かせる。
そういえば、左肩の痛みが、無くなってきたなぁ。
症状が改善する時って、いろんな信号が無くなるものだから、すっかり忘れている。
今回もそうだ。
背骨の8番のお話を聞いたのが、その改善の始まりかもしれません。
先日の練成会集合写真を受け取って、あまりに地味な私は、一瞬見失って、あ、ここに居た。
集合写真を撮る時は、精一杯背筋を伸ばそうとすごく頑張るのに、そういえば、
あの日は、そんなことすっかり忘れて、カメラさんが写真に入らないのを
残念がっていたなぁ。三脚を忘れたのかなぁ...と。
今日の、体操は、ワンランクアップしました。
仰臥して、曲げた両足を持ちあげ微妙な骨盤の動きを察知して、足と繋がったまま、
おろしていく。ちょっと、油断すると、そのつながりを見失う。
ちゃんとできた時は、ふーっと深く息が吐けます。
息が吸えるよりも、しっかりと吐ける体が、良いのです。
操法を受けながら、練成会の話に花が咲き、また、「繋がってますね。」
「おなじですね。」と、共感しあう。
そして、前回、話題にした写真家の南さんの素晴らしい体幹について、プロの
ご意見を拝聴。
考え方が、そのまま体に表れて、それが素晴らしい仕事につながっている南さん。
本当に素敵な方です。
今日の、整体は、あれやこれやで、大盛り上がりでした。
その気になってきたMさん、何とかしたい。
教場の後、2時間の会場確保が出来たので、補習を行いました。
補習には、どんな時も参加するYさんもいます。
今日は、詩を読み、朗読へと持っていく作業。
Mさんは、アクセントは問題ないので、そのまま読んで、言葉の終わりの
母音になったら譜を詠うことをしてもらいました。
最初は違和感があったようですが、声の低いMさんは、無理な高さで、
練習をしています。それでも、平気ですと答えます。そうかな?
自分が日頃語っている声で、読み、母音で詠うことに違和感がありましたが、
すぐに慣れてきました。
アクセント通りに読む。アクセント通りに詠う。母音で譜を詠う。
肝心なのは、自分の高さで詠うこと。
自分の高さではない音程で、先ず、聞き詠うので、音の取りにくい人には、自分の
体に覚えさせるのに無理がある。
はじめに覚える吟詠は、自分の高さであることが望ましい。
じゃぁ、どうすれば?
詠わないで聞いているだけにする?
初めに体が覚えた音を自分の高さに変換するのが、難しい。
基本を覚えるまで、個人練習が望ましい。じゃぁ、どうすれば?
譜№ 19番のどうしてもくるってしまう三六の音の変化が、音程も狂わず
言葉に続けて中山が詠えました。
語る言葉が、三六になってるんですよ。
語っているそのまま詠えばいいのです。
「詩吟、詩吟、詠う、詠う、吟じる、吟じる」でいっぱいになっているMさんの、
頭の中から、それらを取り払って、読むことに塗り替えました。
正しく読めるのです。
詠おうと思うから、音痴になるんです。
家では、読んでくださいね。