熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

SECのミッションとアメリカ社会・・・P.S.アトキンス委員

2007年10月15日 | 政治・経済・社会
   早稲田は、創立125周年記念行事で沸いている。
   その記念行事の一環の法学部記念講演「米国SECコミッショナーP.A.アトキンスに聞く SECのミッションとアメリカ社会」を聴講した。
   公開会社法構想を掲げて会社法の改正を提唱している上村達男教授の司会で、2時間ほどのスピーチと質疑応答だったが、サブプライム問題も含めて、専門家たちのかなり高度な議論が展開されていて興味深かった。

   SEC(米国証券取引委員会)は、1934年に設立され、投資家の保護、市場秩序、証券投資の公正性の確保など広範な監督を行う独立の連邦政府機関で、大統領に任命された5人のコミッショナー(委員)が率いており、インサイダー取引や相場操縦など不公正取引を監視摘発する権限を持っている。
   講師のアトキンス氏は、このSECの5人の委員の一人で、金融サービス業と証券規制を中心に22年のキャリアを持つ米国有数の専門家で、SECの役割や米国社会との関わり等について語った。

   冒頭に、ミルトン・フリードマンの「資本主義と自由」に言及し、自分自身の政府の役割に対する考え方を決めるのに役立ったと言って、次のように引用した。
   「自由主義企業経済における自由市場とは、人々が、その自由意志によって、開示された情報をベースに行われる取引によって、お互いに利益を得ると言う前提に成り立っている」
   「最大価値を生むためには、政府は、経済行動をコオーディネイトするために強制的なテクニックの行使を避けねばならない。
   自分自身の必要を感じた売り手と買い手よって形成される市場に委ねるべきであって、自由意志による個人の意思決定が、人々が望み必要とするものを最も正しく反映しているのである。・・・」
   
   古い本は殆ど処分したので、私の手元に残っているのは、フリードマンのその後に出た「選択の自由 Free to Choose 1980年版」だが、この本は前著を更に展開し、自由主義市場を確保する為の政府の役割について書かれていて、その後、レーガン大統領やサッチャー首相の経済政策に大きく影響を与えた。
   アトキンス氏自身共和党色の強い委員だが、改めて、アメリカでは、いまだに、フリードマンの精神が脈々と息づいているのを感じて、新鮮な驚きを感じた。

   アトキンス氏の話で、興味深かったのは、本筋ではないが、スタッフの官民融合の「Revolving Door 回転ドア」論と、規制が有効かどうかを決定する為の「Economic analysis」である。

   アメリカでは、政権やトップが代わるとその下のスタッフまで代わることが多いが、政府の役人を外部の民間から雇い入れることが頻繁に行われているが、これが「Revolving Door」である。
   この民間からの役人が、民間事業の実情を良く熟知しているので、政策作成や規制実務などに極めて役立っていると言うのである。
   一方、逆に政府機関から民間に移ったスタッフなどは、政府の方針や政策を上手く民間に伝えて導入をスムーズにしたり、厳しい政府の倫理基準を民間に反映する等役立っていると言うのである。
   先日、このブログで、役人の天下りの功罪の罪について書いたが、このアメリカ流の自由な移動システムを活用して、「官製高級官僚天下り専用ハローワーク」を止めればどうかと思う。

   規制のコストーベネフィット分析である「Economic Analysis 経済分析」だが、規制が、社会を利するよりも害する可能性が大きいかどうかを計量する事によって、限られた資源を有効に配分して、最大・最善の効果を上げるという方針に基づいている。
   この場合のコストは、直接コストだけではなく、間接コスト、例えば、競争を阻害するとか消費者の選択肢を狭めると言った副作用についても重視していると言う。
   SECの役割は、市場を効率的に機能させ、資本形成を促進することであり、間接コストは、これらの要素を阻害する危険があるからである。
   もっとも、このSECの経済分析にも問題があって、他機関から問題点を指摘されて改良に努めているのだと言う。

   このコストーベネフィット分析は、おとり・覆面捜査、盗聴、何でもありのアメリカでは、司法取引で不正を吐かせて刑を軽減させるなどは、正にこの精神の現われであろう。
   大きな悪を暴き処理する為には、小悪に目をつぶっても、トータルで社会にとってはプラスであれば良いと言うアメリカの合理精神でもある。
   ところが、日本では、名古屋地下鉄談合事件で、報告したハザマが課徴金免除されたのはけしからんと言う発想が残っていて、文化の違いが面白い。

   この後、小野記念講堂で開かれていた「自由概念の比較史と現代的位相」を聴講したが、笹倉秀夫教授、樋口陽一教授、石川健治教授の講演を別世界の別次元の話のような気がしながら聞いていた。
   私の専攻は、大学が経済で大学院が経営で、いわば文科系なのだが、同じ文科系と言っても、多少接点のある会社法あたりはまずまずとしても、法学となると別世界であることが、今ごろになって分かった気がした。 
コメント
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