熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

倉敷美観地区散策

2007年10月23日 | 生活随想・趣味
   久しぶりに、秋の倉敷の美観地区を散策した。
   車の流れのない、静かな良く晴れた秋晴れの古い町並みの佇まいはしっくりしていて良い。
   紅葉には、まだ1月ほど早いようだが、倉敷川畔には萩が咲き乱れていて水面に影を落としている。
   大原美術館には何度か入っているし、特に見たいものもないので、今回は、黄金屋根瓦の美しい有隣荘で芹沢介展を開いていたので中に入ったけれど、後は街の中を歩くだけでにした。

   日本の各地に小京都とか銘打った観光都市があっちこっちにあって、中々雰囲気の良い町並みを形作っていて楽しませてくれるが、江戸時代や明治時代、少し、下がっても戦争前の日本の住居や町並みが珍重されるのは、何故であろうか。
   逆に言えば、戦後から今日にかけては、美しい町並みを作ってこれなかったのは、何故かと言う問い掛けにもなる。
   

   これは、やはり、ヨーロッパの古都や古い歴史のある街にも言えて、オールドタウンとニュータウンの差は歴然としていて、やはり雰囲気があって観光客を集めているのは古い町並みである。
   懐古趣味と言うだけではなく、生活の場を大切にして生きていたと言うことの結果ではなかったかと思っている。 
   ヨーロッパにはギルドが力を持って職人文化を大切にし、マスターを尊重する風潮があったが、技術だけではなく創造性と美を競って新しい文化や文明をつくりだしていたが、街造りにおいても、近年のように商業ベースだけの世界ではなかったのではないかと思っている。

   倉敷の場合は天領であり、城下町より恵まれていたと言うこともあろうが、やはり、殖産興業と言った政策によって栄えた古い町にも富の力による集積があって豊かで趣のある町並みを作り出してきているケースも多い。
   この倉敷は、比較的広い範囲においてみやげ物店や観光拠点が集中していて切れ目なく続いているのが良く、例えば、千葉の佐原のように古い建物が普通の住宅街に散在しているのとは違っている。

   ところで、観光地と言ってもやはり世相の流れには逆らえず新しい動きの波が押し寄せている。
   気付いたのは2点で、一つが1000円ショップの台頭と、隣地のシャッター通り化である。
   美観地区のみやげ物店に混じって2箇所1000円ショップがあったが、結構流行っている100円ショップの観光地版だが、中には入らなかったが可なり見栄えの良い商品が並んでいる。
   中国やベトナムなどで欧米の一寸したデザインを盗用して製造すれば、人件費などの製造コストの安さで、日本で製造するよりはるかに安い商品が出来る。
   恐らくコストパーフォーマンスを考えれば、少なくとも日本の5000円くらいの値打ちのある商品が並んでいるのであろうが、これもグローバリゼーションの流れで、結構客が入っているのが世相の反映であり面白い現象である。

   もう一つのシャッター通り化であるが、倉敷駅から一直線の大通りである倉敷中央通りの、美観地区入口の交差点のほんの100メートル程手前の「倉敷れんが通り 阿知町商店街」と銘打った商店街が入口からずっと殆どの店がシャッターを下ろしており、大通りに面した大きなみやげ物店など数十メートル美観地区にかけて閉店している。
   観光客の導線が一直線に美観地区に流れてしまって、ホンの僅かな距離でもルートから外れてしまうと観光客が寄り付かないと言う典型的なケースで、更に生活空間であった地方の商店街も地方の疲弊によって空洞化してしまうと言う極端な例であろうか。
   商店街入口の店舗を、斬新なアイディアで客を惹きつけるような魅力的な空間にすれば再生可能かも知れないが、アーケードのある古い商店街の佇まいでは全く倉敷美観地区のイメージとは相容れず、倉敷チボリ公園が苦戦を強いられているのを見ても、倉敷の観光行政や都市行政に問題があるような気がする。
コメント
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