今回の新日本フィルの定期公演は、モーツアルトの「魔笛」序曲、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番、ブラームスの交響曲第4番と言う非常にポピュラーな素晴らしいプログラムだったが、指揮者ミヒャエル・ボーダーに馴染みが薄い所為か空席が可なりあった。
しかし、ボーダーは、奇を衒わず、実にオーソドックスでメリハリの利いたダイナミックな演奏を聴かせてくれて、独墺音楽の素晴らしさを満喫させてくれた。
魔笛の序曲は、何時聴いてもワクワクするのだが、やはり、これは序曲であって、ほんの導入部のさわりだけ、オペラを見ないと意味がない。
この魔笛は、舞台デザインや振付によって大きく印象が変わるのだが、昨年METライブビューイングでは、ライオンキングのジュリー・テイモアの演出と意匠デザインで、幻想的で面白かった。
この日素晴らしかったのは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番で、冒頭のソロから、フィンランドのピアニスト・アンティ・シーラフの実に繊細で美しい音色に感激して聴いていた。
特に、弱音のピュアーな小鳥の囀りの様なサウンドは、涙が出るほど美しい。
ベートーヴェンの音楽は、モーツアルトの音楽のように天国的な美しさからは程遠いけれど、このピアノ協奏曲は、ベートーヴェンの中でも飛び抜けて美しく幻想的な曲の一つだと思っているが、森と湖に囲まれた美しい国のシーラフが、その自然の美しさを髣髴とされるように、実に叙情的に、そして、詩情豊かに演奏してくれた。
このピアノ協奏曲は、耳が悪くなったベートーヴェンが独奏で弾いた最後の協奏曲で、1808年12月22日に、「運命」や「田園」と一緒に初演されたと言う絶頂期の作品である。
フィラデルフィアやアムステルダム、ロンドンなどで聴いたベートーヴェンのピアノ協奏曲は、第五番の「皇帝」の方が多いのだが、比較的聞く機会が少なかったこの第4番の方が好きである。
ウィーンに移った時のベートーヴェンは、ピアニストとして大変な名声を博していたようだが、ピアノ協奏曲を5曲、ピアノ・ソナタを32曲など多くのピアノ曲を生み出している。私は、三重協奏曲の素晴らしさに何時も感激して聴いている。
後半は、ブラームスの交響曲第4番。
ワーグナーが去った後でも、何かと比較されて旗色の悪かったブラームスの最後の交響曲だが、大事を取って、ウィーンではなく、ハンス・フォン・ビューロー指揮でマイニンゲン宮廷管弦楽団で初演されたと言う。
クララ・シューマンを思い続けながら、真面目一方で、堅実に形式を重んじて作曲し続けていたブラームスの妥協と迎合を排した孤高の作品と言うことであろうか、私は、この曲を聴くと何時も、不器用だがそんな内に秘めたブラームスの激しい情熱と生き様を感じて感動する。
ファンがワーグナーとブラームスに分断されていたと言うが、私は、この曲を聴いていてワーグナーの音楽が聞えてくるような気がするのだが、
流石にドイツの指揮者、ミヒャエル・ボーダーは、実に激しく、そして、時には天国からのような煌きをみせながら、実にダイナミックに新日本フィルを歌わせた。
新日本フィルの定期では、アルミンクになってからドイツ系統の選曲が多くなったような気がしているのだが、アルミンクのサウンド作りとネイティブな音楽の息吹を、そしてその薫陶を受けて、同楽団のブラームスやベートーヴェンなど独墺音楽が実に素晴らしくなったと思っている。
ハイテンクからリカルド・シャイーに変わった後のコンセルトヘボウのサウンドが、非常に明るく感じるようになった時にも、主席指揮者の影響が実に大きいと思ったのと同じ気持ちである。
しかし、ボーダーは、奇を衒わず、実にオーソドックスでメリハリの利いたダイナミックな演奏を聴かせてくれて、独墺音楽の素晴らしさを満喫させてくれた。
魔笛の序曲は、何時聴いてもワクワクするのだが、やはり、これは序曲であって、ほんの導入部のさわりだけ、オペラを見ないと意味がない。
この魔笛は、舞台デザインや振付によって大きく印象が変わるのだが、昨年METライブビューイングでは、ライオンキングのジュリー・テイモアの演出と意匠デザインで、幻想的で面白かった。
この日素晴らしかったのは、ベートーヴェンのピアノ協奏曲第4番で、冒頭のソロから、フィンランドのピアニスト・アンティ・シーラフの実に繊細で美しい音色に感激して聴いていた。
特に、弱音のピュアーな小鳥の囀りの様なサウンドは、涙が出るほど美しい。
ベートーヴェンの音楽は、モーツアルトの音楽のように天国的な美しさからは程遠いけれど、このピアノ協奏曲は、ベートーヴェンの中でも飛び抜けて美しく幻想的な曲の一つだと思っているが、森と湖に囲まれた美しい国のシーラフが、その自然の美しさを髣髴とされるように、実に叙情的に、そして、詩情豊かに演奏してくれた。
このピアノ協奏曲は、耳が悪くなったベートーヴェンが独奏で弾いた最後の協奏曲で、1808年12月22日に、「運命」や「田園」と一緒に初演されたと言う絶頂期の作品である。
フィラデルフィアやアムステルダム、ロンドンなどで聴いたベートーヴェンのピアノ協奏曲は、第五番の「皇帝」の方が多いのだが、比較的聞く機会が少なかったこの第4番の方が好きである。
ウィーンに移った時のベートーヴェンは、ピアニストとして大変な名声を博していたようだが、ピアノ協奏曲を5曲、ピアノ・ソナタを32曲など多くのピアノ曲を生み出している。私は、三重協奏曲の素晴らしさに何時も感激して聴いている。
後半は、ブラームスの交響曲第4番。
ワーグナーが去った後でも、何かと比較されて旗色の悪かったブラームスの最後の交響曲だが、大事を取って、ウィーンではなく、ハンス・フォン・ビューロー指揮でマイニンゲン宮廷管弦楽団で初演されたと言う。
クララ・シューマンを思い続けながら、真面目一方で、堅実に形式を重んじて作曲し続けていたブラームスの妥協と迎合を排した孤高の作品と言うことであろうか、私は、この曲を聴くと何時も、不器用だがそんな内に秘めたブラームスの激しい情熱と生き様を感じて感動する。
ファンがワーグナーとブラームスに分断されていたと言うが、私は、この曲を聴いていてワーグナーの音楽が聞えてくるような気がするのだが、
流石にドイツの指揮者、ミヒャエル・ボーダーは、実に激しく、そして、時には天国からのような煌きをみせながら、実にダイナミックに新日本フィルを歌わせた。
新日本フィルの定期では、アルミンクになってからドイツ系統の選曲が多くなったような気がしているのだが、アルミンクのサウンド作りとネイティブな音楽の息吹を、そしてその薫陶を受けて、同楽団のブラームスやベートーヴェンなど独墺音楽が実に素晴らしくなったと思っている。
ハイテンクからリカルド・シャイーに変わった後のコンセルトヘボウのサウンドが、非常に明るく感じるようになった時にも、主席指揮者の影響が実に大きいと思ったのと同じ気持ちである。