熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

イタリアより貧しくなった日本

2009年05月19日 | 政治・経済・社会
   今日、IBMのセミナーIMPACT2009で、森永卓郎獨協大教授が、とうとう、日本の一人当たり国民所得が、イタリアに抜かれてしまった、大変なことだと語った。
   あのイタリアに、と言った一寸、イタリア蔑視の日本人の視線からの発言のきらいが強いのだが、私自身は、世界の20位前後とかで、既に、OECDの殆どのヨーロッパ先進国と比較しても遅れをとっている日本であるから、何の不思議もないと思って聞いていた。

   もっと厳密に言えば、イタリアのアングラ経済、すなわち、国民所得統計には計上されていない闇の所得が、一説によると30%以上あると言うことだから、これを足せば、もう、ずっと以前に、一人当たり国民所得は抜かれてしまっているのである。
   それに、文化と伝統、文化歴史遺産などの国家財産の豊かさや、人生を謳歌する国民生活の質の高さなどを考慮すれば、はるかに、イタリア人の方が豊かな生活をしていると考えても不思議ではない。

   威勢の良い森永教授の発言には、いつも、それなりに保留条件をつけて聞いているのだが、今日のクリエイティブで付加価値の高いイタリア産業の生産性の高さについての発言は、全面的に賛成であった。
   久米宏の着ているジョルジオ・アルマーニの背広は、50~70万円するのだが、私の背広はアオキの9千円だと、聴衆を笑わせながら、ブランドもののイタリア製品が、何故、これほどまでに桁違いの価値を生み出しているのか、今日は、まともな経済学者としてその説明を行った。

   フェラーリは、中々エンジンがかからないので、エンジンがかかった時の喜びは大変もので、最高の技術を保持しながら、この「ふざけ」が、価値を付加する源泉。
   イタリアの価値ある商品は、すべからくアートであり、言うならば、職人がプライドを持って創り上げた芸術品。etc.
   
   経営はアートであり、クリエイティブ・クラスの時代である今日では、創造的な人間の知的な営みによって生み出されたハイ・センスな財やサービスが、真の価値を作り出すのだと言った議論は、このブログで、リチャード・フロリダやダニエル・ピンクその他の学者の説を引きながら何度も論じて来たし、そのような時代の潮流に対応した経営革新の必要性についても語って来た。
   更に、世界中の国や企業が、最高の頭脳を求めて熾烈な争奪戦に明け暮れていること、世界中のトップ企業がブランド戦略に如何に腐心しているか、そして、クリエイティビティを生み出すためにはどのような戦略が有効なのか等々も論じてきた。

   蛇足となるので、これ以上論じることは止めるが、ここで、森永教授は、スポンサー企業に敬意を表して、イタリア企業のITへの取り組みについても語った。
   イタリア企業の経営者は、決してITに対して消極的ではなく、むしろ、積極的であり、最高度にITを活用しており、人間の感性に関係のない事業分野は一切ITや機械に任せて合理化して生産性をアップし、人々は、浮いた時間で、クリエイティビティの活用、価値ある富の創造のために、エネルギーを傾注するのだと言うのである。
   仕事をせずに遊んでいるように見えるが、仕事をする時の集中力は大変なもので、私自身、欧米人の途轍もない創造性や使命の追求に向かってのエネルギーの爆発を具に見ているので良く分かる。
   要は、仕事も人生もメリハリだと言うことであろうが、今日の企業経営においては、クリエイティビティとテクノロジーの融合、ベスト・マッチが、大切だと言うことでもある。

   この科学技術と芸術の融合を説明したくて、森永教授は、「モナリザ」の素晴らしさは、画家であり、科学者であり、医学者であり、色々な分野の技術者であったレオナルド・ダ・ヴィンチの多能な才能とインテリジェンス故であったことを強調していた。
   私自身は、ダ・ヴィンチのみならず、フランスやスペインなどもそうだが、ラテン系の人々の、アートやクリエイティビティなどを生み出す感性の豊かさは、群を抜いていると思っている。
   これらは、殆どカソリック系だが、科学と技術で秀でた業績を残している英米やドイツなどが新教であるのは、風土だけではなく宗教観も感性に大きく影響するのであろうか。

   ところで、わが日本だが、クリエイティビティにおいても、テクノロジーにおいても、両方優れている、正に、両刀使いの達人だと思いたいのだが、どうであろうか。
コメント
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