熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

竹本住大夫著「なほになほなほ」

2009年05月21日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   三宅坂の国立劇場で、文楽観劇時に、剛直なサイン本を見て、住大夫の「なほになほなほ」を買って早速読んだ。
   日経の「私の履歴書」をベースにした本だが、今までに、住大夫の芸談など断片的に読んでいたのだが、一気に纏めて読めたので、人となり芸となりが良く分かって面白かった。

   この奇天烈なタイトルは、住大夫が人間国宝に認定された時に、薬師寺の高田好胤管主からお祝いに贈られた色紙の文句で、更なる精進を祈ったものとか。住大夫の最も好きな言葉だと言う。
   人間国宝を受けて真っ先に電話を架けたのが好胤管主。「いま、忙しいのに何やねん」といつもの口の悪さで応えた管主が、「へえ、とうとうなったか、そうか」と絶句して涙したと言う。
   昔、上野照夫教授の美学の授業で奈良に出かけた時、親しい間柄だと言うことで、三重塔前で好胤副管主の青空説法を聞いたことがある。
   若くて凄い美男子だったが、「男前やから罪が深いのや」と言っていたことと、天武天皇と持統天皇の夫婦愛がフローズン・ミュージックとして凝縮昇華したのが裳腰を付けた美しい三重塔であると言う話だけは、何故か、妙に鮮明に覚えている。
   
   住大夫は、1924年生まれだから、戦後の食うや食わずの苦しい時代を潜り抜けて芸の精進を続けてきた。
   簔助の書物などでも、当時の苦しい生活状況や、組合結成で分れた三和会と松竹に残った因会との分裂状態の文楽界の苦境などが書かれていて、その大変さが分かるのだが、文楽が、文楽協会発足で改組されるまで、この状態が、14年間も続いたと言う。
   尤も、この文楽界の併走状態が競争意識を高め、人不足故に、若手芸人に、思わぬチャンスが廻り来ると言う副産物が生まれた。
   人形遣いが足らないので、住大夫が、人形の足を遣ったことがあると言うのが面白い。

   しかし、やはり、感動ものは、こんなに苦しい苦難の時代にあっても、大夫、三味線、人形遣いの三業の人々は、必死になって芸の精進に励んで、技術の向上と伝統維持にこれ努めていたと言うことで、あの宮大工の西岡常一さんの匠の技の継承とともに、日本人の本物志向と芸術に対する限りなき執念には、驚かざるを得ない。

   食うために全国を回った地方へのどさ回りの泣き笑い人生も面白いが、止めを刺すのは、妻からの「ミツコキトク、すぐかえれ」の電報事件。
   夜行列車でまんじりもせず早朝タクシーをはりこんで家に駆け込んだら、危篤の本人が立っていて、「どないしたん」と聞く間もなく鍵をかけて締め出された。一日ごまかして家を出て祇園に直行し翌朝汽車に乗ったのがばれていたのである。
   元気な光子の顔を見た同僚に、言い訳するのが大変であった。
   この住大夫だが、人間国宝の東宮御所での認定式で、天皇皇后両陛下に妻光子の功を労われ、好胤管主肝いりのお祝いパーティで、「誰のおかげか」と聞かれて「もちろん嫁はんです」と答えた。
   賞を貰って顕彰される度毎に、妻に感謝感謝、「家内がいてこその栄誉」とのサブタイトルまでつけた。那智への幸せな夫婦水入らずの小旅行で英気を養っていると写真入で、履歴書を結んでいる。

   第二部では、米朝や仁左衛門などとの「文楽と上方と伝統芸能」異色対談、第三部は、浄瑠璃姫物語。
   とにかく、住大夫ファンには、素晴らしい本である。

   今、国立劇場で、住大夫は、「伊勢音頭恋寝刃」の「古市油屋の段」を、錦糸の三味線で語っている。
   住大夫の名調子に乗って、文雀の女郎お紺、簔助の仲居万野、玉女の福岡貢などの人形で、素晴らしい舞台が展開されている。

   
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする