103歳まで絵を描き続けたと言う文化勲章受賞の日本画家・片岡珠子を回顧する追悼展が、日本橋高島屋で開かれている。
この口絵写真のような豪快なスタイルの富士や浅間の雄姿や、非常にコミカルな人物像・面構の数々、それに、78歳になって挑戦したと言うヌードなど、とにかく、80年間も描き続けたと言うのだから、興味深い作品が並んでいて面白い。
場内で放映されているビデオを見れば、遠くの高台から富士を遠望して写生している姿が映し出されているのだが、マジックペンで、豪快に輪郭線を描き、マジックやパステルで色づけしている。
私など素人から見ると、写生ならもう少し写実的なスケッチを描くはずだと思ってしまうのだが、最初からパッチワーク・キルト風の絵で、出来上がれば、原色の赤や青を使った極彩色の、それも、ゴッホもびっくりするようなエネルギッシュな大きな絵が出来上がるのである。
大きな刷毛で絵の具を塗り、丸めたタオルで表面を叩き、指を使って色づけするなど独特の手法で描くのだが、自分の作品として、どこかに、必ず指紋を残すのだと言う。
小田原の海を描くのに、最初は恐ろしくて何も描けず、一週間通い詰めてじっと海を眺め続けて、やっと、落ち着いて描けたと言う非常に繊細で優しい性格でありながら、自然風景を描いた絵は、絵の具が躍動しておりエネルギーが漲っている豪快な絵となっている。
富士を描いた絵は何点か展示されていたが、随分、富士にはお世話になったので、綺麗な着物を打掛けるように、花を描いてお礼をするのだと言う。ひまわり、牡丹・芍薬、大山蓮華であろうか、踊るような花の姿と色彩が実に美しい。
浅間山を描いた火山と言う絵だが、赤基調の荒れ狂うような山肌の天辺にはもくもくと噴火の噴煙が立ち昇る。しかし、手前の黄金色に輝く麦秋の麦畑の向こうには、静かに佇む民家の列が丁寧に克明に描かれていて、この絵を横に走る中景となっている。頭上では噴火しているのに、事も無げに生活している人々の日常を、愛情を込めて、しかし、爆発するような激しさで驚きを吐露しているような、この絵は感動的でさえある。
還暦を越えてから、日本の過去の有名人を描いた面構(つらがまえ)と言う人物像のシリーズを始めて、漫画チックな雰囲気で描かれているのだが、その人物に関係する最も象徴的なものごとどもを背景に描いていて面白い。
葛飾北斎などは、浮世絵の赤富士をバックにしており、写楽なども、歌舞伎役者を描いた絵を背景に据えている。
写楽について、富豪か貴族で、徳川家に関係があり、外国貿易で富をなして外国へ移り住んだ人と考えて描いたと言う発想が面白い。
秀吉などもそうだが、人物画は、残されている肖像画を参考にして描かれているので、お馴染みの絵であり説明を読まなくてもすぐに分かる。
この面構シリーズは、等持院にある足利尊氏の木像をみて興味を持って描いたのがスタートのようだが、雀右衛門と交流があると言うので期待していたが、その絵は出展されていなかった。
もう一枚、少し若い頃の人物画で、「雄渾」と名付けられた白衣の祈祷僧の絵が展示されている。この絵だが、最初会った時に、モデルになってくれと頼んだら断られ、指示に従って21日間の寒行を実行して許しを得て描いたと言うのだが、厳しい祈祷僧の激しい面構えを黒い輪郭線で鮮明に描いた力作で、その後の面構のはしりとしてはリアルである。
晩年になって描いたと言うヌードだが、何故、こんな絵を描く気になったのか良く分らないほど魅力に乏しい。
アクロバット風で動きは感じられるのだが、肝心の美しさが感じられないのである。
教え子の小学生たちを描いていた「落選の神様」と言われていた初期の絵と、60を越えてからの絵とは、様変わりだが、とにかく、80年の画業であるから、残した足跡は多様で大きい。
久しぶりに、スケールの大きな迫力のある、そして、コミカルなほっとするような懐かしい絵を見た感じがしている。
この口絵写真のような豪快なスタイルの富士や浅間の雄姿や、非常にコミカルな人物像・面構の数々、それに、78歳になって挑戦したと言うヌードなど、とにかく、80年間も描き続けたと言うのだから、興味深い作品が並んでいて面白い。
場内で放映されているビデオを見れば、遠くの高台から富士を遠望して写生している姿が映し出されているのだが、マジックペンで、豪快に輪郭線を描き、マジックやパステルで色づけしている。
私など素人から見ると、写生ならもう少し写実的なスケッチを描くはずだと思ってしまうのだが、最初からパッチワーク・キルト風の絵で、出来上がれば、原色の赤や青を使った極彩色の、それも、ゴッホもびっくりするようなエネルギッシュな大きな絵が出来上がるのである。
大きな刷毛で絵の具を塗り、丸めたタオルで表面を叩き、指を使って色づけするなど独特の手法で描くのだが、自分の作品として、どこかに、必ず指紋を残すのだと言う。
小田原の海を描くのに、最初は恐ろしくて何も描けず、一週間通い詰めてじっと海を眺め続けて、やっと、落ち着いて描けたと言う非常に繊細で優しい性格でありながら、自然風景を描いた絵は、絵の具が躍動しておりエネルギーが漲っている豪快な絵となっている。
富士を描いた絵は何点か展示されていたが、随分、富士にはお世話になったので、綺麗な着物を打掛けるように、花を描いてお礼をするのだと言う。ひまわり、牡丹・芍薬、大山蓮華であろうか、踊るような花の姿と色彩が実に美しい。
浅間山を描いた火山と言う絵だが、赤基調の荒れ狂うような山肌の天辺にはもくもくと噴火の噴煙が立ち昇る。しかし、手前の黄金色に輝く麦秋の麦畑の向こうには、静かに佇む民家の列が丁寧に克明に描かれていて、この絵を横に走る中景となっている。頭上では噴火しているのに、事も無げに生活している人々の日常を、愛情を込めて、しかし、爆発するような激しさで驚きを吐露しているような、この絵は感動的でさえある。
還暦を越えてから、日本の過去の有名人を描いた面構(つらがまえ)と言う人物像のシリーズを始めて、漫画チックな雰囲気で描かれているのだが、その人物に関係する最も象徴的なものごとどもを背景に描いていて面白い。
葛飾北斎などは、浮世絵の赤富士をバックにしており、写楽なども、歌舞伎役者を描いた絵を背景に据えている。
写楽について、富豪か貴族で、徳川家に関係があり、外国貿易で富をなして外国へ移り住んだ人と考えて描いたと言う発想が面白い。
秀吉などもそうだが、人物画は、残されている肖像画を参考にして描かれているので、お馴染みの絵であり説明を読まなくてもすぐに分かる。
この面構シリーズは、等持院にある足利尊氏の木像をみて興味を持って描いたのがスタートのようだが、雀右衛門と交流があると言うので期待していたが、その絵は出展されていなかった。
もう一枚、少し若い頃の人物画で、「雄渾」と名付けられた白衣の祈祷僧の絵が展示されている。この絵だが、最初会った時に、モデルになってくれと頼んだら断られ、指示に従って21日間の寒行を実行して許しを得て描いたと言うのだが、厳しい祈祷僧の激しい面構えを黒い輪郭線で鮮明に描いた力作で、その後の面構のはしりとしてはリアルである。
晩年になって描いたと言うヌードだが、何故、こんな絵を描く気になったのか良く分らないほど魅力に乏しい。
アクロバット風で動きは感じられるのだが、肝心の美しさが感じられないのである。
教え子の小学生たちを描いていた「落選の神様」と言われていた初期の絵と、60を越えてからの絵とは、様変わりだが、とにかく、80年の画業であるから、残した足跡は多様で大きい。
久しぶりに、スケールの大きな迫力のある、そして、コミカルなほっとするような懐かしい絵を見た感じがしている。