熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

日本の文化と伝統をビジネスにしたアメリカ婦人・・・セーラ・マリ・カミングス

2009年05月04日 | 経営・ビジネス
   今日の日経「文化」欄に、小布施で活躍するセーラ・マリ・カミングスの「木桶仕込み日本酒復活」が掲載されていて、懐かしさを感じながら読んだ。
   少し前だが、彼女の講演を2回聞くチャンスがあり、手元にも、「知行合一」とマジックペンで黒々と大書した清野由美著「セーラが町にやってきた」のセーラのサイン本と、桝一市村酒造場 取締役/唎酒師 セーラ・マリ・カミングスと書かれた名刺がある。
   とにかく、講演で聞く彼女の話は、実に愉快で、一途に突っ走る破天荒とも言うべき創造性に富んだエネルギッシュな活躍ぶりが、聴衆の毒気を完全に抜いて、感動さえ呼ぶ。

   長野万博で何かをしたいと思って来日した彼女が、日本にぞっこん惚れて、小江戸とも呼ばれる(?)小布施の老舗の和菓子屋に勤めたかと思うと、酒蔵にあって半世紀も放置されていた巨大な酒樽に魅せられて、唎酒師の資格まで取って、創業250年の「造り酒屋」を再建してしまった。
   清野さんが、セーラの特質は、「戦略あっても計算なし、悩む前にまず行動。」と書いているし、講演の時に、桝一の社長が、従業員としては失格だが企画と行動力は抜群だと言っていたが、自分の価値観を信じて相手を説き伏せてでも実行に移すと言う類まれなるイノベーターとしての企業家魂は見上げたものである。

   最近のセーラの活躍ぶりは良く分からないが、最初は、歴史と伝統のある、ある意味では、因習の強い排他的な長野の田舎町・小布施に移り住んで、全く文化的な背景の違うヤンキー娘が、孤軍奮闘、かき回すのであるからカルチュア・ショックの連続であったのであろう。
   しかし、和食レストラン桝一「蔵部」を開き、造り酒屋を再建し、さらに、文化サロン・小布施ッションや小布施ミニマラソンを先導実現して町興しを行うなど、可愛いヤンキー娘とは思えないほどの企画力とマネジメント力、そして、行動力にはびっくりするばかりである。

   しかし、セーラの素晴らしいところは、歴史や文化伝統が培って来た本物の日本の価値に感激して、それを維持復活させようとする熱い思いにある。
   この新聞記事にも書かれているが、酒造り用の大型の桶を造る桶職人の技も、木桶を使って醸造出来る杜氏も殆ど消えかかっていたのを、拝み倒して復活に漕ぎ着けて木桶醸造の純米酒をつくり、「桶仕込み保存会」まで作り上げてしまった。
   北斎の富嶽三十六景の「尾州不二見原」の大きな木桶の中の桶職人と霊峰富士の姿を垣間見て、木桶醸造の酒造り復活を思い描くかどうかが、文化度と審美眼、そして、価値観の差だが、この貴重な価値基準の崩壊によって、日本の大切な匠の技や伝統工芸、伝統文化を体現した民芸品などが、どんどん消えてしまっている。
   
   山深い祖谷に、200年経つ藁葺き農家を改装して住むなど、日本文化と伝統の素晴らしさを説き続けているアレックス・カーや、京都の町屋の改修復活と日本建築の持つ粋を追求し続けているジェフリー・ムーサスなど、アメリカの素晴らしいエリートたちが、日本人が無造作に捨て去ろうとしている貴重な日本の価値を守ろうとして、必死になって頑張っている。
   2~300年の間、風雪に耐えて息づいて来た民家やお寺などを、経済性と利便性故に、何の惜しげもなく壊して安っぽい新築建物に立て替えて、良しとしている日本人の感覚が、理解出来ないと言えばそれまでだが、異文化を通して見た本物を見抜く審美眼や価値観の持つ意味は極めて貴重である。

   アーネスト・フェノロサの日本文化に残した功績の大きさは突出しているが、傍目八目と言うと多少御幣があるかも知れないけれど、異文化・異文明で培われた豊かな視点から見ると、日本の本当の良さと値打ちが見えてくると言うことも、紛れもない厳粛な真実である。
   私自身、学生時代から、京都や奈良を歩くのが好きで、随分、古社寺や文化遺産などを巡り歩いて来たが、その後の14年間の欧米生活や海外での異文化との接触で、益々、日本の歴史や伝統、文化の豊かさ、その素晴らしさに、感激しながら接することが多くなっている。

   今、日本で、一番、欧米などの外人客を引き付けている観光地は、東京でも京都でもなく、飛騨の高山だと言う。
   ミシュランの旅行ガイドに、三ツ星で推薦されているからのようだが、私には、何故、高山が欧米人の心を掴むのか何となく分かるような気がする。
   自分たちの築き上げてきた欧米文化とは違った、貴重な文化遺産の集積された異文化・異文明の本物の姿を、コンパクトに集積されている山深い田舎町高山で実感出来るからであろう。
   私のイギリス人の友人が、次は、日本の田舎を歩きたいと言って帰って行ったが、江戸時代の幕藩体制のお陰で、日本は、どんな田舎でも、日本の隅々まで民度が高く、素晴らしい文化が息づいていると言ったからかも知れない。

(追記)セーラの写真は、プロフィールから借用。
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