6本のトマト苗とも、見違えるように大きくなって、殆どの木の二番花房も立派に結実し始め、三番花房の花が結実して消えて行く木もある。
頂上には、五番花房と思しき小さくて真っ黒な斑点が見えてきた。
普通、トマトの花房、すなわち、トマトの実が結実して赤くなってぶら下る房は、上から下まで、枝の同じ方向・位置に付くのだが、やはり、天邪鬼な木もあるもので、一本、反対の方向を向いて花房が付いた。
私の場合、まだ一番花房さえ付いていない幼苗を買ってきて、何処に花房が付くのか分からずに植えたので、花房は、あっちこっちしている。
畑なら、収穫時の利便性を考えて、通路側に花房を向けて植えるのだが、プランターなので、どっちを向いていても大差ない。
トマトのむーんとした匂いを感じて、子供の頃の宝塚の田舎を思い出した。
歌劇場のある山の手とは違って、尼崎方面へ向かって下る武庫川の東側の平野部には、田園地帯が広がっていた。
今では完全に都会化されてしまって昔の面影さえ残っていないが、当時は、今のように近郊農業とか言って都会型の田舎ではなく、何処にもあった普通の田舎で、毎日、かばんをほっぽりだして野山を駆け回り、真っ暗になる頃に家に帰ったので、勉強と言うか宿題などした記憶がない。
竹とんぼ、水鉄砲、竹馬、つり道具、弓矢、それに、藁ぞうりなど、遊び道具は何でも自分で作ったし、正に、ウサギ追いしかの山、こぶな釣りしかの川の世界で、からすが山へ帰るのも忘れて遊びほうけていた。
そんな遊びグラウンドである畑には、季節毎に花が咲き農作物が実を結び、中でも、赤く色づいたトマトのむーんとする蒸せるような夏の香りが印象的であった。
当時のトマトは、完熟しても、まだ、青みの残った白っぽい橙色で、すっぱさの勝った甘酸っぱいトマトで、今の真っ赤で美しくて美味しい桃太郎トマトとは雲泥の差であった。
この黄色の勝ったトマトは、酸味と香りの強い赤色系トマトと言うらしく、その後の赤くて皮の薄い甘いトマトは、桃色系トマトと呼ぶらしい。
味はともかく、一皮剥けば、中身は同じ色だと言う。
農村地区であったので、季節になると係官が来て、集められた出荷を待つトマトを検査して、秀優良などと鑑定して段ボール箱にはんこを打つ。
同じ地区で畑を並べて生産している農家ながら、品質はまちまちで、「○○はんとこのトマトは、いつ見ても、嫁入り前の別嬪さんみたいで惚れ惚れしまんなァ。」と秀を貰う農家もあれば、芋の子を並べたような不ぞろいのトマトでカツカツの良を貰う農家もあり、子供心にも、世の厳しさを感じてしまった記憶がある。
西欧では、トマトと言えば、煮込んだりソースとして料理用に使うことが多いので、赤色系でも桃色系でもどちらでも良いと思うが、果物感覚で生のままで食べる日本人には、やはり、桃色系の皮が薄くて甘い真っ赤なトマトが良い。
あの甘酸っぱい黄色がかった昔のトマトでないとトマトではないとのたまう御仁がいるが、余程、貧しい生活をしていてトマトばかりを食べていたのだろうと勘ぐっている。
サンマルツァーノ・ロンドの方は、野放し状態でほってあるが、沢山付いた実が大分大きくなり、どんどん、花房が増えて来ていて、元気である。
木の背丈があまり伸びなくて、ほかのプランター苗の方が、間延びと言うか、肥料が効きすぎて木ばかり大きくなって、実付きが悪いのではないかと心配になってきた。
種植えのアイコ苗は、大分大きくなって、黒っぽいゴマのような一番花房が見えてきた。
来週あたりに、地植えに変えようかと思っている。
種蒔きの土は、種まき用のものを使ったが、ポットへの移植時には、花用の培養土を使った。その後、一度、液肥をやった所為か、草丈が、市販のアイコ苗より大きくなっているので、苗の段階では、肥料分を避けた方が良いのかも知れない。
庭の芍薬は、完全に花が落ちて、その後に、紫色のホタルブクロが一面に咲き始めた。
まだ、残っている都忘れとイングリッシュ・ビオラに加わって、青色系統の花に、主役が交代した。
ゆり、フェジョア、アジサイなどの蕾が膨らみ始めて、スタンドバイしている。
もうすぐ梅雨入り、夏である。
頂上には、五番花房と思しき小さくて真っ黒な斑点が見えてきた。
普通、トマトの花房、すなわち、トマトの実が結実して赤くなってぶら下る房は、上から下まで、枝の同じ方向・位置に付くのだが、やはり、天邪鬼な木もあるもので、一本、反対の方向を向いて花房が付いた。
私の場合、まだ一番花房さえ付いていない幼苗を買ってきて、何処に花房が付くのか分からずに植えたので、花房は、あっちこっちしている。
畑なら、収穫時の利便性を考えて、通路側に花房を向けて植えるのだが、プランターなので、どっちを向いていても大差ない。
トマトのむーんとした匂いを感じて、子供の頃の宝塚の田舎を思い出した。
歌劇場のある山の手とは違って、尼崎方面へ向かって下る武庫川の東側の平野部には、田園地帯が広がっていた。
今では完全に都会化されてしまって昔の面影さえ残っていないが、当時は、今のように近郊農業とか言って都会型の田舎ではなく、何処にもあった普通の田舎で、毎日、かばんをほっぽりだして野山を駆け回り、真っ暗になる頃に家に帰ったので、勉強と言うか宿題などした記憶がない。
竹とんぼ、水鉄砲、竹馬、つり道具、弓矢、それに、藁ぞうりなど、遊び道具は何でも自分で作ったし、正に、ウサギ追いしかの山、こぶな釣りしかの川の世界で、からすが山へ帰るのも忘れて遊びほうけていた。
そんな遊びグラウンドである畑には、季節毎に花が咲き農作物が実を結び、中でも、赤く色づいたトマトのむーんとする蒸せるような夏の香りが印象的であった。
当時のトマトは、完熟しても、まだ、青みの残った白っぽい橙色で、すっぱさの勝った甘酸っぱいトマトで、今の真っ赤で美しくて美味しい桃太郎トマトとは雲泥の差であった。
この黄色の勝ったトマトは、酸味と香りの強い赤色系トマトと言うらしく、その後の赤くて皮の薄い甘いトマトは、桃色系トマトと呼ぶらしい。
味はともかく、一皮剥けば、中身は同じ色だと言う。
農村地区であったので、季節になると係官が来て、集められた出荷を待つトマトを検査して、秀優良などと鑑定して段ボール箱にはんこを打つ。
同じ地区で畑を並べて生産している農家ながら、品質はまちまちで、「○○はんとこのトマトは、いつ見ても、嫁入り前の別嬪さんみたいで惚れ惚れしまんなァ。」と秀を貰う農家もあれば、芋の子を並べたような不ぞろいのトマトでカツカツの良を貰う農家もあり、子供心にも、世の厳しさを感じてしまった記憶がある。
西欧では、トマトと言えば、煮込んだりソースとして料理用に使うことが多いので、赤色系でも桃色系でもどちらでも良いと思うが、果物感覚で生のままで食べる日本人には、やはり、桃色系の皮が薄くて甘い真っ赤なトマトが良い。
あの甘酸っぱい黄色がかった昔のトマトでないとトマトではないとのたまう御仁がいるが、余程、貧しい生活をしていてトマトばかりを食べていたのだろうと勘ぐっている。
サンマルツァーノ・ロンドの方は、野放し状態でほってあるが、沢山付いた実が大分大きくなり、どんどん、花房が増えて来ていて、元気である。
木の背丈があまり伸びなくて、ほかのプランター苗の方が、間延びと言うか、肥料が効きすぎて木ばかり大きくなって、実付きが悪いのではないかと心配になってきた。
種植えのアイコ苗は、大分大きくなって、黒っぽいゴマのような一番花房が見えてきた。
来週あたりに、地植えに変えようかと思っている。
種蒔きの土は、種まき用のものを使ったが、ポットへの移植時には、花用の培養土を使った。その後、一度、液肥をやった所為か、草丈が、市販のアイコ苗より大きくなっているので、苗の段階では、肥料分を避けた方が良いのかも知れない。
庭の芍薬は、完全に花が落ちて、その後に、紫色のホタルブクロが一面に咲き始めた。
まだ、残っている都忘れとイングリッシュ・ビオラに加わって、青色系統の花に、主役が交代した。
ゆり、フェジョア、アジサイなどの蕾が膨らみ始めて、スタンドバイしている。
もうすぐ梅雨入り、夏である。