熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

福島旅・・・(2)会津若松

2009年05月26日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   遅い午後に喜多方をたち、会津若松に向かった。
   時間も限られていたので街の中心を目指して走り、白木屋漆器展の駐車場が空いていたので車を駐車した。この店では、以前に来た時に、雑煮用の漆器椀などを買っているので知っていた。
   あの時は、漆器を買うことも目的にしていたので、街の中で、丁度漆器などの新作展をしており即売をしていたので、ほかに酒器や重箱など何点か買った。折角来たので、郊外の漆器工場に出かけて工場見学もした。
   本当は、この日、その時の新進漆器職人であった酒器の作家の漆器店を訪ねたかったのだが、無理も言えないので断念した。

   今回は、知人との旅だし希望を入れて、時間も限られていたので、漆器店の向かいにあった昭和なつかし館に入り、その後、野口英世青春通りを少し散策しただけで、宿所のある湯野上温泉に向かった。
   野口英世が手の手術を受け書生をして勉強をしていたと言う会津壱番館(旧會陽医院、口絵写真の手前の建物)には入らなかったが、前回、2階の資料館に上がって野口英世の遺品などを見学した。
   野口博士が、アメリカで最初に行って勉強したのが、ペンシルバニア大学だと言うことで、その頃の品も残っており、私自身も、同じ大学のビジネス・スクールであるウォートン・スクールで勉強していたので、フィラデルフィアのキャンパスの同じ地面を歩いたかも知れないと思うと急に身近に懐かしく感じたのを覚えている。
   娘にも、通っていた幼稚園の近くの研究室で、博士が、医学の勉強をされていたのだと説明したら、目を輝かせていた。

   前回の会津旅は、猪苗代湖の周りも車で走ったので、野口英世の生家である野口記念館にも出かけている。
   赤ちゃんの時に囲炉裏に落ちて火傷した左手が固まって、てんぼう、てんぼうと言われて苛められていた野口少年が、手術の成功に感激発奮して医学を目指して一生懸命に勉強して、偉い医学者になったと言う話は、当時の子供たちにとっては、最も貴重な偉人話のひとつであった。

   さて、ペン大の後、野口英世が移動して20年以上も研究を続けていたロックフェラー研究所関連のページをインターネットで当たっていたら、野口博士にとって、あまり有難くない記事が載っていた。
   今は、ロックフェラー大学となっているホーム・ページの「ウエルチ ホール、旅行者のメッカ」と言う記事で、「今年(2004年)6月、ロックフェラーの細菌学者野口英世は、日本銀行券1000円札に現れた この図書館にもっと多くの旅行者が来ると言うことである」との書き出しは何の変哲もないのだが、その後の記事は、野口英世の業績評価が変わったにも拘わらず、偉人伝説に惹かれた熱心な日本旅行者が、ホール二階の入り口にある胸像(別コピーは猪苗代にもある)詣でに押しかけていると書いており、一寸揶揄的なのである。

   冒頭の記事を要約すると次のとおり。
   20世紀初期に、ロックフェラーで23年間滞在した野口英世は、今日では、もはや、このキャンパスの偉人(big name)の一人ではなくなっている。彼の研究――梅毒、ポリオ、狂犬病、黄熱病などの伝染病――は、その当時は、賞賛されていたのだが、彼の研究の結果は、その後、実際とは反対であったり、混乱を招いたりしており、そのいくらかは、拒否されている。彼は、大酒のみで、プレイボーイだと言う評判であった。
   ところが、日本では、全く、反対の話である。・・・

   この野口英世の胸像と写真を撮りたくて、年に何十回となく、礼儀正しい日本旅行者たちが、66番街のゲイトを訪れるようで、ある日など、旅行会社がセットした3台のバスを連ねた団体が来たと言う。
   旋風のような日本人団体が訪れてきて、一人一人胸像の前で写真を撮るのを辛抱強く待っているのだが、ロックフェラー側も、そのためにも専門の説明員を置いたと言うのである。

   記念写真を撮るのは、おそらく日本人だけの趣味のようで、ペン大の時に、色々な国の学生たちとフロリダ旅行をした時、団体写真を撮ろうと言ったら拒否されたし、とあるドイツの街角で、ベートーヴェンの銅像の前で、ドイツ人にシャッターを押してくれと頼んだら、ベートーヴェンと友達か?と言って怪訝な顔をされた。

   いずれにしろ、科学と言うものは、新説が出ると古い学説が放棄されるのはよくあることで、その研究に先頭を切って取り組み学者や研究者を先導して学問研究に貢献したと言うことが、偉大な業績であり、結果だけが総てではない。
   何十年も野口英世の業績で名声を博し、権威を維持し続けてきただけでも感謝すべきを、それはないだろうと言うのが先の記事への私の思いである。

   ところで、昭和なつかし館だが、いわば骨董屋なのだろう、色々、雑多な古物が集められているが、特に、価値があると思えるようなお宝はなさそうである。
   入り口にディスプレイされていた英国製の機関車の模型セットは、面白かったが、仕入れた時から比べると、ぐんと値段が下がってしまったと言う。
   2階が、入場料200円の展示館になっていて、昭和初期の街角や飲み屋などがセットされていて、良くこれだけガラクタを集めたなあとびっくりするするほど色々なものが雑多にディスプレィされている。
   考証的に正しいのかどうかが疑問だが、それなりに、擬古趣味を味わえることは事実だけれど、200円も取って見せる価値があるのかどうかは別問題である。
コメント
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