熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

福島旅・・・(1)喜多方へ

2009年05月22日 | 花鳥風月・日本の文化風物・日本の旅紀行
   ゴールデン・ウィーク明けの週日、運転上手の友人夫妻の企画に乗って、福島へ一泊旅行に出かけた。
   私の旅は、海外であろうと国内であろうと、団体旅行などは、社内旅行や視察団旅行などでない限り皆無で、旅の殆どは、私自身が計画準備した個人ないし家族旅行なのだが、今回は、親しい友との熟年のプライベート旅行なので、完全に任せて、おんぶにだっこで出かけた。

   福島へは、随分前になるが、家族と一緒に、千葉から車で、磐梯山や磐梯高原、五色沼などの裏磐梯、それに、会津若松にと2回ほど観光旅行に行ったことがあり、そのほか、郡山には出張で出かけているのだが、その程度であってよくは知らない。
   今回は、北関東自動車道を葛西から北上して東北自動車道に入り、まず、喜多方を目指す。
   その後、会津若松に入って、その日は、会津鉄道に沿って会津西街道を南に下って、湯野上温泉で宿泊する。
   翌日は、少し引き返して、大内宿を観光して、午後に、石仏が林立したような絶壁のある塔のへっつりを経て千葉に帰る。
   ざっと、そんな旅程だったが、連休の時には、車の渋滞で身動きが取れなかったと言う観光地も、殆ど客足が途絶えて、全く、静かになった新緑の美しい福島の休日を楽しむことが出来た。

   朝7時頃に家を出たので、高速道路が空いていた所為もあり、喜多方に着いたのは11時過ぎであった。
   途中の黒磯パーキングエリアなども閑古鳥が鳴いていたが、店員の気の抜けたような仕草や店舗の商品棚が空いているのを見て、ゴールデンウィークの観光客の殺到の凄まじさが分かる気がした。高速料金1000円効果の恐ろしさを身に沁みて感じたのだが、日本と言う国は、豊かなのか貧しいのか。
   民主党が政権を取れば、高速料金はタダとなる。ETC機を売りつけた関係者はあぶく銭を稼いだ勘定だが、その後は、壊滅状態となる。
   殆どの欧米がそうだが、私は、幹線道路は、税金で建設して、総て、通行料はゼロにすべきだと思っている。

   大噴火で頂上が吹っ飛んだと言う磐梯山が見えると、会津若松は近い。郡山インターを西に回りこんで、猪苗代湖の水面を左に見て少し走って高速を降りて、田舎道を北に走ると喜多方である。
   蔵の街として歴史と伝統のある会津の田舎町だと言う認識と、何故、ラーメンがそれほどまでにもポピュラーなのかと言う疑問を持った程度にしか意識のなかった喜多方だが、やはり、真っ先に来た駅の佇まいなども、鄙びた田舎町と言う感じで、まず、人通りが殆どない。
   駅の案内書で、市内地図を貰って、ラーメンを食べるなら何処が良いかと聞いてみた。勿論、仕事柄特定の店を推薦する訳に行かないがと言って、中年の店番風の婦人が、手馴れたもので、数軒、地図に丸印をつけて捲くし立てた。
   どんな味が好みかと聞いたので、友を差し置いて元関西人だと言ったら、薄味で女性だけでやっている古い店が良かろうと言って教えてくれた「上海」に行くことに決めた。

   私は、知らない街に行って、何処で食事を取るかは、観光ガイド・ブックなどの筆者も、総てのレストランを食べ歩きした筈はないし、どうせ店もバックマージンを払って書いて貰っているのであろうから信用せずに、地元の人に聞いて、地元の人が良く行く普通の店に行くことにしている。
   ヨーロッパの場合には、ミシュラン・ガイドを信用しているが、日本では、当たっているか当たっていないかは別にして、この方法で満足している。

   「上海」は、本通から外れた小さな店で、暖簾をくぐったら、10人も入ればいっぱいの一階は避けて二階に上がった。平凡な何の変哲もない店だが、店内には、小澤征爾や、名の通ったタレント、それに、TVのロケ写真などが飾ってあるから、人気店なのであろう。
   私は、一番人気だと言うので自家製のチャーシューめん大盛りを注文して食べた。元々、ラーメンは苦手なので、うまいかまずいか分からなかったが、連れは満足していた。
   会津の民芸品本郷焼の器を使っていると言うことを後で知ったが、普通の茶碗であったとしか記憶がない。

   蔵を見るのだが、時間が限られているので、大正期の豪邸で日本庭園もある国登録有形文化財だと言う「甲斐本家蔵座敷」に直行した。(口絵写真)
   7年の歳月を要し、現在換算18億円の巨費を投じての建造だと言う。
   最も素晴らしいのは、当時の日本建築の粋を集めた座敷蔵で、黒漆喰の外壁に、選りすぐりの銘木・ふしなし檜・紫檀・黒檀・タガヤサンをふんだんに使って、当時最高の職人技術を駆使しての外装・内装であるから流石である。
   庭からの展望だけで、中に入れないので、その良さは良く分からないが、日本中を回っていると、土地の実業で富をなした人たちの建てた、このような立派な日本建造物に出くわすことが結構ある。
   日本庭園は、まずまずの出来で感慨はない。
   擬古的西洋風の応接室が喫茶室になっているので、コーヒーを頂いたが、この蔵を建てた四代目がハイカラだったようで、ここだけが異空間で面白い。

   街道に沿って複数の蔵が残っていると言う南町のおたずき蔵通りまで歩いた。
   小さな古い建物が並んでいると言う感じだが、私の認識である蔵とは、倉庫や土蔵と言ったストレージのイメージだが、ここでは、商家やものつくりの工場などの建物コンプレックスを総称しているようである。
   蔵のひとつや二つ建てられないようでは男ではないと言う風潮が強くて、蔵建造競争が始まって蔵の街が生まれたらしい。

   ここで、2~3軒蔵(実際は店)見学を梯子したが、最後は、モーツアルトを聴かせて日本酒を醸造すると言う「小西酒造」に入って、酒蔵見物をした。
   先日書いた小布施のセーラ姫の樽醸造と違って、精米の大釜だけは古風だが、完全に金属製の機器にコンピュータ制御の近代的な工場で、何番か思い出せなかったが、モーツアルトのディヴェルティメントが流れていた。
   流石にモーツアルトを聴いて育った音楽酒 蔵粋(クラシック)の銘柄どおりである。
   ベートーヴェンや北島三郎など色々な音楽を聴かせて実験したが、モーツアルトが一番良かったとかで、私の買った一番上等なスーパー大吟醸マエストロ蔵粋は、モーツアルト最後の交響曲第41番ジュピターを聴かせて醸造したと言う。
   肝心なのは、誰の指揮でどのオーケストラが演奏したのかだが、野暮な詮索はやめるとして、とにかく、何とも言えない大らかな遊び心が貴重で嬉しい。
  16.5度、やや甘口、なかなかのものである。 

   余談ながら、モーツアルト鑑賞は、経営者の思考に役立つのかと言った大真面目な経営学論争がHBRなどで戦わされたり、モーツアルトを聞いて試験を受けた子供の成績が良かったとハーバードの先生が発表するなど何度も取り上げられているが、要するに、モーツアルトのあの天国的な美しさの宝石のような音楽は、人間に限りなくプラスであることは間違いなさそうなのである。 
コメント
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