ビル・ゲイツが、昨年1月のダヴォス会議で、現代資本主義は、成功ゆえに富の偏在・不平等を助長し益々格差が拡大するなど忌々しき問題を惹起しているので、グローバル企業は、格差解消のために、貧しい人々を救済するための活動をビジネスに繰り込むべきではないかとして創造的資本主義(Creative Capitalism)への転換を説いた。
この提言に触発されたマイケル・キンズレーが、ゲイツの創造的資本主義をテーマにして意見交換や問題提起、討論を行うウエブサイトを立ち上げて、著名な経済学者や有力者に参加を求めて展開し、その結果を本にしたのが、キンズレー著「ゲイツとバフェット 新しい資本主義を語る Creative Capitalism」である。
ノーベル賞学者3人を含め、アメリカ政府の長官経験者やトップクラスの経済学者やジャーナリストなど論客たちが、侃々諤々、資本主義論争を展開しているであるから、その発想の豊かさなど稀に見る面白さで、最初から最後まで興味が尽きない。
まず、ビル・ゲイツの提案する創造的資本主義論を、ダヴォス・スピーチから要約するとほぼ次のとおり。
テクノロジーの進歩によって人類社会は豊かになったが、その偉大な進歩が、世界の不平等を益々悪化させて来た。裕福な人々は、進歩の恩恵をたっぷり受けているのだが、生活に困窮している人々は、ニーズさえ満たされずその恩恵には浴し得ない極貧状態にある。
人間には、本質的に二つの大きな力があり、その一つの自分の利益を追い求める力を、資本主義は、持続的かつ有益な形で利用し、豊かな人々の富を蓄積して来た。しかし、もう一つの力である他人を思いやる力を活用して、慈善事業や政府援助を通して貧しい人々の生活を改善しようとしているが、十分ではない。
この問題を解決するためには、民間企業が、現在よりはるかに効果的で、技術者や企業の目を貧しい人々に向けさせるような、不平等や不均衡を緩和する取り組を積極的に行う必要がある。
その為には、企業本来の目的である利益追求への利益インセンティブの他に、必ずしも利益に結び付くとは限らないこれらの貧しい人々への社会貢献的な取り組みを促進するために、 企業の善行がプラスとして評価されるようなポジティブ評価インセンティブ・システムを確立するなど、利益と評価を含む市場インセンティブの確立が必要である。
貧しい人々の運命に関心を寄せ、それを自分自身の運命と結び付けて、両者の生活を向上させる、利益追求と他者への思いやりと言う両方を兼ね備えた混合システムを、創造的資本主義と呼ぶ。
まず、問題になるのは、創造的資本主義と言うゲイツの概念がはっきりしていないのが問題で、それ故に、色々な捉え方をされて議論が広く拡散している。
そもそも、資本主義そのものが、もともと、シュンペーターの言う創造的破壊を伴った創造的なものであって、その創造性を最も上手く活用して儲けたのは、ビル・ゲイツ自身であった筈で、いまさらよく言うなあ、といった議論があったり、
たとえば、創造的資本主義が、企業の社会的責任、企業の利他的行為、企業の社会奉仕活動、企業の慈善事業などと言った言葉と同義語のように使われて、CSRとして議論が展開されたりしている。
一方、資本主義とは、一体、何なのかと言った議論になると、資本主義そのものが良いものなのか悪いものなのかと言う根本的な問題まで遡り、市場原理主義者は、ゲイツの言う理想の追求など一切無意味ですべて市場に任せるべしと論じているし、逆に、自由な市場主義経済に懐疑的な識者は、利己的な市場原理で動いている資本主義は、人為的に利他的な要素を加味して修正しなければならないと主張する。
興味深いのは、会社は株主のものであるから、経営者は株主のために利益の最大化を目指すべきで、慈善や社会的貢献など、金儲けのために役に立たなければやってはならないとするミルトン・フリードマンの見解が原点となり、亡霊のように生き返って議論されている。
ゲイツも言っているように、必ずしも、貧しい人々に良かれとする企業活動が、企業の利益に結び付かないケースが多いと言うことで、企業のCSR活動と同様に、経営者の姿勢が問題となる。
「経済の賢人たちが資本主義の未来を考える」と言う賢人たちの議論については、次回以降に論じるとして、ここでは、キンズレーの司会で、ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットが、「創造的資本主義」について語っているので、ビルと違ったニュアンスのバフェットの意見について触れておきたい。
政府に管理されるのは嫌なので、企業法人所得の3%を、アメリカ実業界を代表者数人が管理する基金に投じ、社会の長期的利益のために利用すると言うシステムはどうであろうか、と発言。
ビルの中国での慈善活動のメリットを聞きながら、「市場経済の原理に従えば、企業は世間の人々から良く思われたいと考えるのだが、ナイジェリアで石油掘削事業に入ろうと思えば、大統領好みの慈善が良いのか、貧しい人に1000万ドル費やすのが良いのか、時と場合によって、良く思われたい相手が異なる。」
その商品を買うと一部が、エイズ撲滅などの基金に寄付されると言うゲイツが入れ込んでいるREDキャンペーンについて、その分、商品の価格が高くなるし、顧客は評価するとは思えないとして効果に懐疑的。
キンズレーに、創造的資本主義を行うか、或いは、企業は効率的な生産に専念して利益を上げて、その金を出し合って、社会で何を実現すべきか自分たちで決めて実行するのとどちらが良いかと聞かれて、「独自の税制度を考えるが、あえて言えば後者。」と答えている。
日本版の本のタイトルからは、バフェットも創造的資本主義の同調者と言う感じがするが、ゲイツとバフェット間には、かなり温度差がある。
民間企業は、利益の追求に努めれば良いのであって、その利益の一部を、税なり、強制的寄金とするなりして集めてプールして、その基金を、民間の賢者たちが采配を振るって、人間社会に役に立つ目的に活用するのがベターと言うのがバフェット説のような気がしている。
トータルの税率にもよるが、アメリカ国内だけでやれば、グローバル企業が、アメリカから逃げて行くので、世界規模で考えなければならないのが、問題であるかも知れない。
この提言に触発されたマイケル・キンズレーが、ゲイツの創造的資本主義をテーマにして意見交換や問題提起、討論を行うウエブサイトを立ち上げて、著名な経済学者や有力者に参加を求めて展開し、その結果を本にしたのが、キンズレー著「ゲイツとバフェット 新しい資本主義を語る Creative Capitalism」である。
ノーベル賞学者3人を含め、アメリカ政府の長官経験者やトップクラスの経済学者やジャーナリストなど論客たちが、侃々諤々、資本主義論争を展開しているであるから、その発想の豊かさなど稀に見る面白さで、最初から最後まで興味が尽きない。
まず、ビル・ゲイツの提案する創造的資本主義論を、ダヴォス・スピーチから要約するとほぼ次のとおり。
テクノロジーの進歩によって人類社会は豊かになったが、その偉大な進歩が、世界の不平等を益々悪化させて来た。裕福な人々は、進歩の恩恵をたっぷり受けているのだが、生活に困窮している人々は、ニーズさえ満たされずその恩恵には浴し得ない極貧状態にある。
人間には、本質的に二つの大きな力があり、その一つの自分の利益を追い求める力を、資本主義は、持続的かつ有益な形で利用し、豊かな人々の富を蓄積して来た。しかし、もう一つの力である他人を思いやる力を活用して、慈善事業や政府援助を通して貧しい人々の生活を改善しようとしているが、十分ではない。
この問題を解決するためには、民間企業が、現在よりはるかに効果的で、技術者や企業の目を貧しい人々に向けさせるような、不平等や不均衡を緩和する取り組を積極的に行う必要がある。
その為には、企業本来の目的である利益追求への利益インセンティブの他に、必ずしも利益に結び付くとは限らないこれらの貧しい人々への社会貢献的な取り組みを促進するために、 企業の善行がプラスとして評価されるようなポジティブ評価インセンティブ・システムを確立するなど、利益と評価を含む市場インセンティブの確立が必要である。
貧しい人々の運命に関心を寄せ、それを自分自身の運命と結び付けて、両者の生活を向上させる、利益追求と他者への思いやりと言う両方を兼ね備えた混合システムを、創造的資本主義と呼ぶ。
まず、問題になるのは、創造的資本主義と言うゲイツの概念がはっきりしていないのが問題で、それ故に、色々な捉え方をされて議論が広く拡散している。
そもそも、資本主義そのものが、もともと、シュンペーターの言う創造的破壊を伴った創造的なものであって、その創造性を最も上手く活用して儲けたのは、ビル・ゲイツ自身であった筈で、いまさらよく言うなあ、といった議論があったり、
たとえば、創造的資本主義が、企業の社会的責任、企業の利他的行為、企業の社会奉仕活動、企業の慈善事業などと言った言葉と同義語のように使われて、CSRとして議論が展開されたりしている。
一方、資本主義とは、一体、何なのかと言った議論になると、資本主義そのものが良いものなのか悪いものなのかと言う根本的な問題まで遡り、市場原理主義者は、ゲイツの言う理想の追求など一切無意味ですべて市場に任せるべしと論じているし、逆に、自由な市場主義経済に懐疑的な識者は、利己的な市場原理で動いている資本主義は、人為的に利他的な要素を加味して修正しなければならないと主張する。
興味深いのは、会社は株主のものであるから、経営者は株主のために利益の最大化を目指すべきで、慈善や社会的貢献など、金儲けのために役に立たなければやってはならないとするミルトン・フリードマンの見解が原点となり、亡霊のように生き返って議論されている。
ゲイツも言っているように、必ずしも、貧しい人々に良かれとする企業活動が、企業の利益に結び付かないケースが多いと言うことで、企業のCSR活動と同様に、経営者の姿勢が問題となる。
「経済の賢人たちが資本主義の未来を考える」と言う賢人たちの議論については、次回以降に論じるとして、ここでは、キンズレーの司会で、ビル・ゲイツとウォーレン・バフェットが、「創造的資本主義」について語っているので、ビルと違ったニュアンスのバフェットの意見について触れておきたい。
政府に管理されるのは嫌なので、企業法人所得の3%を、アメリカ実業界を代表者数人が管理する基金に投じ、社会の長期的利益のために利用すると言うシステムはどうであろうか、と発言。
ビルの中国での慈善活動のメリットを聞きながら、「市場経済の原理に従えば、企業は世間の人々から良く思われたいと考えるのだが、ナイジェリアで石油掘削事業に入ろうと思えば、大統領好みの慈善が良いのか、貧しい人に1000万ドル費やすのが良いのか、時と場合によって、良く思われたい相手が異なる。」
その商品を買うと一部が、エイズ撲滅などの基金に寄付されると言うゲイツが入れ込んでいるREDキャンペーンについて、その分、商品の価格が高くなるし、顧客は評価するとは思えないとして効果に懐疑的。
キンズレーに、創造的資本主義を行うか、或いは、企業は効率的な生産に専念して利益を上げて、その金を出し合って、社会で何を実現すべきか自分たちで決めて実行するのとどちらが良いかと聞かれて、「独自の税制度を考えるが、あえて言えば後者。」と答えている。
日本版の本のタイトルからは、バフェットも創造的資本主義の同調者と言う感じがするが、ゲイツとバフェット間には、かなり温度差がある。
民間企業は、利益の追求に努めれば良いのであって、その利益の一部を、税なり、強制的寄金とするなりして集めてプールして、その基金を、民間の賢者たちが采配を振るって、人間社会に役に立つ目的に活用するのがベターと言うのがバフェット説のような気がしている。
トータルの税率にもよるが、アメリカ国内だけでやれば、グローバル企業が、アメリカから逃げて行くので、世界規模で考えなければならないのが、問題であるかも知れない。