熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

「写楽 幻の肉筆画」展・・・写楽雑感

2009年07月17日 | 展覧会・展示会
   東洲斎写楽の肉筆扇面画「四代目松本幸四郎の加古川本蔵と松本米三郎の小波」(この口絵写真)が、ギリシャ・コルフ島にあるアジア美術館から里帰りして来たと言う話題の浮世絵展が、両国の江戸東京博物館で開かれている。
   先回のボストン美術館からの肉筆浮世絵展ほど客は多くはないが、熱心な浮世絵ファンは、一点一点丹念に鑑賞を続けている。
   
   この写楽の扇面図は、会場では、この作品だけ暗いボックスに収められて、スポットライトを受けて浮き上がって見えるので、かなり、細部まで良く見えるのだが、
   他の写楽絵のように単調なモノクロ基調の単色のバックではなく、品の良い黄土色の地に、かなり、カラフルで優雅な役者絵を丁寧に描いているので美しい。
   「仮名手本忠臣蔵」2段目の「松切り」の場のようだが、私は、加古川本蔵と娘の小波が一緒に登場する舞台を見たことはない。
   

   ところで、今回の浮世絵展だが、写楽の「大首絵」は勿論、他にも、歌麿の「歌撰恋之部 深く忍恋」や「風流六玉川」などを筆頭に沢山の素晴らしい作品が来ている。
   バリエーションとその豊かさに、このコレクションを、パリやウィーンで買い集めたギリシャの外交官グレゴリオス・マノスの、日本美術への傾倒振りの凄まじさが偲ばれる。
   
   この写楽だが、1794年に彗星のごとく現れて、10ヶ月の間に、140点の作品を生み出して、忽然と消えてしまったので、未だに、どんな人物であったのかハッキリせず、丁度、シェイクスピアがそうであるように、多くの憶測を呼んで、色々な人物が、写楽だと言われている。
   一応、徳島の能役者斎藤十郎兵衛だと言う説が有力なようだが、歌麿、北斎、豊国、十返舎十九などと言った名前も上がっており、謎を秘めたままで面白い。

   写楽が有名になったのは、ドイツの美術学者ユリウス・クルトが、1910年に「SHARAKU」と銘打つ本を出版して、写楽を、レンブラントやベラスケスと並ぶ三大肖像画家だと激賞したのが切っ掛けで、一気に、日本でも写楽人気が沸騰した。

   何故、日本では人気がなかったのかと言うことだが、歌麿などの美しい錦絵とは違って、それほど上手だとは思えない稚拙な大首絵形式で、美醜を問わず歌舞伎役者の迫真の演技を切り取って、人間の内面を抉るような表情を活写して叩きつけたのであるから、正に、その激しいリアリズムが、江戸庶民に受け入れられなかったのではないであろうか。
   当時の歌舞伎役者の錦絵や浮世絵でも、現在の歌舞伎役者のブロマイドと比べれば、美しいと言うジャンルからはかなり外れると思うが、それにしても、とにかく、写楽の役者の大首絵には、美しく描かれた役者絵などは殆ど皆無なので、描かれた歌舞伎役者当人も、頭に来ていたのではないかと思う。
   丁度、仏像で言えば、円空仏や木喰仏のような印象であろうか。素人目には、どこが良いのか分からないのである。

   大分前に、篠田正浩監督が撮った「写楽」と言う映画を見た。
   皆川博子原作脚本で、真田広之が東洲斎写楽(とんぼ)、フランキー堺が版元の蔦屋重三郎、佐野四郎が歌麿、それに、写楽の上司たる大道芸人一座の座長おかんの岩下志麻、想い人の花魁花里の葉月里緒菜などの女性陣が絡む面白い映画であった。

   主人公のとんぼが、元歌舞伎座の梯子を支える稲荷町役者であったのだが、団十郎(富十郎)の上る梯子で足を砕かれて仕事にあぶれ、おかんに拾われる。蔦屋重三郎が京伝の洒落本でお上の禁令に触れて手鎖50日の刑に服している間に、歌麿が逃げてしまって商売にならなくなったので、元大道の砂絵の絵師を母に持つとんぼが描いていた役者絵の斬新さに惚れ込み東洲斎写楽で出版する。脅威を感じた歌麿が写楽の正体を嗅ぎ付けて捕らえ、江戸から追放する。
   そんな話であったのだが、松竹100周年記念映画とかで、当時の歌舞伎や歌舞伎座、色町の様子や庶民たちの娯楽と言った江戸風物が存分に描かれていて面白かったし、それに、京伝、一九、北斎、歌麿、並木五瓶と言った当時の芸術家入り乱れての登場など興味津々であった。
   
   写楽については、夥しい書物が出ている。
   まだ、一冊も読んでいなかったのだが、先日、神保町の古書店で、磯田啓二著「偽小説 東洲斎写楽」を見つけて読んでみた。
   阿波の住人斎藤十郎兵衛説を取るが、能役者ではなく、阿波蜂須賀藩の藍玉の独占権を取り上げようとして画策する幕府の動向を探る隠密として、大坂、江戸に移り住みながら、絵心に目覚めて、浮世絵師に転進して行く姿を描いている。
   浮世絵師写楽として名声を博すると、秘すべき隠密の素性がばれると困る蜂須賀藩が、刺客を送って写楽の右手を切り落とすと言う設定も面白いが、やはり、たった、10ヶ月で忽然と消えて行く写楽のミステリーを、隠れキリシタンと言う設定で、最後には、幕府の追っ手を避けてフランスへ逃げて行くところなど、もっと意表をついていて面白い。
   映画でも、この小説でも、写楽が一番親しかったのは、「東海道中膝栗毛」を書いた十返舎一九だと言う。正に、興味津々で、あの頃の江戸は、寛政の改革で奢侈を厳しく取り締まり、庶民の娯楽や楽しみを圧殺していた時代でありながらも、ルネサンスの頃のフィレンツェのようで、文人や芸人、絵師などが群雄割拠して活躍していたのである。

   とにかく、ドイツの学者に言われるまで、写楽の価値を分からなかったわれわれ日本人の芸術感覚も問題だが、写楽と言うミステリアスな存在が、実に面白くて愉快である。
  
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする