熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

カザルスホールの真髄を未来につなぐコンサート~賛歌 カザルスホール

2011年04月28日 | クラシック音楽・オペラ
   久しぶりに、涙が溢れるほど感激したコンサートを聴いた。
   昨夜、4時間近くにわたって3部形式で催された紀尾井ホールでの「カザルスホールの真髄を未来につなぐコンサート〜賛歌 カザルスホール」である。
   昨年3月に閉鎖された御茶ノ水のカザルスホールを復活させるべく立ち上がった音楽家たちの「カザルスホールを守る会」主催のコンサートで、賛同した日本屈指の多くの音楽家たちが挙って参集して演奏された、アラカルト形式の極上の音楽会であった。
   勿論、「東日本大震災復興支援のために」開かれたコンサートであることは言うまでもない。

   最後の曲目チャイコフスキーの「弦楽セレナードより フィナーレ」など、徳永二男を筆頭に、各パートとも、コンマスやソリストなど殆ど第一人者ばかりの弦楽奏者が全員参加しての、サイトウキネンオーケストラにも引けを足らないような素晴らしい演奏で、正に、感激の一語に尽きる。
   それでは終わらず、このカザルスホールを守る会の呼びかけ人の中心人物であり、パブロ・カザルスに直接師事した日本人チェリストの最高峰の一人である岩崎洸が、カザルスと言えばこれしかないと言って、チェリスト13人全員と岩崎淑のピアノで、万感の思いを込めて静かに、そして、荘厳に、「鳥の歌」を演奏した。
   当日、このコンサートに参加した全員が、静かにステージに登場して、奏者を取り囲んだ。聴衆は、この荘厳な儀式に、じっと感動を噛みしめていた。

   この「鳥の歌」は、1971年10月24日、カザルス94歳のときにニューヨーク国連本部において「私の生まれ故郷カタロニアの鳥は、ピース、ピース(peace peace)と鳴く」と語ってチェロ演奏したあの『鳥の歌』 (El Cant dels Ocells) である。
   私は、テレビで、このカザルスの崇高な素晴らしい演奏の様子を見て感激したのだが、独裁者フランコに徹底して反旗を翻し続けたカザルスであればこその平和宣言であった。
   同じような思い出は、マドリッドのプラド美術館の別館に展示されているパブロ・ピカソの「ゲルニカ」を見た時、フランコのゲルニカ爆撃に激しく抗議した平和主義者ピカソの魂を痛い程感じて、カザルスに思いを馳せたことである。

   アルフレッド・コルトー(ピアノ)とジャック・ティボー(ヴァイオリン)とで結成したカザルス三重奏団の時代を超越した演奏のレコードを、若い時に聞いた記憶があるのだが、カザルスが、プエルトリコで亡くなったと知ったのは、留学中のフィラデルフィアであった。
   私にとっては、全く、伝説上の偉大なチェリストである。
   私が最も沢山コンサートに出かけて聞いたチェリストは、ロストロポーヴィッチで、チェロ演奏だけではなく、奥方のガリーナ・ヴィシネフスカヤのソプラノ・リサイタルでのピアノ伴奏や指揮者としての演奏にも接している。
   しかし、良く考えてみれば、あの朗々とした低音の得も言われぬ魅力を何度もチェロ協奏曲などで聴いている筈だが、私の思い出せるチェリストは、ヨーヨー・マとピエール・フルニエくらいである。

   ところで、この日の演奏会は、チェリスト総出演のカザルスの「東方の三賢人」で始まり、他にも全チェリストでのユリウス・クレンゲルの「賛歌」が演奏されたのだが、タイトルが、カザルスホール賛歌であるから当然としても、実に感動的なチェロ演奏であった。
   カザルスホールは、日本初の室内楽専用ホールとして設立されたので、今回の演奏会には、この舞台で活躍した色々な分野の音楽家たちが登場して、夫々、室内楽曲を、一部の楽章だけだったり、小品の演奏にとどまっていたのだが、日本でも指折りのトップ奏者たちの演奏であるから、多少緊張感を抑えたとは言っても、一切手抜きはなく、正に、数分にかけた演奏で、非常に幅広くて盛り沢山の素晴らしい音楽を披露してくれた。

   私は、久しぶりに、相曽賢一朗のヴァイオリン演奏が聴けるので期待して出かけた。
   この日は、彼としては異例とも言うべき重鎮ピアニストの岩崎淑のピアノ伴奏で、フリッツ・クライスラーの「ウィーン奇想曲」と「ウィーン小行進曲」を演奏した。
   恒例の晩秋のリサイタルとは違って、一寸、リラッススした感じであったが、世紀末のウィーンの香りを漂わせた実に繊細でありながらリズミカルな素晴らしい演奏であった。
   私が、ロンドンで初めて会った時には、ロイヤル・アカデミーの大学院生であったのだが、あれから、かれこれ20年。ロンドンを起点にして東欧までヨーロッパを縦横無尽に駆け回りながら演奏活動を続けているのだから、ヨーロッパの生活風土と言うか、ヨーロッパの文化が体に染み込んだのであろう。あのウィーン訛りがムンムンするようなクライスラーの世界が醸しだされた相曽独特のグローカルの音の世界が垣間見えて興味深かった。
 
   私の最初に興味を持った室内楽は、ヴァイオリン・ソナタであったので、良く演奏会にも出かけた。
   今回は、徳永二男(V)と小森谷裕子(P)のヴィエニャフスキの「華麗なるポロネーズ第1番」
   川久保賜紀(V)と岩崎淑(P)のバルトークの「6つのルーマニア舞曲」
   和波孝禧(V)と土屋美寧子(P)のベートーヴェンの第8番の第1楽章
   などのヴァイオリン・デュオがあり、非常に高度な洗練された演奏が聴けて感激頻りであった。
   当夜、他にも、ヴァイオリンの豊嶋泰嗣、漆原啓子、原田幸一郎はじめ錚々たるプレイヤーが登場し、他の弦楽パートやピアニスト、それに、池辺晋一郎の自作指揮で「ブラック・ブランク・ブレイズ」を演奏した9人の素晴らしいクラリネット奏者の方々など、特筆すべき人々が続々登場しての壮観であった。

   もう一つ、強烈な印象が残っているのが、仲道郁代のショパンのポロネーズ第6番「英雄」の豪快な演奏である。
   これも20年ほど前の思い出だが、ロンドン交響楽団かフィルハーモニア菅か記憶は定かではないが、マリア・ジョアン・ピレスの代役として、仲道郁代が、ロンドン・デビューした舞台を聴いたのである。
   当時のプログラムを探せばあるかも知れないが、曲も覚えていないが、私たち家族は、必死になって拍手を続けていた。
   今も当然魅力的だが、あの頃は、人形のように可愛くて実に初々しかった。

   フルートの南部やすか、マリンバの有賀誠門とジャンベの平方真希子とダンスの梅礼、琴の西陽子、ギターの福田進一、ピアノの舘野泉、バリトンの河野克典と言った多彩なジャンルの素晴らしい演奏も楽しませてくれた。
   
   さて、カザルスホールだが、良く分からないが、やはり、先日書いたフィラデルフィア菅の破産のように、根本的には、日本では、室内楽専門の小ホールでは、不況下の日本では、採算が成り立たないのであろう。
   所有権が、主婦の友社から日本大学に移って、日大は、行く行くは、更地にして、大きな建物を建てる予定だったらしい。
   このカザルスホールは、カザルスの没後、音楽の重要な拠点として後世のために末永く守ってくれることを条件にカザルス夫人からその名の使用許諾を受け、その名を冠してきた。館内のチャイムは、カザルス編「鳥の歌」の旋律で、ホール名のマークはカザルスの頭文字「C」にオリーヴをくわえる鳥をあしらった安野光雅(「鳥の歌」にちなむ)のデザインで、カザルスがホールの随所に行き届いている。と言う。
   日本の多くの素晴らしい音楽家のためにも、存続を死守すべきであろう。
   現在地で維持出来なければ、磯崎新の設計で、オルガンもある素晴らしいホールであり、建物がポンコツである訳がなく、立派に永続できる建築物であるから、東京のどこかへ移築して存続させられないであろうかと思う。

   NHKが、合理化だとして、竹中大臣時代にBS2の廃止を指示されたようだが、これなど最低だと思うし、逆に、朝から晩までタレントとか言う芸人がドタバタ騒がしい馬鹿番組を放映し続ける民放がペイする国が日本。
   高度な本物の芸術は、天然記念物と言うべきで、必死になって守らないと生きて行けないのである。
   衣食足って礼節を知ると言うことで、日本が不況を託って益々貧しくなれば、文化国家日本の芸術の質も落ちて行く。
   企業のメセナ活動も、目覚めて発憤しないのであろうかと思っている。
コメント (1)
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