過去200年の間に、5つのイノベーションの長波があった。そのイノベーションを始動したのは、水力、蒸気機関による動力、電気と鋼鐵、大量生産、情報通信であったと言う。
現在、その端緒についたのがコンドラチェフの第6の波であるが、その新しい革新的な波について、オーストラリアの若くて有能なイノベーション学者が、その波が巻き起こす新しい世界を展望するというのであるから、興味を持って紐解いたのだが、期待に違わず、非常に面白い、かつ、示唆に富んだ理論展開であった。
第5の波が、インターネットで展開された世界なら、第6の波は、環境や資源ビジネス革命が脚光を浴びてくるものの、資源が希少になってくると、ビジネス界と経済界は、商品から離れてサービスに軸足を移して行く。ものを持たない世界がやって来るので、ビジネスをサービス化する、すなわち、商品ではなくサービスを売る方法で成功を修めない限り、その企業の明日はないと言うのである。
趨勢の原動力となるのは、クリーン・テクノロジー、デジタル・マッピング、オンライン・コラボレーションなどの新技術である。
興味深いのは、イノベーションの核となる主要素は、新しい「技術」、「市場」の変化、その結合を可能にし促進する「制度」で、そのいずれかで変化が起これば、イノベーションのプロセスが開始されるのだが、持続可能な真のイノベーションは、技術と市場と制度の3本柱総てが同時に変化をした時に発生するとして、シュンペーターの創造的破壊の過程を追いながら論じているので、今回の世界金融危機も、それ程深刻には捉えずに、第6の波の創造的破壊の一過程であって、大規模に起こっただけだと言うのである。
更にユニークな点は、廃棄物に対する著者の視点である。
現在、全世界で、消費者が1年間に抽出、使用、廃棄する原料は5000億トンで、1年後まで耐久財として残りるのは全体の1%に過ぎず、残りの99%は廃棄物となり、この廃棄物は売れ残りの製品だとする。
第5の波の戦略は、ものを売る時の取引コストを限りなくゼロに近づけることであったが、第6の波の戦略は、売れ残りの製品を限りなくゼロに近づけることであり、逆に、この売れ残りの製品から利益を得る新しい手法を見つけることである。
したがって、この廃棄物は利益の空白地帯であって、究極の取引コストと見做すべきで、廃棄物に対する考え方を根本的に転換しなければならないと説く。
このことは、安価な石油をがぶ飲みにして地球線宇宙号を窮地に追い込んだアメリカの消費天国が如何に罪深いかと言うことで、サステイナブルな地球環境を維持するためには、資源の効率性を向上させる以外に人類の未来はないと言うことを考えれば分かる。
「処分場採掘」と言う形の、燃料の抽出、再利用や再資源化による物質の回収や、廃棄食物のたい肥化などの新しい動きから説き起こして、イギリスでの高額な埋め立て税によって廃棄が高くつくことを示して資源化に追い込んだり、熱帯雨林の乱開発より生態系サービスを売る方が利益となる方法と言った政策戦略などを交えながら、廃棄物を原材料として買う事業などの出現など、資源効率性に市場機会を見だすと言う大市場への転換を説いていて興味深い。
ロカボアと言う食料を可能な限り地元で調達しようとする人々が、地産地消運動を進めている。
最高のものを求めて金に糸目を付けない消費者が居るから天下の名品、名産物が存在するのだが、商品の輸送程大きな無駄はなく、グローバルに考えて、ローカルに食べるキャンペーン「フード・マイル」運動が脚光を浴びて来た。
また、持続可能性を維持するために、製品の生産に使用されるすべての物質を回収・再使用できるようにする化学プロセスにおけるリサイクルの輪を完成させると言う「グリーン・ケミストリー」など、新しい展開も進みつつあると言う。
使用する生産物は最終的にすべてサービスに転嫁されると言うのが著者たちの思想だが、その典型例は、カー・シェアリングであろうか。
消費する生産物ではあるが、車を消費するのではなく、使用するサービスを提供しているのである。
生産物には、「消費するための生産物」と「使用するための生産物」があり、前者を「バイオスフィア」後者を「テクノスフィア」と呼ぶ。
バイオスフィアは消耗品で、資源の消費と廃棄物の排出を最小限にすべきで、テクノスフィアは、将来的に、すべて商品からサービスに移行して行くと言う。独占的に、或いは、永久的に所有して消費すると言うよりは、共同所有やレンタルと言った形で、シェアリングしながら、そのサービスを享受すると言うシステムへの移行もその方向であろう。
例えば、飛行機や携帯電話は、使用するための生産物だが、サービスとして提供されて商売となっている。
企業では、ハードのメーカーであったIBMが、商品からサービスへと戦略転換したのが典型的である。
カスタマイズとパーソナライズ手法を進め、便益や支援や保護、そして体験や情報やその他の知的コンテンツを提供して、価値を創造して補足する相互作用を生み出す正にサービスに主眼を置いた企業に転換した。
多くの企業にとって、サービスは意識革命の象徴であって、今後は、どんな商品を製造するかではなく、どんなサービスを展開するかを考えて経営戦略なり戦術を打たねば、生きて行けなくなると言うことでもある。
デジタル界と自然界の融合と言う理論展開も興味深いが、
原子(原子で構成される消費財)は地元、ビット(ビットで構成される情報)は世界、と言う理論展開もユニークで、グローバルな商品やサービスをローカルな嗜好・習慣・文化に合わせる、或いは、逆に、ローカルなサービスをグローバルに展開すると言った「グローカリゼーショイン」へのビジネス論や、
迷ったら自然に学べと言う産業生態学にも言及するなど、示唆に富んだ理論展開が面白い。
時代は、デジタル・ネイティブから、既に、エコ・ネイティブへと変りつつあると言うのだが、大量生産方式の産業工業化時代の企業戦士であった私など、もう、過去の遺物と言うか化石のようなものかも知れないと思いながら、この本を読んだのだが、結構面白かったと思っている。
現在、その端緒についたのがコンドラチェフの第6の波であるが、その新しい革新的な波について、オーストラリアの若くて有能なイノベーション学者が、その波が巻き起こす新しい世界を展望するというのであるから、興味を持って紐解いたのだが、期待に違わず、非常に面白い、かつ、示唆に富んだ理論展開であった。
第5の波が、インターネットで展開された世界なら、第6の波は、環境や資源ビジネス革命が脚光を浴びてくるものの、資源が希少になってくると、ビジネス界と経済界は、商品から離れてサービスに軸足を移して行く。ものを持たない世界がやって来るので、ビジネスをサービス化する、すなわち、商品ではなくサービスを売る方法で成功を修めない限り、その企業の明日はないと言うのである。
趨勢の原動力となるのは、クリーン・テクノロジー、デジタル・マッピング、オンライン・コラボレーションなどの新技術である。
興味深いのは、イノベーションの核となる主要素は、新しい「技術」、「市場」の変化、その結合を可能にし促進する「制度」で、そのいずれかで変化が起これば、イノベーションのプロセスが開始されるのだが、持続可能な真のイノベーションは、技術と市場と制度の3本柱総てが同時に変化をした時に発生するとして、シュンペーターの創造的破壊の過程を追いながら論じているので、今回の世界金融危機も、それ程深刻には捉えずに、第6の波の創造的破壊の一過程であって、大規模に起こっただけだと言うのである。
更にユニークな点は、廃棄物に対する著者の視点である。
現在、全世界で、消費者が1年間に抽出、使用、廃棄する原料は5000億トンで、1年後まで耐久財として残りるのは全体の1%に過ぎず、残りの99%は廃棄物となり、この廃棄物は売れ残りの製品だとする。
第5の波の戦略は、ものを売る時の取引コストを限りなくゼロに近づけることであったが、第6の波の戦略は、売れ残りの製品を限りなくゼロに近づけることであり、逆に、この売れ残りの製品から利益を得る新しい手法を見つけることである。
したがって、この廃棄物は利益の空白地帯であって、究極の取引コストと見做すべきで、廃棄物に対する考え方を根本的に転換しなければならないと説く。
このことは、安価な石油をがぶ飲みにして地球線宇宙号を窮地に追い込んだアメリカの消費天国が如何に罪深いかと言うことで、サステイナブルな地球環境を維持するためには、資源の効率性を向上させる以外に人類の未来はないと言うことを考えれば分かる。
「処分場採掘」と言う形の、燃料の抽出、再利用や再資源化による物質の回収や、廃棄食物のたい肥化などの新しい動きから説き起こして、イギリスでの高額な埋め立て税によって廃棄が高くつくことを示して資源化に追い込んだり、熱帯雨林の乱開発より生態系サービスを売る方が利益となる方法と言った政策戦略などを交えながら、廃棄物を原材料として買う事業などの出現など、資源効率性に市場機会を見だすと言う大市場への転換を説いていて興味深い。
ロカボアと言う食料を可能な限り地元で調達しようとする人々が、地産地消運動を進めている。
最高のものを求めて金に糸目を付けない消費者が居るから天下の名品、名産物が存在するのだが、商品の輸送程大きな無駄はなく、グローバルに考えて、ローカルに食べるキャンペーン「フード・マイル」運動が脚光を浴びて来た。
また、持続可能性を維持するために、製品の生産に使用されるすべての物質を回収・再使用できるようにする化学プロセスにおけるリサイクルの輪を完成させると言う「グリーン・ケミストリー」など、新しい展開も進みつつあると言う。
使用する生産物は最終的にすべてサービスに転嫁されると言うのが著者たちの思想だが、その典型例は、カー・シェアリングであろうか。
消費する生産物ではあるが、車を消費するのではなく、使用するサービスを提供しているのである。
生産物には、「消費するための生産物」と「使用するための生産物」があり、前者を「バイオスフィア」後者を「テクノスフィア」と呼ぶ。
バイオスフィアは消耗品で、資源の消費と廃棄物の排出を最小限にすべきで、テクノスフィアは、将来的に、すべて商品からサービスに移行して行くと言う。独占的に、或いは、永久的に所有して消費すると言うよりは、共同所有やレンタルと言った形で、シェアリングしながら、そのサービスを享受すると言うシステムへの移行もその方向であろう。
例えば、飛行機や携帯電話は、使用するための生産物だが、サービスとして提供されて商売となっている。
企業では、ハードのメーカーであったIBMが、商品からサービスへと戦略転換したのが典型的である。
カスタマイズとパーソナライズ手法を進め、便益や支援や保護、そして体験や情報やその他の知的コンテンツを提供して、価値を創造して補足する相互作用を生み出す正にサービスに主眼を置いた企業に転換した。
多くの企業にとって、サービスは意識革命の象徴であって、今後は、どんな商品を製造するかではなく、どんなサービスを展開するかを考えて経営戦略なり戦術を打たねば、生きて行けなくなると言うことでもある。
デジタル界と自然界の融合と言う理論展開も興味深いが、
原子(原子で構成される消費財)は地元、ビット(ビットで構成される情報)は世界、と言う理論展開もユニークで、グローバルな商品やサービスをローカルな嗜好・習慣・文化に合わせる、或いは、逆に、ローカルなサービスをグローバルに展開すると言った「グローカリゼーショイン」へのビジネス論や、
迷ったら自然に学べと言う産業生態学にも言及するなど、示唆に富んだ理論展開が面白い。
時代は、デジタル・ネイティブから、既に、エコ・ネイティブへと変りつつあると言うのだが、大量生産方式の産業工業化時代の企業戦士であった私など、もう、過去の遺物と言うか化石のようなものかも知れないと思いながら、この本を読んだのだが、結構面白かったと思っている。