熟年の文化徒然雑記帳

徒然なるままに、クラシックや歌舞伎・文楽鑑賞、海外生活と旅、読書、生活随想、経済、経営、政治等々万の随想を書こうと思う。

ピエルルイジ・コッリーナ著「ゲームのルール」

2011年04月20日 | 書評(ブックレビュー)・読書
   著者のピエルルイジ・コッリーナは、、2002年の日本と韓国でのワールドカップで、日本対トルコ、決勝戦のドイツ対ブラジルなどの対戦の主審を務めたサッカーの偉大な国際審判員である。
   偶々、古書店で見つけて、サッカー・ファンでもない私が、この本を読んだのは、著者略歴に、経営コンサルタントとしての顔を持つと書いてあったからで、往々にして、その道に秀でて名を成した人には、特別なマネジメントの才があり、貴重な一家言を必ず持っているので、それに、触れたかったからである。
   このユル・ブリンナのような風貌は独特で、残念ながら、日本が負けてしまったけれど、テレビで見ていたので、コッリーナの姿は覚えている。

   私は、一度だけ、サッカーの試合を見に行ったことがある。
   ブラジルに赴任してすぐに、誘われて、サンパウロの競技場にでかけたのだが、子供の頃に習ったルール程度で良く知らなかったし、それに、観客席では、興奮した観客が焚火はするは、コカコーラの瓶が後ろから飛んで来るは、とにかく、スポーツ観戦と言った雰囲気ではなかったので、その後は、一度も行っていない。

   しかし、サンパウロでは、サッカーに関して、強烈な印象が、二回ある。
   最初は、サンパウロの地元チーム・コリンチャンズが、優勝から見放されていた昔の阪神のように奇跡的に優勝したとかで、サンパウロ中が、革命騒ぎのように、昼夜、熱狂したファンで、大変な騒ぎであったこと。
   もう一つは、隣のブエノスアイレスでのワールドカップで、ブラジルとアルゼンチンの優勝決定戦が行われたのだが、当日は、官公庁も民間企業も早々にすべてシャッターを下し、そして、街の店舗と言う店舗はみんな店を閉めて、町中は、水を打ったように静かになり、全ブラジル人が、テレビに見入ったのである。
   勿論、バスもタクシーも、走っていない。
   途中で、ブラジルにゴールが決まった時には、高層ビルのアパートや事務所から、爆竹音と歓声があがって、ところ構わず、紙吹雪で、この時も、正に、革命騒ぎの凄まじさであった。
   サンパウロのバス会社の社長が、男気を出して、無料で、沢山のファンを、ブエノスアイレスに送り込んだとか、大新聞に、競技場へ行かなくても、ブラジルを勝たせる応援の仕方と言った社説が掲載されたとか。
   しかし、ブラジルが涙を飲んだと記憶しているのだが、優勝していたら、どんな騒ぎになっていたか、それ程、ブラジル人のサッカーへの入れ込みは尋常ではないのである。

   これ程、日本でも、サッカー・ブームになるのなら、4年間もブラジルにいたのだから、本場で、素晴らしいプレーや名勝負を見ておくべきだったと思うのだが、イギリスに5年間もいて、一度も、ゴルフをしなかったのと同じで、趣味でもなく興味がないと言うことは、言うなれば、恐ろしいことなのである。
   しかし、私から言わせれば、イギリスに何年も住んでいながら、シェイクスピア戯曲を見たこともなければ、私が出張で行けなくて何度もロイヤルオペラのチケットを与えても、一度も、行かなかった同僚が、殆どだったと言うことを考えれば、何でも、好きでなければ、猫に小判なのである。

   駄弁が長くなってしまったが、コッリーナは、日本対トルコの対戦に対する思い出を語っている。
   試合終了のホイッスルが鳴ったその直後に、降り続く雨の中で、2時間にわたって間断なく続いた、耳をつんざく4万人の日本人による大声援が止まって、10秒間の完全な沈黙。
   その10秒間は、永遠に続く非現実的なもののように思えて、「鼓膜が破れるほどの静寂」が何を意味するのか、その後の、嵐のような感動的な長い拍手が続いて、それまで自分には沸き起こったことのない感動的な瞬間であった。
   日本代表の夢は潰えたが、拍手を送る全観衆は、とにかく結果を出したと言うチームに感謝の気持ちを表したかったのだと言う。

   トルコの選手が勝利を祝う中、日本選手の多くは泣いていたが、自然に日本のキャプテン宮本に近づきたい衝動に駆られて、「自分たちのしたことに誇りを持っていいと思う。悲しむんじゃない。胸を張れ。」と言った。
   大会前に期待された以上のことを成し遂げ、決勝トーナメントまで辿り着き、誇りを持って負けたことは尊敬すべき結果であって、宮本への語りかけは、自分の感動を伝え、勝つために全力を尽くした人たちに、尊敬の意を表したかったからだと言う。
   英語で伝えた自分の言葉の本質を、宮本の微笑みによって理解されたと確証し、観衆の止むことのない拍手は、まるで二人のやり取りを、彼らも共感しているかのように感じたと述懐している。

   蛇足だが、実に感動的な素晴らしい本である。
   
(追記)口絵写真は、同書掲載の写真を転写借用。
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