私は、イギリスに5年住んでいた。
その前、3年間、オランダに住んでいたけれど、仕事の関係で、あまりに頻繁に、アムステルダムとロンドンを往復するので、ヒースロー空港の入管の係員が、イギリス在住のビザを取れと言った。
ヨーロッパの拠点の開拓で、最初は、アクセス便利なアムステルダムに本拠を置いたのだが、結局、ロンドンでの事業の比重が増してきたので、移転を考えていた矢先でもあり、渡りに船とロンドンに移った。
ロンドン市内でも、そうだが、特別な中心街以外では、殆ど一戸建てか、二個一のセミデタッチ・ハウスが多くて、必ず、各戸に広い裏庭がついていて、夫々、住人が、思い思いの庭を造って楽しんでいる。
私は、途中1回宿替えをしているので、都合、二軒のイギリスの家に住んでいたわけだが、両方とも、かなり、綺麗な整った裏庭があって、季節の花々が咲いたり、果樹が実ったりと、季節感を感じながら、庭に出て、憩ったものである。
ところが、とにかく、今日はパリ、明日はブラッセルと言った調子で、休日さえまともに取れない程多忙を極めていたので、イギリス人のように、休日には、ガーデニングを楽しむと言った余裕などは、全くなかった。
当時は、それ程、ガーデニングに興味があった訳でもなかったので、庭仕事は、殆ど、専門のガーディナーに任せていた。
ところが、オランダにいた時には、写真が好きだったので、キューケンホフ公園やその周りの広大なチューリップやヒヤシンス、水仙などの極彩色の球根畑に興味を感じて、良く訪れたりした。
それに、ロンドンに移ってからも、近所の公園や住宅街のバラを写したり、近くに移り住んだので、暇が取れれば、世界最高峰の植物園キューガーデンにカメラを抱えて通い詰めたことなどが重なり、休暇には、イギリス国内の名園や植物園などを回ることが多くなって、遅ればせながら、少しずつ、花木や草花、ガーデニングに興味を持つようになっていった。
ガーデニングと言えば、狭い庭しかない日本では大袈裟に聞こえるのだが、要するに、庭仕事と言う結構厄介な雑事を熟しながら、花木や草花の世話を厭わずにやれるかどうかと言うことであろうか。
私は、最初の頃、花咲き実成る講座と言う通信教育を受けて、勉強したことがある。
用土を買って来て、花木の苗を植えて、水をやっておれば、何でも花が咲くと思ったら、大きな間違いで、苗や球根を成長させて、美しい花を咲かせるためには、それ相応の基礎的な知識が必要なのである。
それに、かなりの努力と経験を積むことによって、一人前になる。
若い時に、サラリーマンと言えども、自分の家かマンションくらいは持たなければダメだと思って、あっちこっち入居の応募をしたが、幸か不幸か当たらなかったので、会社の関係で、まず、土地を買った。
今、考えてみれば、あの時、土地を買っていたから、庭仕事が出来るのであって、マンションを買っておれば、ベランダ栽培しか出来なかった筈だから、喜ばなければならないのかも知れない。
門被りの槇や玉仕立てのツゲ、金木犀、生垣の伽羅やツゲ、モッコクと言ったメインとなる木々は、植木屋さんに植えて貰ったが、その他の多くの木々は、すべて、長い間に、私自身が、園芸店や通信販売で買って、植えては切り、植えては間引いて、現在の庭になったのである。
我流で植えたい木々や草花を勝手気ままに植え続けて来たので、非常にアンバランスな不安定な庭だが、季節の移り変わりを忠実に反映し、花を咲かせたり実を結んだりして楽しませてくれているので、私自身は、結構、満足している。
尤も、家族からは、かなり、不評で、それに、手入れに手を抜くので、美しい時ばかりではない。
しかし、いずれにしろ、私にとっては、人生の対話を交わしながら接してくれている実に貴重な友であり、同輩なのである。
田舎だからこそ、多少、それなりの広さのある庭のある家を手配出来たのではあるが、それよりも、都会の中ではなく、田舎故に自然と直結したガーデニングを楽しめる良さがある。
まず、田舎の自然とわが庭が、境界線なく結びついていることで、自然界の息吹や呼吸が直に感じ取れることである。
遅ればせながら、イギリスの友人たちが、ロンドンに住んでいて仕事をしていても、必ず、週末には、家族の居る田舎に帰ってガーデニングを楽しんでいた気持ちが、少しわかって来たような気がしている。
(口絵写真)咲き始めたわが庭の牡丹。
その前、3年間、オランダに住んでいたけれど、仕事の関係で、あまりに頻繁に、アムステルダムとロンドンを往復するので、ヒースロー空港の入管の係員が、イギリス在住のビザを取れと言った。
ヨーロッパの拠点の開拓で、最初は、アクセス便利なアムステルダムに本拠を置いたのだが、結局、ロンドンでの事業の比重が増してきたので、移転を考えていた矢先でもあり、渡りに船とロンドンに移った。
ロンドン市内でも、そうだが、特別な中心街以外では、殆ど一戸建てか、二個一のセミデタッチ・ハウスが多くて、必ず、各戸に広い裏庭がついていて、夫々、住人が、思い思いの庭を造って楽しんでいる。
私は、途中1回宿替えをしているので、都合、二軒のイギリスの家に住んでいたわけだが、両方とも、かなり、綺麗な整った裏庭があって、季節の花々が咲いたり、果樹が実ったりと、季節感を感じながら、庭に出て、憩ったものである。
ところが、とにかく、今日はパリ、明日はブラッセルと言った調子で、休日さえまともに取れない程多忙を極めていたので、イギリス人のように、休日には、ガーデニングを楽しむと言った余裕などは、全くなかった。
当時は、それ程、ガーデニングに興味があった訳でもなかったので、庭仕事は、殆ど、専門のガーディナーに任せていた。
ところが、オランダにいた時には、写真が好きだったので、キューケンホフ公園やその周りの広大なチューリップやヒヤシンス、水仙などの極彩色の球根畑に興味を感じて、良く訪れたりした。
それに、ロンドンに移ってからも、近所の公園や住宅街のバラを写したり、近くに移り住んだので、暇が取れれば、世界最高峰の植物園キューガーデンにカメラを抱えて通い詰めたことなどが重なり、休暇には、イギリス国内の名園や植物園などを回ることが多くなって、遅ればせながら、少しずつ、花木や草花、ガーデニングに興味を持つようになっていった。
ガーデニングと言えば、狭い庭しかない日本では大袈裟に聞こえるのだが、要するに、庭仕事と言う結構厄介な雑事を熟しながら、花木や草花の世話を厭わずにやれるかどうかと言うことであろうか。
私は、最初の頃、花咲き実成る講座と言う通信教育を受けて、勉強したことがある。
用土を買って来て、花木の苗を植えて、水をやっておれば、何でも花が咲くと思ったら、大きな間違いで、苗や球根を成長させて、美しい花を咲かせるためには、それ相応の基礎的な知識が必要なのである。
それに、かなりの努力と経験を積むことによって、一人前になる。
若い時に、サラリーマンと言えども、自分の家かマンションくらいは持たなければダメだと思って、あっちこっち入居の応募をしたが、幸か不幸か当たらなかったので、会社の関係で、まず、土地を買った。
今、考えてみれば、あの時、土地を買っていたから、庭仕事が出来るのであって、マンションを買っておれば、ベランダ栽培しか出来なかった筈だから、喜ばなければならないのかも知れない。
門被りの槇や玉仕立てのツゲ、金木犀、生垣の伽羅やツゲ、モッコクと言ったメインとなる木々は、植木屋さんに植えて貰ったが、その他の多くの木々は、すべて、長い間に、私自身が、園芸店や通信販売で買って、植えては切り、植えては間引いて、現在の庭になったのである。
我流で植えたい木々や草花を勝手気ままに植え続けて来たので、非常にアンバランスな不安定な庭だが、季節の移り変わりを忠実に反映し、花を咲かせたり実を結んだりして楽しませてくれているので、私自身は、結構、満足している。
尤も、家族からは、かなり、不評で、それに、手入れに手を抜くので、美しい時ばかりではない。
しかし、いずれにしろ、私にとっては、人生の対話を交わしながら接してくれている実に貴重な友であり、同輩なのである。
田舎だからこそ、多少、それなりの広さのある庭のある家を手配出来たのではあるが、それよりも、都会の中ではなく、田舎故に自然と直結したガーデニングを楽しめる良さがある。
まず、田舎の自然とわが庭が、境界線なく結びついていることで、自然界の息吹や呼吸が直に感じ取れることである。
遅ればせながら、イギリスの友人たちが、ロンドンに住んでいて仕事をしていても、必ず、週末には、家族の居る田舎に帰ってガーデニングを楽しんでいた気持ちが、少しわかって来たような気がしている。
(口絵写真)咲き始めたわが庭の牡丹。